空気の読めない女
重い。
その一言に尽きるこの空気。正直言ってかなり辛い。この空気はアクア改め、フレイアの兄を名乗るこの男が原因だ。そして、この男が怒っているのは俺が原因だ。
……結局、俺じゃねえか。
フレイアをおいて来たことで完全に神に見放されたな…この、フレイと一応自己紹介をしてくれた男は絶対に聖獣だろう。まさか本当に神とかではあるまいが、聖獣は神に仕えるものだ。つまり、神が俺に怒ったと言うことだな……俺がフレイアをおいて来たのも暴露てたみたいだし、いつも見られてるってか。
そして、これはあくまで俺の想像なのだが、この男は麒麟だろう。なぜなら、いくら魔法の才能があるフレイアとは言ってもただの少女。いや、聖獣の妹なら彼女も聖獣と言うことになるのだが、本当に妹と言うことはないだろう。聖獣は幼い間は獣の姿をしていて、成長して行くに連れて人間の姿を得るのだ。フレイアは俺と会ったときは幼かったし、人間だった。これはつまり、このフレイと言う男も俺のように彼女に名をあげたということではないだろうか?だから名が似ているのだ。そして、妹として関わった。
普通、フレイアを捨てたわけでもないのだからここまでは怒らないだろう。しかし、現に怒っているのだから、こいつは麒麟だ。仁の生き物である麒麟はその慈悲を全てのものに与える。それが妹として関わった少女だ。これほどに怒るのも不思議ではない。
その想像を裏付けるようにこの男はかなりの美形。聖獣の人間としての姿は見るものを確実に魅了すると言われるほどに美しい。俺はもちろん、男に魅了されたりはしないが。
「あー、そう言えば、この辺りで最近、冒険者の死体が発見されたんですよー」
この重い空気に能天気な声が響く。さっきからなぜかいるリコだ。フレイに絡みに行かないところを見ると、この美貌に魅了されていないらしい。
「そうか」
正直、どうでもいい。この辺りにはモンスターも多いし、先日あったことなのだが急に火事になったりすることもあるのだ。死んでしまっても少し冥福を祈るだけでそれ以外の感想はーー
「なんでも、この辺りの女の子を襲って、犯したあとで奴隷商人に売り払うと言った行為をしていたグループのようです。七人組だったんですが、リーダー以外の6人の死体が発見されました」
ーーその話はまずい。
「犯して…?この辺りで活動していたのか?」
予想違わず、男が反応したじゃないか!どうしてくれるんだ、リコ‼
「はい。この辺りです。しかも、リーダーの男はそう言う繋がりが太い男で既に新しいパーティーメンバーを集めてまた女の子を襲ってるんじゃないかって言われてるんですよ。…怖いですよね……」
さらに悪い情報が。フレイアなら早々やられないと思うが大丈夫だろうか。フレイがどうこうとかではなく、純粋に心配になって来た。
「でですね、その6人の死体なんですけど、可笑しいんですよ」
空気を読めないリコは話を続ける。既に俺たちの歩みは徒歩と言うより競歩だが、少し遅れつつも話しながらついて来る。
「何が可笑しいんだよ?モンスターに襲われたんじゃないのか?」
「違います」
リコははっきりと返事をした。しかし、いくら血の気の多い冒険者でも冒険者同士での殺し合いはよっぽどのことがない限りはしない。そんなグループだったのならパーティーメンバーを襲われて売られたとかそんな恨みはあったのかもしれないがそれでも、モンスターと戦って死んだ場合とそう大差ない死体が出来上がるはずだ。何が可笑しいのか。
「全員陸上にいて、服も濡れてはいなかったのに溺死だったんです。頭だけが濡れていたって」
「「……………」」
俺とフレイは同じような顔をているだろう。おそらく、フレイもフレイアの魔法がどんなものか把握しているはずだ。
その死体をつくったのは、フレイアですね。
何やってるんだ、あいつは。
「…はぁ、きっちり狙われて、きっちり殺してるじゃないか……」
隣からそんな声が聞こえた。やはり心配していたようだ。そして、安心したと。麒麟なんだから、殺された側にも慈悲をやってくれ。
そうしているうちに街に着いた。数日振りの街だ。そう言えば、この先にある花畑でルビリアルフラワーが発見されたとか。この先はしばらく難易度が上がるから行けないな。
「ここが街で、あっちの森が俺の家です。フレイアは家にいるんじゃないかと…」
「いや、この時間ならクエストだろう。難易度が高い場所はあるのか?ルビリアルフラワーがいるところとか」
フレイが厳しい顔のまま問う。どうも俺は嫌われてしまったようだ。
