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誕生日には歌を  作者: 風花てい(koharu)
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巡り巡って 7

セレスティアルホテル赤坂は、六条源一郎が手配した車と人によって封じられていた。


 鈍色の雲をバックにそびえる37階建ての円筒状のビルは、牙ならぬシャベルを振りあげる無数の工事用の車両によって取り囲まれている。 その中でもひときわ大きなクレーン車が吊り下げているのは、薪のように束ねられた10本ばかりの鉄骨だった。


「おいおい、浅間山荘かよ」

 運転手の新藤が、ハンドルに顎を預けつつ呻く。 彼でなくても、この光景を見て数年前の人質籠城事件を連想する者は少なくないだろう。 もちろん橘乃も、そして要も、娘を奪われた六条源一郎が怒りに任せて鉄骨の束をホテルにぶつける気であろうと確信した。


「お父さまを止めなくちゃ」

 橘乃が青くなる。 だが、彼女たちを乗せてホテル沿いの道を走っていたハイヤーは、ホテルの敷地への入り口まであと少しという所で、ほとんど前に進まなくなってしまった。 車を渋滞させている主な原因は、源一郎というよりも騒ぎに惹かれて集まってきた野次馬だと思われた。 それはそうだろう。 かなり超法規的な手段で封鎖されているらしいホテルと、それにぶつけられようとしている鉄骨の束を目にした人々が、好奇心を押さえられるはずがない。 野次馬は、信号の有無などお構いなしに次々に道路を渡ってきていた。 彼らが差している色とりどりの雨傘と、前進を邪魔されたことに腹を立てた一般人が鳴らしたクラクションのけたたましさが混雑に拍車をかけている。 


「ここからは、走るしかなさそうですね」

 梅宮が車の扉を開けて外に出た。 続いて橘乃も外に出る。 すると、橘乃の頭に梅宮が自分の上着を脱いで被せてくれた。 梅宮が濡れてしまうのは心苦しかったが、橘乃は遠慮なく彼の好意を受けた。 ここで彼の気遣いを固辞している暇があったら一刻でも早く父源一郎の元にたどり着くべく努力したほうがいいと思ったからだ。 彼が差し出してくれた手にも、四の五の言わすに捕まった。


 踵の高いハイヒールは走るのには不向きだったが、梅宮が人をかき分けながら彼女の手を引いてくれたので、なんとか転ばずにホテルへの進入路前まで到着することができた。 そこもまた源一郎の部下と車によって封鎖されていたが、見知った顔が数人見えた。 父の会社で見かける社員たちと、六条家の警備を引き受けてくれている若い人たちだ。 


「橘乃さん、無事だったんですね!」

 彼らは、一様にホッとしたような表情で自分の無事を喜んでくれた。 だが、ここでものんびりしている暇はない。 とにかく今は、父を安心させること、そして、この恐ろしい攻撃をやめさせることが先決だ。

「お父さまは、どこ?」

 せっぱ詰まった橘乃の問いに、男たちの視線が、わずかな間だけ宙をさまよい一方向に流れた。 どうやら父は、あの巨大クレーンに近い場所にいるらしい。 だが気になるのは、橘乃や一般の野次馬よりも更に前方で黒服の男たちに詰め寄っている一団である。 橘乃の背後にいる人々に比べると、彼らはずっと押しが強そうだった。 カメラのようなものを持っている人間もいた。

「マスコミも集まってきていますね」 

 梅宮が眉をひそめると同時に、「ちょっと我慢していてください」と言いながら彼女にかぶせていた上着を彼女の顔を覆うように引っ張り上げた。

「ここのホテル関係者のフリして突破します。 橘乃さんが六条さんの娘さんだとわかったら足止めされそうなので、極力顔を隠して、下を向いていてください」

 橘乃の両肩を抱くようにして梅宮が指示する。

「周りが見えなくて不安でしょうけど、絶対に転ばしたりしないので安心してください。 そこの人。 ええ、あなたです。 私と一緒に、彼女を誘導してもらえますか」

 橘乃の右側に立つ梅宮の指名を受けて、腕力のありそうな男性が彼女の左側に立ってくれる。 そのふたりに支えられる……というよりも引っ張られるようにして、橘乃は、マスコミの群れの中に突入した。 途端に、知らない人々が大声を上げながら橘乃たちに向かって駆け寄ってくる。 

