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誕生日には歌を  作者: 風花てい(koharu)
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誕生日には歌を 11

 

 現在の武里グループのトップ、武里春栄。


 これまで、武里に関係することは総じて浩平が引き受けてくれていたし、浩平と茅蜩館の跡取りを争っている(と思われていた)ために互いに避けていたようなところもあったことから、要がこれほど近くで春栄に向かいあうのは、今回が初めてだ。 


(この人のほうが、秋彦さんよりも似ている)


 それが、間近で見た春栄に対する要の第一印象だった。特に口元のあたりが浩平と似ている。そして、顔の上半分は秋彦と共通するものが多い。浩平の口元と秋彦の鼻に、今はここにいない竹里家次男の目と眉じりに向かって太くなっていく眉を組み合わせると、彼らの父親の竹里剛毅の顔になると思われる。 


(それにしても)

 弘晃が春栄と挨拶している隙に、要は、失礼にならない程度に視線を走らせた。 


 だだっ広い。それが、この部屋の第一印象だった。ただし、物理的な広さでいえば、先日訪問したばかりの菱屋の会長の部屋のほうがずっと大きい。しかしながら、あそこに比べると、こちらのほうが空虚な印象が強い。30畳ほどの広さの部屋の中には、主のための大きな机と8人ばかりの来客に対応できる象牙色の革張りのソファーととテーブルがあるだけだ。カーテンも家具も上質には違いないし、東京の中心に向かって大きく開けた窓からの眺望は見る人を圧倒するような迫力があるのだが、ここは、日毎に主が変わるホテルの部屋以上に日常的に人が使用することで備わっていく温もりのようなものが感じられない。そんな要の印象を裏付けるように、春栄が「ここは、生前父が使っていた部屋なんだ」と言い訳めかして説明する。


「私が使っている部屋にお通ししてもよかったんだが、あそこは手狭でね。せっかく訪ねてくださった中村のご当主代理をあんなところに連れ込んだら、ただでさえ拗れている中村さんとの関係がよけいに悪化しそうな気がしたものだから」

「お気遣いありがとうございます」

 弘晃が春栄を安心させるように愛想よく微笑み、窓に顔を向ける。 


「確かに、ここは独りで使うには大きすぎるかもしれませんね。眺めは抜群ですけど」

「父のご自慢の部屋だったんだ。ここは東京の北の端に近いところに位置するからね。こうすると――」

 春栄が窓の尺を測るかのように大きく腕を広げる。「『東京という大都市を我が物にしたような気持ちになる』って言ってたな。私は、そんな父が気持ち悪かった」

「き?」

「嫌いだったよ。あの人が」

 聞き違いかと耳を疑う要にそっけなく繰り返しながら、春栄が、ソファーに並んで居座っている3人のうち弘晃と向かい合う席に腰を下ろした。

「この部屋も、あの人も、嫌いだった。あの人のやり方をそのまま真似る冬樹は、もっと嫌いだ。しかも、あれは、あの人と違う。戦略も先の見通しもないまま、『父のように』我がままに振る舞うだけの、ただの阿呆だ」



 『それにしても、よくわかったね』と、春栄が疲れたように微笑み、「やっぱり、これがいけなかったかな」と、そっけないばかりの部屋のソファーの上に不自然に置き去りにされていたパンフレットを引き寄せた。その表紙では、ウェディングドレス姿の女性がチャペルの祭壇を背に幸せそうに笑っている。 セレスティアルホテルのウェディングカタログだ。 


「娘さんがご婚約されたそうですね」

 噂を聞きつけてきた森沢がたずねた。婚約相手は、いずれは総理になるだろうといわれている現職の大臣を父に持つ男性だそうだ。彼と冬樹とは、はとこの関係にあたる。今は菱屋商事の一社員である彼は、所属している部署の名を聞く限り、親の職業がどうであろうと実力がなければ即座に居場所をなくしそうな仕事をしていると思われる。中村物産もそうだが、菱屋も社員の家柄に遠慮して特別扱いしてくれるほど甘い会社ではない。

 

「彼もいずれは父や祖父と同じ道を歩むことになる。ならば、その前に、ひとりの社会人として働いておかないと支援者に持ち上げられて好い気になるだけの井の中の蛙になりかねない。そう思って、あえて自分を厳しい環境に置こうと思ったそうだ。なかなかしっかりとした青年だよ」

「冬樹さんとは違うというわけですね」

 森沢が相槌を打つ。 


「ちなみに、その男性というのは、冬樹さんのお母さんが何かにつけて頼りにしてきた母方の実家の現当主の息子さんですよね。あなたの娘さんと彼が結婚すれば、自分の出自を傘に着て好き放題にふるまってきた冬樹さんのお母さんの立場は確実に悪くなります」

 それどころか、『あちらのお家に迷惑をかけるわけにはいかない』という理由をつけて、春栄が冬樹の母親の行動を制限することもできるだろう。 


「母親さえ出しゃばらなければ、冬樹さんなど、大人に見えるだけのクソガキにすぎません。誰も相手をしなくなる。あなたの計画どおりに、ですか?」

「今が私にとって望ましい状況であることは否定しない。だが、私がとてつもない陰謀を企てたように思われるのは、いささか心外だな。いや、この期に及んで自己弁護をするつもりはないんだ」

