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誕生日には歌を  作者: 風花てい(koharu)
38/86

恋の障害 7

 冬樹から贈られた花は、数にして、およそ3000本。 


 それらを小分けにしてラッピングする作業は、事務室で行われることになった。 予定外かつ急ぎの作業であるため、作業のための人員は比較的時間に追われていない各セクションから

10名ほどが集められた。 

 現在事務方である要も、手伝うことにした。 

 橘乃も嬉々として彼の後ろについてきた。 自分も手伝うのだと張り切っている。


「手伝いなんかいいですよ。 橘乃さんはお客さまなんですから、ゆっくりしていてください」

「だって、私のせいで皆さんの仕事が増えるのですもの。 私だけ遊んでいるわけにはいきません」

 橘乃は譲らなかった。 責任を感じているというよりも、自分だけが仲間外れにされるのが嫌であるようだと、要は察した。


「では、お言葉に甘えて手伝ってもらいましょうか」

「やった~!」

 要が許可を出すと、橘乃は両手を上げて喜んだ。 


「遠慮しないで、こき使ってくださいね」

 弾むような足取りで要を追い越して、橘乃が事務所に飛び込んでいく。

「……。 なにが、そんなに楽しいのやら」

 彼女の姿を目で追う要の口から、苦笑混じりの呟きが漏れた。 

 しかし、彼女を腐しているように聞こえかねないその言葉に、彼の悪意は些かも籠っていない。 むしろ逆。 

「他人に気を遣ってばかりの要にしては、珍しいことを言うもんだ。 それだけ彼女に気を許しているってことかねえ」 

 要の内心を見透かすかのようなことを言いながら、自称『茅蜩館一番の暇人』ことオーナーの八重が彼の横に並ぶ。 

 祖母の今日の着物は、生成り色をした絽の色無地だった。 紋付の黒羽織を腕に掛けているところをみると、準備作業だけではなく、客の前に出て花配りをすることまで手伝ってくれるつもりであるようだ。


「可愛い子や綺麗な女の子はいくらでもいるけど、それに加えて骨惜しみしない子っていうのは希少だ。 ああいう子と一緒になってホテルを支えてくれると、私も、安心してあの世に旅立てるんだけどねえ」

「お祖母さま。 『旅立つ』なんて縁起でもない」

「私ももう歳だもの。 それぐらいのことは日常的に考えるさ。 とはいえ、できることなら曾孫の顔を見てから久志の所に逝きたいものだね。 しかしまあ、随分と沢山あるねえ!」

 眉をひそめる要に冷やかすような笑みを返すと、八重は前方にある大量の花に目を丸くしながら声を大きくし、自分の登場を室内の者たちに知らしめた。


「だけども、好きな人の目の触れる場所にこんな花があったら、いかにも目障りだ。 さっさと配って、なくしちまうに限るね」

「そんなつもりは……」

 要への当てこすりであろう言葉に、なぜか橘乃が顔を赤らめる。 

 思いがけない橘乃の反応に八重は気を良くしたようだった。 「ああ、ごめんなさいね。 要に言ったつもりだったんですよ」と言葉では謝りながらも、反省の気持ちなど微塵も感じさせない笑顔で橘乃に近づいていく。 


「この子ったら、自己主張が少なすぎるっていうんですかね。 不甲斐ないっていうか、傍で見ているとイライラするんですよ。 好きなら好きで、さっさと手でも口でも出しゃいいのに。 そうでないと、好かれるほうだって困るってもんでしょうが? 昨日だって……」

「お祖母さま!」

 梅宮は必死になって祖母を止めた。 

 このままにしておくと、彼女が何を言い出すかわかったものではない。 周囲の人間は、八重に翻弄されるままに動揺する要と更に顔を赤くしている橘乃を、明らかに面白がっていた。 調子に乗った八重は、嬉々として橘乃の隣に陣取り、花にセロファンを巻きつけながら、橘乃と冬樹の食事風景を防犯カメラを通して見学した時の様子を皆に話して聞かせ、同じ席で隆文が香織と結婚したいと語ったことを公表して香織を慌てさせた。 


