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誕生日には歌を  作者: 風花てい(koharu)
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巡り巡って 5


「橘乃さまでしたら、先ほど梅宮さまが寄越してくださいましたハイヤーでお出かけになられましたが……」


 幽霊でも見たような顔で要を凝視しながら、執事が言った。

 だが、その言葉が事実でないことは、執事の目の前にいる要の青ざめた顔と、要が六条家に橘乃を迎えにくる時にはたいてい同行していた――そして今日も一緒に来ている中年の物静かなハイヤーの運転手の顔を見れば明らかである。


「では、橘乃さまは? まさか……」

「新藤さん。 確認してもらえますか?」

 動揺を隠せない執事に背を向けると、要は、車の中で待機している運転手に声を掛けた。 


 要に指示されるまでもなく、運転手は、既に車内に搭載されている無線を使って、茅蜩館の配車担当と連絡を取ろうとしていた。  要は、彼に目配せをすると、異変に気がついて門の方から走ってくる若者ふたりに大きく手を振りながら、自分からも近づいていった。 ふたりの若者のうちのひとりは、すっかり顔なじみになった自称《橘乃ファンクラブ》のナンバー2、ネズミ顔の大館青年であった。


 門前で人や車の出入りをチェックしていた大館は、冬樹に出し抜かれた(まだ断定はできないが、十中八九冬樹の仕業であろう)ことに非常な責任を感じ、しきりに謝っていた。 だが、彼とて攫われていく橘乃を漫然と見送ったわけではない。 すべきことを確実にやってくれていた。


「これが、橘乃さんを乗せていった車のナンバーです」

 大館が小脇に抱えていた大学ノートを開いて要に差し出した。 そのノートは、六条家の警備を強化する際に要が用意するよう提案したものだ。 そこには、六条家の門前に現れた人の訪問日時と名前、乗ってきた車の車種や色やナンバー等々が様々な筆跡で記されていた。 記録によると橘乃が出かけたのは、今から15分ほど前である。 運転手の名前は白川となっている。だが、おそらく偽名であろう。

「ありがとう」

 要は、ノートを手に車に駆け戻ると、ハイヤーのナンバーを照会してもらった。 

「やはり、うちのハイヤーではないですね」

 新藤が要に首を振り、再び無線と交信する。 「どこのハイヤーか調べられますか?」

「私もこうしていてはいられない。 旦那さまに、お知らせします。 そのノートを貸してください」

 源一郎に電話を掛けるためだろう。 ノートを受け取った執事が、屋敷に向かって駆け出していった。 要も、執事の後に続いた。 

「梅宮さんは、そこの電話を使ってください。 私は、2階の旦那さまの部屋の電話を使わせていただきます」

 執事が吹き抜けの玄関ホールを入ってすぐのところにある電話を指さしながら、階段を駆け上がっていく。


 震えそうになる指をなんとか落ち着かせつつ、要は、八重の居間の電話番号をダイヤルした。 ありがたいことに、八重は在室していた。 要が期待していたとおり、彼よりも一世代上の八重の養い子である竹里輝美も、そこにいた。

「輝美さんから秋彦さんに、至急お願いしてもらいたいことがあるんです」

 前置きなしに告げると、要は手短に状況と要件を伝えた。 


 さすがというかなんというか、戦中戦後の混乱期に亡き息子と共に茅蜩館を守ってきた現オーナーと、冬樹が代表を務める武里リゾートが所有するホテルも含めると国内外の40近くもあるセレスティアルホテルグループを統べる竹里秋彦社長の妻だけのことはある。 橘乃が誘拐されたかもしれないと聞かされても、彼女たちは大袈裟に驚いたり動揺するようなこともなく、ただちに事の重大さと緊急性を理解した。

「要、気をしっかりもつんだよ。 頭に血が上ってると、ロクなことにならないからね」

「すぐに秋彦さんに知らせて、できるだけ早くに冬樹の居所を突き止めてもらうわ。 それから、冬樹が橘乃さんを連れ込みそうな所も――都内にあるホテル・セレスティアルとか冬樹の管轄下にあるリゾートホテルもチェックしてもらう」 

 要を励ます八重から受話器を受け取った輝美が約束してくれた。


「それから、武里グループが利用しているハイヤーと役員送迎用の車も含めた運転手付きの黒塗りの車の番号を照会してもらいたいんですけど」

「了解。 車のナンバーを教えて。 結果がわかったら、彼からこの部屋に連絡してもらって、そこから無線であなたが乗っている車に知らせる。 それでいい?」

「ありがとうございます」

「違うわ。 礼を言うのはこっちだわよ」

 怒ったように輝美が言い返した。 「『冬樹が勝手にやったことだ』なんて言い訳を、六条さんが受け入れてくれるとは思えない。 冬樹が橘乃さんの髪の毛一本でも傷つけたが最後、武里リゾートどころか武里グループが六条さんに壊滅させられちゃうわよ」