 3人分の疑いの視線を向けられた春栄が、慌てて手を振る。


「冬樹に敵意を持つ人間を彼の近くに大量に送り込んだのは、私だ。六条さんを冬樹にけしかけようとしている浩平くんと山辺くんの助けになるように、好きなだけ冬樹を煽ればいいと彼らをそそのかしたのも私なら、冬樹が馬鹿なことをするのを邪魔させないために、冬樹の母親からの圧力に負けたフリして秋彦をセレスティアルの社長から降ろしたのも私だ」

「充分すぎるほど陰謀を巡らせていらっしゃる気がするんですか」

 遠慮のない森沢の突っ込みに、春栄は春栄で「やっぱり、そう思うよね」と、座ったまま身を乗り出すようにして親しげに応じた。


「思います。違うんですか?」

「違わない。でも、そもそもは…… ――それを君たちに言ってもしかたないけど―― 違ったんだ」

「『そもそも』ということは、何かをきっかけに魔がさしたということですか」

「ああ。娘の交際相手が私に会いにきた時だ。それが、きっかけだった」

 彼の話に耳を傾けている3人を見回しながら、「信じてもらえないかもしれないけれども」と春栄が弱々しく微笑む。


「それだけは、本当に偶然なんだ。娘が乗った飛行機がハイジャックされてね。怯える彼女に、たまたま隣に乗り合わせただけの彼がとても親切にしてくれのだそうだ。犯人が確保された後にも、乗務員の対応に腹を立ててトラブルを起こしかけた乗客がいたらしいんだが、それも彼が上手に収めてくれたそうだ。娘は彼に夢中なんだよ」

「ハイジャックされた飛行機?」

 その言葉に、要は引っ掛かりを覚えた。ごくごく最近、別の人物から同じ言葉を聞いた覚えがある。


「そうなんだよ。しかも、彼は、もともとその飛行機に乗る予定ではなかったそうなんだ。キャンセルで空いた席に乗り込んだら、隣の席にたまたま、うちの娘がいたのだそうだ。すごい偶然だと思わないかい?」

「なるほど、ハイジャックに巻き込まれたことは、彼にとって不運でしたが、ハイジャックに見舞われたからこそお嬢さんと知り合うことができ、危機の中で娘さんの騎士役を務めることができた。まさに運命の出会いというわけですね。そうなってくると、席をキャンセルしたせいで美しい姫を射止め損ねた誰かが、かえって気の毒に思えてきますね。まあ、そのキャンセルした人物が、お嬢さんのお眼鏡にかなうような魅力的な男性だったとは限らないでしょうけど」

 森沢が春栄に調子を合わせる横で、要は額を抑えていた。魅力的かどうかはまでは知らないが、要はその気の毒な男性のことを知っているような気がしてならない。源一郎が話していた『橘乃と見合いさせようとした途端に交通事故にあったけれども、事故にあっておかげでハイジャックされた飛行機に乗らずにすんだ幸運な男性』のことではないだろうか。


「だから、娘の結婚だけは、本当に偶然なんだ。自分の復讐めいた嫌がらせのために、彼女の気持ちを無視して結婚相手を押し付けたわけじゃない」

 春栄が、真面目な顔で訴えた。源一郎によって『久志の呪い』の信ぴょう性を刷り込まれている要は、反射的に「信じます」と言いかけた。だが、森沢と弘晃は、そうはいかない。「娘さんの結婚が決まったのがきっかけだとおっしゃるのなら、あなたが冬樹さんに内緒で彼の周りを敵だらけにしたのは、単なる趣味だったというわけですか?」と、森沢が遠慮のない質問をぶつけた。


「それはっ! いや、その……」

「他の理由がおありだったんですね?」

 挑発的な弘晃の質問に反射的に言い返そうとしたのを寸前で思いとどまったように見えた春栄に、すかさず弘晃が問いかける。

「よろしければ、詳しく話していただけませんか?」

 要も遠慮がちに春栄をうながしてみた。


「私たちに話すようなことではないのかもしれません」「でも、浩平くんの後ろに隠れるようにしてあなたがなさっていた悪巧みを自主的に認めてくださったからには、これ以上隠すことがあるとは思えません。むしろ、言い訳でも八つ当たりでもなんでも、あなたなりにこんなことをしなくてはならなかった理由らしきものがあるのならば聞かせていただきたいです」

 要の言葉に続けて、森沢が身を乗り出すようにして春栄をそそのかした。


「いや、でも、その理由にせよ、今から思えば、しょうもないというか、我ながら馬鹿だったというか……」

 口の中でごにょごにょと言いながら春栄が、チラリと中村本家の当主代理の反応をうかがう。

「私は、竹里さんのお父さまについて一族中から悪評という悪評を聞かされていますから、竹里さんがここで何を話されても、私の中の武里グループの評価がこれ以上下がるということはありませんよ」