 多くの者が香織と隆文の仲に以前から気が付いていたというのは事実であるようで、皆は八重からもたらされたニュースを聞いて大いに喜んだ。 ただし、香織の父親だけは別。 早朝のうちに隆文と話をしたものの、彼は、まだ気持ちの整理はつけられないようだった。 祝辞や冷やかしの言葉が飛び交う部屋の中で、彼だけが、むっつりとした顔で花の処理に勤しんでいた。 

 香織の父親の気持ちを慮った八重は、すみやかに話題を変え、要が周囲の理解を得て次の総支配人に認められたことや将来的には彼が茅蜩館全体をまとめ上げていくだろうことを誇らしげに発表した。


「ということは、相続問題が解決したということですよね? だったら、私が次のオーナーになることは辞退したほうがいいですよね?」

 橘乃が遠慮がちに八重に申し出る。 

「いえいえ」

 八重と要の声が重なった。

「ホテルの次の持ち主は橘乃さんです。 いったん差し上げると言った以上、そのお約束を違えるつもりはありません」

 八重がキッパリと宣言した。 


「あれだけ揉めていた相続問題が解決できたのは、ひとえに六条さんのおかげです。 あの方が動いてくださらなかったら、私たちは、この先の何十年も身内同士で争い続けていたに違いありません」

「そうですよ。橘乃さんに辞退された途端に、また揉めたら困ります。 だから、ホテルは橘乃さんがもらっておいてください」

 花束に添えて配ることになっているチラシの束を持って事務室に入ってきた貴子が、橘乃に勧めた。 

 貴子は、昨夜からずっと上機嫌だった。 始めから茅蜩館の金銭的な価値に執着していないだけに、彼女の表情は、八重以上に晴々している。 

「これでやっと――20数年ぶりに通常の営業体制に戻れるってものですよ。 小さいホテルなんですもの。 争わずに協力しあったほうが絶対にうまくいく。 それもこれも、六条さんと竹里冬樹が、引っ掻き回してくれたおかげです」 


「父だけじゃなくて、冬樹さんも?」 

「ええ。 腹の立つ男でしたけどね」

 驚く橘乃に貴子が微笑んだ。 「でも、あれぐらいに失礼な男じゃないと、要の闘争心に火がつくこともなかったでしょう。 彼のおかげで、要が堂々と『これからの茅蜩館がどうありたいか』をみんなの前で語ることができました。 そのおかげで、横浜と鎌倉のふたりも彼を認めてくれました。  将来的には――そう、あと15年ぐらい先でしょうか――要が茅蜩館ホテル東京の総支配人を任されることになるでしょう。 もちろん、オーナーとなった橘乃さんが、それを承認していただければの話ですが」

「もちろんしますわ! よかったですね、梅宮さん!」

 橘乃が晴れやかな笑顔を要に向けた。 

「どうも」

 照れくさいこともあって、要は遠慮がちに頭を下げた。 「もっと大っぴらに喜びなさいよ」と、八方からヤジが飛んだ。


「ですから要のことは…… そうですねえ。 あなたがオーナーになった頃のホテルの運営面での代表者であり相談相手だと考えていただければいいでしょう。 もちろん、夫にしてくださってもかまわないですよ」

 有能な茅蜩館ホテル東京の現総支配人は、要を売り込むことも忘れなかった。 そして、やはり有能であったので、要に諌められるような隙を与える代わりに、次の仕事を割り振った。


「お花を配る場所ですけど、八重さんは本館8階をお願いします。 浩平と隆文を交代でつけますね。 要と橘乃さんは、ランチとディナータイムの別館3階とティータイムのラウンジね。 数が多いから頑張って。 私は、本館2階を担当します。 それぞれのフロアマネージャーもいるし、他にも人を回すから、彼らと相談しながら休憩を取ってください。 ああ、そうだ。 その前に、橘乃さんはスーツに着替えてもらいましょう。 そのままじゃ、いかにも《お客さま》みたいだから」

「みたいじゃなくて、彼女は、お客さまなんですけど」

 要は養母に思い出させた。 だが、棒投げをねだる犬みたいな笑顔で貴子を見つめている橘乃の横で彼がそんなことを言ってみたところで、なんの説得力もありはしない。 当然のように、彼の指摘は聞き流された。 