「大丈夫、僕がなんとかしますから」

 足がすくんで立ち止まりそうになる橘乃を励ましつつ、梅宮がマスコミに向かって声を張り上げた。 

「すみません。 関係者です。通してください。 は? この騒ぎですか? たぶん映画の撮影か何かだと思いますけど…… 申し訳ございません。 詳しいことは、私にはわかりかねますので、本社の広報担当者に問い合わせていただけますか? ですから、押さないでくださいと申し上げているでしょう! 誰がが転んで怪我でもしたら、どうするんです?」


 さすが茅蜩館のホテルマンだけあって、彼の対応は堂にいっていた。 難を言えば、下っ端のホテルマンを装っている割には堂々としすぎていることぐらいだろう。 とはいえ、マスコミは梅宮を疑いもしなかったし、彼からは情報を引き出せないようだと判断するや否や、まとわりつくのをやめて3人を通してくれた。 視界が開けると、クレーン車の影で拡声器を構えている源一郎が見えた。


「お父さま!」

 源一郎を呼びながら、橘乃は駆け出した。 

「橘乃か?! 無事だったんだな!」

 振り返った父が、笑っているようにも吠えているようにも聞こえる声を上げながら腕を広げる。 父親の胸の中に、橘乃はためらうことなく飛び込んだ。


「橘乃!橘乃! ああ、よかった! 大丈夫か? どこか怪我してないか? 怖い思いはしなかったか?」

「うん。 大丈夫。どこもなんともないわ」

 涙と雨でグチョグチョになった父の顔を、橘乃は、彼が首からぶら下げていた手ぬぐいで拭いてやった。 鎌と丸い輪と平仮名の『ぬ』の字の組み合わせで『構わぬ』を表した古典的な図柄の手ぬぐいは、彼女と梅宮が歌舞伎座でデートをした折に父への土産として買い求めたものだ。 

「それどころか、私ね、攫われたことさえ気がついていなかったの。 梅宮さんが助けにきてくれたのよ。 梅宮さんって、すっごく強いの」

「おお、そうか。 ありがとう」

 感謝の眼差しを向ける源一郎に、梅宮が控えめな笑顔を浮かべながら軽く頭を下げた。 



「さて、と。 橘乃も無事に戻ってきたことだし」

 源一郎は『構わぬ』の手ぬぐいをキリリと額に巻くと、ホテルに向き直った。


「あの洒落のめしたビルの中に橘乃がいないとわかったからには、もう容赦しねえ」

「ダメよ! お父さま!」

 橘乃は悲鳴を上げた。

「攫われたといっても未遂だったんだのだから、もういいじゃないの!」

「そういう訳にはいかねえ」

 父親がホテルを睨みつけたまま厳しい顔で首を振った。

「『近づくな』と言った俺の忠告を、あの馬鹿はこんな卑劣なやり方で無視しやがったんだ。 口で言ってもわからない輩には、体と心に恐怖を叩き込むしかねえだろうが」

「でも! お父さま!」

「そうですよ。 社長、やりすぎですよ」

 秘書たちも、源一郎を思いとどまらせようとする。 ……が、社長を諌めたところでどうせ止まらないだろうと彼らは始めから諦めているらしく、制止する声には張りがない。

 橘乃は、加勢を求めて梅宮にすがるような目を向けた。 


「六条さん。 私からもお願いします」

 源一郎に『お願い』する梅宮の口調は、橘乃が期待しているほど厳しいものではなかった。 だが、彼女の父親は、どういうわけだが梅宮の反対意見に最も大きな反応を示した。

「なんでい! お前まで俺の邪魔をしようってえのか?」

 梅宮を源一郎が睨みつける。 彼の視線は、文字通り突き刺さるように刺々しいものだった。 だが、梅宮は委縮するどころか、呆れたような口調で、「あたりまえじゃないですか」と、源一郎に言い返した。

 

「六条さんのお腹立ちもわかります。 私も、今回のことは腹に据えかねています。 ですが、あのホテルには、六条さんとは何のかかわりもないお客さまも大勢いらっしゃるんです。 ご迷惑をかけるわけにはいきません」

「おまえのホテルに迷惑かけているわけじゃねえよ」

「誰のホテルであろうと、お客さまはお客さまです。  それに、お客さまたちこそ、私たちと冬樹さんとの争いとは無関係です。 ですから、今すぐに、ここを取り囲んでいる人と車を撤収させていただけないでしょうか」