「たしかにそうだ。いまさら言い繕ったところで、意味がないな」

 弘晃の身のふたもない物言いに、春栄が吹き出し、少しおどけた様子で「だって、どうすりゃよかったんだい?」と3人に問いかけた。


「あの馬鹿は、自分が気に入らない奴を次から次へを追い出しては、私に『代わりを寄こせ』と言ってくるんだ。最初のうちは、私だって、真面目に対応したよ。馬鹿な弟の代わりに武里リゾートを支えてくれるような人材を探した。だが、あいつは誰を送っても満足せずに突っ返してくる。もちろん、こんなのは、ただの冬樹の我がままだ。どんなに高い地位の者であろうが、許されることじゃない。それは、私だってわかっている」

 『少しは我慢しろ』『問題は、おまえにある』と、春栄は何度も冬樹を諭したのだそうだ。腹に据えかねて、冬樹の要求を無視したこともあったという。


「そうすると、冬樹の母親が私のところに乗り込んでくる。『誰のおかげで武里グループが大きくなったのだ』『おまえが冬樹を大切にしないなら、こちらにも考えがある』『自分の実家からの口添えがあれば、おまえをその地位から引きずりおろすこともできる』とヒステリックに恫喝する」

「……やばい、早くも同情したくなってきた」

 森沢がボソリとつぶやく。要も、春栄が可哀そうになってきた。弘晃だけは、この程度のことでは心を揺さぶられたりはしなかった。彼は、かなり呆れているようだった。


「そんなこと、できっこないでしょう」

「そう。ちょっと冷静になって考えてみれば、そのとおりなんだ」

 咎めるような弘晃の視線を受けて、春栄がしゅんとなる。

「武里グループは、父があの女と結婚した頃とは違う。あの女の実家の横やり程度で揺らぐことなどありえない。たとえ私が辞めさせられることになったとしても、秋彦も夏雄もいる」

「だけど、その時は、そういう判断力が麻痺していたということですか?」

「そうだ。父にせよ、ずっと継母には頭が上がらないままだったからね。彼女に逆らってはいけないのだと、私が思い込んでいたところもある。だから、冬樹が『いらない』と捨てた者をこちらで引き受けては、代わりの人間を送っていた」

 『逆らわぬように』とよくよく言い聞かせて、若い頃から春栄を支えてくれた側近や子飼いの部下を送り込むことまでした。それでも、冬樹からの人員の要請は止まらない。

「やがて『いくら会長命令でも聞き入れられることと聞き入れられないことがある』『あの男のところにいくぐらいなら、この場で辞表を出す』といって、冬樹のところに行くことを拒む者も出てきた」

 気がついたら、春栄の周りは冬樹のところからの出戻りだらけになっていた。 


「それに、私にも、責任がないわけじゃない」

 膝の上で組んだ両手に視線を落としたまま、春栄が言う。


「実を言えば、昔の私は、両親……特に母親に甘やかされ放題で育てられたせいで勝手極まりない冬樹が他人様に迷惑をかけるのを、内心面白がっていた。なにしろ、冬樹が馬鹿なことをしでかすたびに、他人の迷惑を省みることもなく親しい者にも不義理ばかりしてきた父が青くなり、事態を収拾するために方々に頭を下げるんだ。それも、父からして心の底では冬樹に対して怒り狂っているのにね。でも、冬樹を溺愛する母親の手前、彼がどんな悪さをしても、父は彼を叱ることすらできないんだ。私は、それが愉快でしかたがなかった。こうなったのも、父の自業自得だと思っていた。でも、本来ならば、冬樹を甘やかすべきではないと……悪いことは悪いことだと冬樹に教え込むべきだと、私が父に意見するべきだった。でなければ、私が兄として冬樹に直接意見するべきだった」


 結果的に、竹里剛毅が背負い込んでしまった因果は、彼の死後、父親が遺した様々なものと共に春栄が引き継ぐことになった。「自業自得だよね」と、春栄がうなだれる。

「でも、あなたがた兄弟は、冬樹さんと一緒に暮らしたこともありませんよね」

 三男坊の秋彦でさえ浩平の実の父親であったとしても違和感のない年齢なのだ。昔の春栄が冬樹を叱れるほど近しい関係にあったとは、要には思えない。


「そうだね。たまに噂が聞こえてくるだけで、父が亡くなるまで、冬樹のことなどほとんど考えたことがなかった」

「それなのに、父親が亡くなったとたんに、冬樹さんという重荷があなたにのしかかってきた。しかも、状況は悪化するばかり。冬樹さんに態度を改めさせることもできず、辞めさせることもできないまま、あなたは冬樹さんの言いなりになるしかなかった」

「そうだ」

 春栄が弘晃にうなずく。春栄は追い詰められていった。もう誰を送ったらいいかわからない。というよりも、もう誰を送っても同じような気がしてきた。すっかり投げやりな気分になった頃、彼は、やってはいけないミスを犯した。


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