 その六条源一郎であるが、 ひと足先に屋敷から出てきた要を追いかけて新藤の車の前に戻ってきた執事によると、娘を無事に保護するために、警察を使って都内の各所で検問を実施させると同時に、高速道路の出入り口を一時的に閉鎖させ、羽田空港の搭乗手続きを中断させ、東京から日本各地に向かう新幹線及び在来線の全てと、竹芝、日の出、横浜大桟橋から出航予定の旅客船の全てをストップさせようとしていた。


「そんなこと、できるんですか?」

「超大型台風じゃあるまいし、いくら橘乃さんのお父さんだって、そこまでは無理でしょう」

 見張りの若者たちは半信半疑であるようだったが、長年茅蜩館の八重の傍で暮らしてきた要は、娘の橘乃でさえ知らない六条源一郎の裏の顔を――フィクサーとしての彼がしてきたことを知っている。 源一郎は、政治や経済の中枢にいる者たちを動かすだけの人脈と秘密を手にしている。 それらは、彼が保有している莫大な財産など及びもつかないほどの力を持つ。 先の影響を考えずに源一郎がその力を行使すれば、都内の交通を一時的に麻痺させることぐらい、たやすくやってのけるかもしれない。

 だが、そこまで大がかりな対策がとられるであろうという確信があっても、要は全く安心できなかった。


 都内は、面積的には狭いようでも縦に厚い。 

 地上を走る道路や鉄道だけでなく幾つもの地下鉄が地面の中で交差したり並走たりしている。 そして、それら地下鉄の改札口から続く地下道は、路線と同じぐらいの長さがある。 地下道から地上に抜ける出口も、数えきれない。 そのうえ、出口のひとつひとつが、天を突くように林立する都内中の高層建築と主要な道路の間近に存在している。 

 検問等に引っかかる前に、この迷宮のような都市のどこかに橘乃が連れ込まれてしまったら、どうする? 自分たちは彼女を探し出せるだろうか?


 もしかしたら、自分は、このまま、橘乃に会えなくなってしまうのではないだろうか?


 要の両親が戻ってこなかった時のように、

 ボタンや久志が突然いなくなってしまった時のように、

 要は、この先、橘乃の顔を見られないのではないだろうか?


(馬鹿なことを。 考えすぎだ)

 自分の考えを打ちけすように要は首を振った。

 動揺は判断を誤らせる原因にしかならないと祖母も常々言っているではないか。 悲観的な考えで彼の頭を一杯にしたところで、橘乃が取り戻せるわけではない。 

 冷静になろうと要が意識的に大きく息を吸ったその時、屋敷のから、誰かを励ます女性の大声が聞こえてきた。


「心配しなくたって平気よ。 橘乃ちゃんはピンピンしているし、すぐに見つかるんだから! この私が保障するんだから、絶対に大丈夫!」

 やけに自信たっぷりな声の主は、玄関を少し入ったところで、誰かを抱きしめている赤い着物の女性であるらしかった。  庭に立つ要から玄関までは距離もあるので断定はできないが、幼けなさを感じる赤い衣装と高めの澄んだ声からして、4女の紅子の母親だと思われる。 大人の女性にしては長めの袂の中に抱え込まれるようにして彼女に抱きしめられているのは、橘乃の実母の美和子だろう。 美和子のことは紫乃の結婚式の時に遠目に見かけたきりだが、夏の最中に裾をレースで飾ったペチコートを何枚も重ね履きしてスカート膨らませたがる女性が他にいるとも思えない。 要は、美和子に向かって歩き始めた。 最悪のタイミングではあるが、要は彼女に挨拶し、彼女の娘を守り切れなかった詫びを言う必要がある。


 だが、3歩も進まないうちに、「要! いたぞ!」という新藤の声が、彼を止まらせた。

「いた?! どこに?」

 彼はハイヤーの前に駆け戻った。 「でも、どうやって……」

「無線だよ」

 新藤が、口の端を上げて笑う。


 使用目的が限られいるうえに不快に思う客もいることから、茅蜩館が所有しているハイヤーでは無線を搭載していても運転手が必要だと思う時以外には交信が絶たれているのが普通なのだが、茅蜩館へ客を送ってきたり車寄せで客待ちをしているタクシーは、その車が所属する会社や仲間の車と常に無線で連絡を取り合っている。 茅蜩館の配車担当者が都内で活動する複数のタクシーに誘拐ハイヤーの問い合わせをしたところ、それらのタクシー会社から、彼らが管轄するタクシーの運転手たちに向かって、橘乃を乗せたハイヤーを見かけたら知らせてくれるようにと無線で一斉に呼びかけてくれたらしい。


「靖国通りを九段に向かって走行中のハイヤーを見かけたという目撃情報が複数寄せられたそうだ。 乗れ。 俺たちも行くぞ」

「あ、うん。 でも……」

 要は、心残りがあるかのように屋敷の方を振り返った。

「行って! 橘乃ちゃんを取り返して!」

 美和子を抱きしめたまま、紅子の母が、要に向かって大きく片手を振る。

 紅子の母に縋り付きながら、美和子も要の名を叫んだ。

「橘乃をお願い!」

 彼女の声は涙で割れていた。


 要は、離れた所からふたりにお辞儀をすると、ハイヤーの目撃情報を源一郎にも伝えるように執事に頼みながら助手席に乗り込んだ。 ドアが閉められると同時に、新藤が普段ではありえないほどの乱暴さで車を発進させた。