「うるせえよ。 ふた言目には『お客さま』『お客さま』って…… お前は久志かよ?」

 若造から至極もっともなことを指摘されて悔しいのだろう。 源一郎が梅宮に向かって憎まれ口を叩いた。 しかしながら、源一郎の亡き親友と比べられることは、梅宮にとって名誉なことでしかなかったようだ。 


「それは…… ありがとうございます」

「誉めてねえよっ!」

 微笑む梅宮に、源一郎が噛みつかんばかりの勢いで吠えた。 それでも、梅宮は動じない。 

「誉め言葉にしか聞こえませんが」

 心底嬉しそうに梅宮が笑った。 「それはさておき、お話を戻していいですか?」 

「おう! 言いやがれ!」

 梅宮に対して身構えるように源一郎が腕を組んだ。


「こんなバカでっかい仕掛けで脅したところで、冬樹さんに対して、果たして効果があるのでしょうか?」

「なんだよ? これじゃあ足りないっていうのか?」

 梅宮の意外な指摘に、源一郎が片眉を上げた。

「足りないというよりも、意味がないように思えるんです。 冬樹さんがこの中にいることは確実なんですよね?」

 梅宮が源一郎にふたりの秘書たちにたずねた。 

 答えたのは、若い方の秘書の葛笠だ。

「それは、間違いありません」

 冬樹がいることは、ホテルセレスティアル赤坂の総支配人も認めているという。


 冬樹は、自分は橘乃さんを誘拐していないと言っているそうだ。 『だから、自分は関係ない。ゆえに六条源一郎と話をする理由もない』の一点張りで、ロイアルスイートのある階を階ごと封鎖して閉じこもっているという。


 総支配人は、そんな冬樹を扱い兼ねているらしい。 とにかく自分が冬樹を連れてくるから、それまでホテルに危害を加えるのは待ってほしい。 あるいは、もう少ししたら冬樹の兄でもある秋彦社長が到着するはずだから、せめてそれまで待ってほしいと源一郎に懇願してきたという。 だが、今のところ、冬樹が出てくる気配は全くといっていいほどない。 

「つまり、事態の収拾をここの総支配人と秋彦さんに丸投げして、本人は布団被って知らぬ存ぜぬを決め込んでいるわけですか」

「な? どうしようもない奴だろう」

 ため息を吐く梅宮を見て、源一郎が調子づいた。

「だから、俺は、あいつに思い知らせてやろうとだな――」

「そうですね。 だったら尚更、このやり方では、あの人に思い知らせるのは無理ですよ」

 梅宮が断言する。 


「冬樹さんのことです。 ホテルが壊されたところで、ここの総支配人や秋彦さんの対応が悪くてホテルが壊されたのだと責任転嫁するだけだと思います」

「ああ、そうかもしれない」 

 橘乃と、冬樹のせいで余計な仕事が増えている葛笠が、実感を込めて同意した。 自分を正当化するのが得意な冬樹のことだ。 彼であれば絶対に人のせいにするだろう。 

「冬樹さんは、ホテル経営にさしたる熱意のない方です。 自分の責任さえ回避できれば、ホテルの一軒や二軒が崩壊したところで涼しい顔をしていると思います。 しかも、ここホテルセレスティアル赤坂は、彼が管轄するリゾート系のホテルセレスティアルではありません」

 つまり、このホテルを壊された後のことを考えると、本当に困ったことになるのは冬樹ではなく、彼の腹違いの兄の秋彦のほうであるということらしい。


「下手をすると秋彦さんの責任問題に発展しかねません。 そして、秋彦さんがセレスティアルホテルグループのトップから引きずり降ろされた時、一番得をするのは、おそらく冬樹さんです」

「確かに、冬樹は秋彦の後釜を狙っている。 竹里一族の事情を考えたら、ありえねえ話じゃねえな」

 唸り声を上げながら、源一郎が腕を組み替えた。 

「でもよう。 このまま黙って引き下がるのも、俺としては面白くねえんだよ」

「そうでしょうね」

 『わかりますよ』というように、梅宮が不満顔の源一郎にうなずいた。

「ですが、私は、このまま黙って冬樹さんを見逃してやれと言っているわけではありませんが」

「え?」

 斜に構えていた源一郎の肩から、力が抜けた。

 