花畑の場所を説明すると、案内しろと言われる。
「面倒くさい。お前がそこまで案内してくれればいいだろう?暇じゃないのか?」
いや、暇だけどさ。ゴブリンはたぶん今日は機嫌が悪いし。しかし、今さっき行かないって決めたんだよ。とは、口が裂けても言えず、絶対にフレイアはそんなところにいないと思いつつも、俺は案内を始めた。
「そう言えば、すっごい可愛い女の子がこの辺りにいるんですって!この街の男たちは残らず告白して玉砕してるんですけど、運良く食事を出来た人とかもいるみたいです。けど、その女の子、夜はいつも宿に泊まってるって話で、毎日別の人とじゃないかって!絶対疲れますよね〜!夜這いに入った人たちを殺しちゃったとかって話も聞きますけど、そのうちこの街の人全員とーー」
なぜか着いて来ているリコが顔を赤くしつつそんな話をする。すっごい可愛い女の子と聞いてフレイアの話かと思ったが、そんな子じゃないからな、 フレイアは。まだ5歳だし。
花畑の手前の広場に着いたときには日が傾いていた。割と大きな街だ徒歩で移動すればこうもなるだろう。
「ありがとうございました〜!」
広場の目立つ場所にある宿のレストランからそんな声が聞こえて来た。見て見ると野次馬が出来ている。
この時間、夕食時だ。あんな高級店は無理だが、他の宿で食事をして泊まるか。今から帰るのは骨が折れるし。
「待てよ!本気で帰るつもりか!」
「ええ、そうよ。そう言ったでしょ?ごちそうさま」
そのレストランから出て来た客2人は軽く言い争いをしているようだ。…いや、女性の方に男性が絡んでいるだけか。
「こんな高い料理食わせてやったんだ!一回くらい付き合えよ!」
「嫌よ。そんなつもりはなかったし、それなら自分の分は払うわ」
徐々に近づいて来て2人の姿が鮮明になる。この程度の騒ぎでも野次馬が出来るようなのは女性の美しさ故か。後ろ姿だが、快晴の空のような青い髪が目に眩しい。完璧と言えるスタイルと子供っぽい立ち方がギャップを感じさせる。話し方は大人っぽいのに雰囲気は子供っぽい。不思議な少女だ。
「そういう問題じゃない!…くそっ!薬が効かないのか…?」
「残念だけど、それくらい気づいていたから避けさせてもらったのよ。それでは、ごちそうさま」
そうして俺たちが見ている方へは一度もその顔を見せず、歩き去って行った。
「あ、あの子、最近騒がれている女の子です。本当に綺麗ですね…顔、見に行きませんか?」
リコが呑気に言う。俺がため息交じりに否定しようとしたら、フレイが同意した。意外に女に興味があるのか。あの子もフレイに誘われたら応じるかもな。
「そんなんじゃない。よく見ろ、フラフラしている。さっきの男が言っていた薬だ」
「え?」
言うなりフレイは走って行ってしまった。俺は追いながら少女を見る。確かにフラフラとしていて危なっかしい。野次馬が邪魔でこの距離なのに中々近づけない。
「あっ!」
少女が膝を着いた。肩で息をしていて、耳まで赤い。フレイが野次馬を一瞬で蹴散らして叫ぶ。
「フレイア!」
すぐに駆け寄ってお姫様抱っこをした。少女は抵抗しないどころかフレイに頭を預けて意識を失ったようだ。
その、顔。俺が見間違えるわけがない。しかし、フレイにはわかっていたようだ。彼女の正体を。
「…アクア」
俺がアクアと名付けた少女は薬を飲まされてぐったりと意識を失っていた。真っ赤な顔をして、息荒く。
「くそっ!フレイアにこんなもん飲ませやがって」
フレイの目が光る。それを見た瞬間、俺は思った。こいつは麒麟なんかじゃない。
本物の、剣の神、フレイ神だ。
「…怖かったね」
リコが呆然と言う。俺も黙って頷いた。
「神の怒りだけは買いたくねぇな」
フレイアにあの薬を飲ませた男は八つ裂きになっていた。これをしたフレイは決して剣を抜いたのではない。フレイアを抱いて手が埋まっていたので、睨んだだけだ。男をこのようにしたあと、彼はフレイアが出てきたレストランのある宿へと入って行った。
「今頃……あんな美人2人の…見てみたいですね!」
リコが頬を赤く染めて言う。好奇心は死を招く。俺は遠慮だ。近くの宿へと足を向けた。リコも黙ってついて来る。
フレイアが飲まされたのはルビリアルフラワーの媚薬。リコでなくても今、中で何が行われているかは想像に容易い。
「神が五歳児に手を出してるんじゃねえよ」
妹だろうが、と呟く。フレイアは正気を失っている。助けてやらないととは思うが、神に立ち向かって勝てるわけもない。
「くそっ!絶対に強くなってやる」