「靖国通り、軽く渋滞しているそうだ。 追いつけるかもしれない」

 カーラジオから流れる交通情報を頼りに、大きな車体が通行するには申し訳ないほどの細い路地を、要を乗せた車がすり抜けていく。 途中、車は件の靖国通りを横切っていったが、要は新藤の判断に任せることにした。 ベテラン運転手である彼の頭の中には、都内の詳しい地図が叩き込まれているはずだ。


(どうか……)


 焦る気持ちを必死で抑え込みながら、要は祈るような気持ちで窓の外に目を向けた。 夕方でもないのに、空がだんだんと暗くなっていく。 にわか雨になるかもしれない。 カーラジオの交通情報の間に挟まれた天気予報が、埼玉の方では既に大雨になっていると告げている。


「靖国通りを西に進んでいるってことは、行先は新宿のセレスティアルホテルかな」

 信号待ちの時に、要は新藤にたずねてみた。

「わからんぞ。 内堀通りか市ヶ谷あたりで南に折れて、赤坂ってこともある」

 そんなやり取りをしているそばから、無線を通じて誘拐ハイヤーの追加情報が入ってきた。  車は、市ヶ谷の先で渋滞中の靖国通りから外れて四谷の方向に向かっているとのこと。 要たちは、新宿通りを四谷に向かって走行中である。


「だいぶ距離が稼げたな」

「この分だと、四谷見附で追いつけるかもしれないね」

「そうだな。 問題は、そこであちらが右に曲がるか直進するかだ」

「うん」

 要は、前方に目を凝らした。 外は急激に暗さを増しており、車のライトや街灯が灯り始めていた。 信号をふたつほど通り過ぎたところで、とうとう雨が降り始めた。 四谷見附と呼ばれる交差点は、もう目と鼻の先である。 新藤が、ワイパーを起動させた。 規則正しいリズムを刻みつつワイパーが5回ほど往復運動を繰り返した時、要たちの車の十数メートルほど先にまで迫った四谷見附の交差点を一台の黒い車が横切って行った。 

 勘違いかもしれないが、要は後部座席に女性らしき人影を見たような気もした。


「あの車!」 「豊本自動車の黒のミレニアム!」

 前方を指さす要と新藤が同時に叫んだ。 信号が変わると、要たちの車は、橘乃を乗せた車を追いかけた。 

「どうする? 無理矢理後ろに付けるか?」

 新藤は、自分の前にいる5台ほどの普通車を追い抜く気満々だったが、要は、前方と睨みつけたまま、「いいえ」と答えた。

「あの車に冬樹さんが乗っているかもしれないから」

 冬樹がこちらに気がついたら何をするか、要には予想がつかない。 橘乃の安全を最優先に考えたら、下手に刺激しないほうがいい。 それに、目的地は、そう遠くないと思われた。 外堀沿いのこの道路を進んだ先には、ホテル・セレスティアル赤坂がある。 セレスティアルの中でも特に若者に人気のあるホテルだ。 

 だが、要の予想に反して、橘乃を乗せたハイヤーは、ホテル・セレスティアル赤坂を左手に見ながら通り過ぎていった。 


「なに? どこまでいくつもりなんだ? 六本木? 麻布? 恵比寿? それとも……」

「まさか、品川のセレスティアルまで行く気なんじゃ……」


 要たちの動揺を知ってか知らずか、橘乃を乗せたハイヤーは、六本木の交差点を曲がったところで急に細い道に入っていった。 短い間隔で幾つかの角を曲がるハイヤーを、普段の温厚さをかなぐり捨てた新藤が悪態をつきながら追いかける。 数分の後。 橘乃を乗せた車は、一階に寿司屋のある割合に大きな雑居ビルの横で停車した。

 橘乃が周囲の様子を確かめるようにしながら車から降りてくるのが、要にも見えた。 車に乗っていたのは、運転手を除けば、どうやら彼女ひとりだったようだ。


「橘乃さん!」

 要は車を降りて橘乃に声を掛けた。

「要さん?! ああ、よかった」

 彼の声を聞きつけた橘乃が、要以上にホッとした顔で彼に駆け寄ってくる。 

「いつも通る道と違う気がするし、なんだか怖そうな所に車が止まっちゃったから、どうしようかと思ったわ。 食事会の前に私にどうしても見せたいものがあるって、なんですの?  ところで、ここ、どこなんでしょう?」


 どうやら、彼女は、自分が攫われかけていたことに気がついていなかったらしい。 そのうえ、ここに彼女を誘ったのが要だと思い込んでいるようだ。


(でも、とにかく見つかってよかった)

 要は橘乃を引き寄せた。 バランスを崩した橘乃が頭から彼の胸にぶつかってくる。

「え? あらら? 要さん?」

「よかった」

 状況が呑み込めずにおたおたしている橘乃を、要は強く抱きしめた。





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