「むしろ、冬樹さんの『やっていない』という言い分を鵜呑みにして無罪放免にするほうがおかしいのではないでしょうか? 私たちは、彼と直接話をする必要があると思いませんか?  彼が誘拐に関与したことは、状況的には確実でしょう。 ならば、まずは白黒をはっきりさせる。 そして、黒ならば、冬樹さんに自分がしようとしたことを認めさせ、反省させる必要があると思うんです」

「それは、そうだな」

「しかしながら、本人が反省する気がないのなら、多少…… そう、六条さんの手やら足やらが多少でることになっても、仕方がないんじゃないでしょうか?」

「……」

 父親が固く組んでいた腕を解いた。


「2度とこんなことはしない。 今度やったら、その時は自分が破滅する時だ。 あまりにも彼の聞き分けが悪い時には、彼の心と体に……でしたっけ? 思い知らせてやる必要があると、私も思います。 そうでなければ、あの人は、また同じことを繰り返すかもしれない」

「ほう?」 

 父親が楽しげに口角を上げる。 「わかっているじゃねえか」

「え? ちょっと! 要さん?!」

 橘乃は、慌てた。 

 彼女としては、できればこのまま父親には大人しくしていてもらいたかった。 

 それなのに、この人ときたら、事を穏便に収めてくれるどころか、父を唆しているではないか?!


「手段は、六条さんにお任せしますよ」

 橘乃の動揺などお構いなしに、梅宮が父親の気持ちをくすぐる。 ついでに、「とはいえ、あの程度の男に思い知らせるために、こんな大仕掛けは勿体ないですよ」と彼を持ち上げた後、「こちらのチェックインの時間まで、そう間もありません。 なるべく手短に、かつ効果的な手段を考えていただけると嬉しいですね」と、決断を促した挙句、ダメ押しのように「冬樹さんが何処ぞに籠って出てこないというのなら、そこぐらいは破壊しても構わないのではないでしょうか。 ホテル一軒に比べたら安いものですから、秋彦さんも許してくれますよ」と、復讐に燃える彼の破壊衝動を容認する発言までしてのけた。 そして、源一郎は、これらの梅宮の提案を、「おまえ、やっぱり久志に似てきたな」という言葉で嬉々として受け入れた。


「今のは、誉め言葉ですよね?」

「そういうことだ」

 源一郎は楽しげに笑うと、雨に濡れてクセが強くなった梅宮の髪をクシャクシャかき混ぜた。「おまえも、来るか?」

「はい、お供します。 私も、どうしても、彼に言ってやりたいことがあるんです」

 ホテルの入り口に向かって歩き始める源一郎に梅宮が続く。 遠ざかっていく源一郎の背中に向かって、最古参の秘書の佐々木が声を掛けた。


「社長! クレーン車、どうなさいますか?」

「ああ。 すまんが片付けておいてくれ」

 振り向きもせず、源一郎が指示を出す。 


 一方、振り向いた梅宮は、佐々木と顔を合わせると、目立たないように親指を立てて見せた。

 佐々木は佐々木で、能面のように表情の乏しい顔のまま、梅宮に向かって手を合わせている。


「え? どういうこと?」

 梅宮と佐々木を見比べながら、橘乃と葛笠は目を丸くした。

 このふたり、父のことで事前に何か打ち合わせでもしていたのだろうか?

「別にしてない。 でも、社長の破壊行為を止めさせることが先だってことぐらい、考えなくたってわかるだろうが」

 周囲に撤収を指示しながら、佐々木が指導するべき部下の葛笠に向かって言った。 


「とはいえ、黙って引き下がらせるんじゃ、社長がゴネた勢いで何をするかわかったものじゃないからな。 だから、まずは、一番危ない玩具から社長を遠ざけた。 次は、社長個人が復讐心に駆られて傷害事件を犯すことを阻止するだけだ。 梅宮くんが付き添ってくれたから大丈夫だとは思うが、おまえも一応ついていけ。 現状回復すれば許される程度の破壊ならば、今回ばかりはやらせておいてやってもいいが、社長が誰かに危害を加えそうになったら、葛笠が体を張って止めろ。 俺は、秋彦社長の到着を待って、合流する。 橘乃さまは、どうなさいますか?」


「私は……」


 橘乃は、もちろん葛笠についていくことにした。 



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