「それに、どうして僕と橘乃さんをペアにするんですか?」

「だって、いきなり橘乃さん独りでやらせるのは可愛そうじゃないの。 ねえ?」

「足手まといにならないように頑張りますので、よろしくお願いします」

 貴子にうなずきつつ、橘乃が要に頭を下げた。 彼女に、ここまで謙虚な態度に出られると、要としては反対しづらい。 「本当に、そんなことまでさせちゃって、いいんですか」と確認を取れば、「こきつかってくださいってお願いしたでしょう?」と、彼女が笑う。 


「ならば、僕とよりも、橘乃さんとお祖母さまが組んだほうがよくありませんか?」

 要が提案したのは、現オーナーと次期オーナーのペアである。 

 八重は顔が広いから、ホテル内に立っているだけで知り合いが寄ってくる。 得意客に橘乃を紹介してもらう好い機会にもなるだろう。 

 これについては、貴子も「いい考えではある」と認めてくれたものの、やはり却下された。 

 話好きの八重と、やはり話好きの橘乃。 このふたりに組ませたら最後、客とのおしゃべりに夢中になって本来の任務を忘れてしまうに違いないと彼女は言うのだ。 

「だから、今日はやめたほうがいいと思うのよ」

「そうだね。 今日は、できるだけ広く浅く話したほうがよさそうだから。 私は浩平たちに見張っていてもらうことにするよ。 橘乃ちゃんとは、今度にしようね」

 八重が残念そうに橘乃に微笑みかける。


「それに、持参金の噂を聞きつけた輩がこれ以上寄ってこないうちに、要と橘乃ちゃんが仲良くしているところを、なるべく大勢の人に見せつけておかなくちゃ。 この先、冬樹みたいなのが次から次へと現れたんじゃ茅蜩館としては堪らないわ」

 着替えるために出て行った橘乃を見送りつつ、貴子が拳に力を込める。

「それが本当の目的ですか」

 要は呆れた。 だが、本当に非難されるべきなのは貴子ではないことも、彼は気がつき始めていた。


 嫌いではないし客だから理由からと橘乃に親切にし、客だからと言い訳しているくせに職務の範囲を超えてふたりきりで食事を楽しみ、それどころかキスまでしようとした。 

 ここまでしておきながら未だに態度を決めかねている要に、周囲はイラついているに違いない。 ましてや、当事者である橘乃は、どう思っていることだろう。 


(あらためて言っておいたほうがいいのかな。 『僕も、橘乃さんの求婚者に立候補します』とか)

 だが、二人の仲は既に公然化しつつある。 

 つまり、橘乃と要の仲を取り持とうとする周囲によって既に外堀が埋めきられている状況にある。


(もしも橘乃さんが迷っていたとしたら? 僕がプロポーズすることで、彼女を追いつめることになりはしないだろうか?)

(でも、こういうことは、ハッキリさせておいたほうがいいんだろうなあ)


 その日。 そんなことをウダウダと悩みながら要が仕事をできたのも、橘乃が人一倍働いてくれたおかげで彼が楽をできたからであろう。

 橘乃は足手まといどころか、非常に有能なアシスタント、否、仕事のパートナーだった。 彼女は、見知らぬ客に対して消極的になることがなかった。 昼間の洋食バイキングに訪れた賑やかな女性たちのグループにも、お茶の到着を待つカップルのテーブルにも、彼女は率先して話しかけ花をプレゼントしていった。 客との受け答えも、そつがない。 それどころか、『今日のバイキングで最も気に入ったメニュー』や『新しくなる茅蜩館に何を期待するか』といったことまで、難なく客たちに話させてしまっている。


「天職なんじゃないですか?」

 かなり遅めの昼食を兼ねた休憩時間に漏らした感想は、要の素直な気持ちであった。 


「ちゃんとやれてました? 初めてだから、私、ドキドキしちゃって」

「その言葉、謙遜にしか聞こえませんよ」

「あら、言ってくれますね」

「あ、すみません。 気に障りましたか?」

「いいえ、全然。 嬉しいわ」

 慌てる要に橘乃が笑いかけた。 「だって、梅宮さんって、これまで、私に対して、とても堅苦しい話し方をされていたでしょう?」

「そうでしたか? ですが、橘乃さんは、当ホテルに宿泊されているお客さまです。 砕けた物言いはすべきではないと思うのですが」

「それが堅苦しいっていうんです」

 橘乃が不満げに頬を膨らませた。

「それは、申し訳ありません。 ……じゃなくて、『悪かった。ごめん』?」

「そのほうがいいわ。 ねえ」

 要が言い直すと橘乃は満足げに微笑み、手にしたナイフとフォークを皿に置いて、要のほうに顔を突き出した。

「少しだけ気を許した態度を取ってくれたってことは、私も、ここのホテルの仲間として認めてもらったと思っていいの?」

「橘乃さんは、とっくに皆から仲間扱いされていると思いますが」

 しかも、たったの3日間で…… 驚くべき適応力である。 


「それは、ありがたいことだけど、私が訊きたいのは、『要さんも?』ってことです。 あ、私も、『要さん』って呼んでもいい? だって、みんなが『要さん』なのに、私だけ『梅宮さん』って苗字で呼ぶのが寂しいんですもの」

 要の了承を得るのを待たずに名前で呼びかけた橘乃が、突然バツの悪そうな顔になった。

「ごめんなさい。 ずうずうしい……ですね?」

「いえ、全然」

 橘乃にどう呼ばれようと要はかまわない。 それより、せっかく親しげに名前で呼ばれるようになったのだ。 これを機に、自分も、「橘乃の求婚者として名乗りを上げる」と、はっきりと彼女に意志表示をしておこうと要は決意した。


「橘乃さん! あの!」

「ところで、要さん。 このホットケーキって、カラメルソースじゃないですか?!」

 勢い込んで話しかけた要の気持ちを挫くように、橘乃が話題を転じた。 


「え? ええ。 昨日食べてみたら美味しかったので、今風にアレンジして復活させられないかという話になったんです。 それで試作品を作ってもらおうということになって……」

「へえ、そうなんですか~ 復活させるんですか~ へえ~」

 皿を目の高さに掲げながら、橘乃が大いに感心したようにうなずく。 

 その後も、橘乃は、まるで沈黙によって間が空くのを恐れるかのように次々に話題を変えていった。 もともと賑やかな女性ではある。 だが、それにしても、表情や手ぶりがいつも以上に大袈裟だ。 視線も要に合わせようとしない。


(もしかして、この話題には触れてほしくない、の、かな?)

 そうならば、橘乃を困らせることまでして無理に話すこともあるまい。 要は橘乃のしたい話に付き合うことにした。 

 

 休憩後の橘乃も、オルゴールの上でクルクルと回るバレリーナの人形のように、テーブルからテーブルへと活動的に動き回った。 おそらく八重か貴子が余計なことを話したのだろう。 夜になると、食事を終えた得意客が何人かが、わざわざ橘乃と要を冷やかしにやってきた。


「まだ結婚すると決まったわけじゃありませんよ。 それに、要さんにだってお好みがあるでしょうし」

「大変ありがたいお話だと思っております。 ですが、私ごときでは、橘乃さんとは釣り合わないのではないでしょうか」

 はぐらかしたり謙遜したり。 要も橘乃も、互いへの好意は感じれるものの決定的な言質を残さぬまま、疲れ切ってその日の仕事を終えた。


 翌日、橘乃は、大勢の職員に見送られて家に帰って行った。

 彼女がいなくなった途端、ホテルの中……特に要の周辺が急に静かになった気がした。  

 そのせいだろうか。

 要の嫌いなアブラゼミの声が、いつも以上にけたたましく聞こえてしかたがない。


「会いに行けば?」

 橘乃の帰宅から一週間ほど経った頃。 ぼんやりすることが多くなった要を見かねたのか、貴子が勧めた。 


「あんたはもう待たされるだけの子供じゃないでしょう? 場所さえわかっていれば、自分の意志で誰にでも会いに行けるのよ。 もちろん、橘乃さんにもね」

「そう、ですね」

 橘乃は、要を待たせたままいなくなってしまった彼の両親やボタンでもなければ、突然亡くなってしまった久志でもない。 そして、橘乃が六条家にいることも確実である。 


「そうですね。 次の休みにでも」

 彼女に会いに行ってみよう。 要はそう思った。


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