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誕生日には歌を  作者: 風花てい(koharu)
20/86

3人の偽物 4

 

 梅宮貴子と名乗った女性は、自分は久志の妹であると言った。

 言われてみれば、どことなく顔立ちが久志と似ている。でも、一番似ているのは髪だった。久志や要と同じく、肩よりも少し長い彼女の髪も、パーマで整えているわけでもなさそうなのにウネウネと波打っていた。


「総支配人が、お兄ちゃんなの?」

「そうよ。ただし、兄と同じなのは、ろくでなしの父親だけなんだけどね」

 ひどく嫌なことを思い出したかのように、貴子が鼻の頭に皺を寄せる。

 

「でも、驚いたわ。久志兄さんが、うちのホテルに引っ張ってこようとしていた子が、まさか、こんなにちっちゃかったなんて」

「僕、知ってるよ。茅蜩館っていうんだよね?」

 呆れ顔の貴子に、要は得意げに言った。 

「お城みたいに立派なんでしょう?」

 ボタンが、彼に、そう教えてくれた。

「さあ、どうかしら?」

 膝を曲げて目の高さを要と同じにした貴子が、思わせぶりな笑みを浮かべて誘う。「ねえ。これから行って、自分の目で確かめてみない?」

「いいの?!」

 要は、大喜びで貴子の手につかまった。


 孤児院からホテルまでの道のりは、今にして思えば、それほど長くはない。 

 だが、道すがら、要は貴子と沢山の話をした。久しぶりの外出であったし、ホテルに行けば久志やボタンにも会えるだろうという期待もあったから、あの時の彼は、いつも以上に陽気に、そして饒舌になっていたのだろう。

茅蜩ひぐらしって、カナカナゼミのことだよね?」

 スキップしながら、要が彼の手を繋いでくれている貴子を見上げる。

「そうよ。カナカナって鳴くからカナカナゼミ。鳴く時期には、まだ早いようだけど」

 茅蜩館ホテルまであと少しの距離という所で、貴子が、皇居の水堀の向こうのこんもりとした緑に顔を向けた。要も、貴子を真似て耳を澄ます。アブラゼミとミンミンゼミが、引っ切り無しに通り過ぎる自動車の騒音をかき消すような勢いで、声を限りに鳴いている。秋の訪れが遠くないことを告げる茅蜩の声は聞こえない。貴子が言うとおり、茅蜩の出番は、まだ先のようだ。


「あのね。 要くん」

 無心になってセミの声を探す要の背後から、ためらいがちに貴子が呼びかけた。


「久志兄さん。 死んじゃったの」

「                    え?」

「死んじゃったの」


 言われている言葉の意味が呑み込めずに、きょとんとした顔で振り返った要に貴子が繰り返す。久志が亡くなったのは2か月前。事故だったそうだ。


「嘘だよ」

 目を見開き強張った笑みを口元に浮かべながら、要は、イヤイヤをするように首を振った。

 信じられなかった。信じたくなかった。今日会ったばかりの、この楽しいお姉さんが冗談を言おうとしているのだと思いたかった。だから、笑おうと思った。けれども、笑えなかった。


「だって、ボタンは……」

「ボタンは、ホテルを辞めたわ」

 4か月ほど前、つまりボタンが最後に要に会いにきた頃だという。 

「ほら。やっぱり、嘘だ」

 要は、勝ち誇ったように笑みを作った。 


「だって、ボタンは、総支配人と仲直りしたって言ったよ。だから、ホテルを辞めたりしないもん。総支配人が死んじゃうわけないもん」

 彼は、一生懸命になって貴子に訴えた。だけども、貴子は、悲しそうな顔で要を見下ろすばかりで、彼の言葉を否定も肯定もしてくれなかった。彼女が何も言い返してくれないせいで、要が『嘘だ』と言えば言うほど、彼が言っていることが、どんどん嘘っぽくなっていく。


「嘘だよ! やだよ! そんなの! そんなの…… 嘘だ……」

 言葉が尽きた要は、とうとう泣き出した。


 久志が、ボタンが、いなくなってしまった。

 要は、また独りになってしまった。  

 また、要だけが置いていかれてしまった。 

 両親がいなくなってしまった時よりも、ずっと悲しくて、ずっと寂しいと思った。

 彼らが恋しかった。もう一度だけでいいから、久志とボタンに会いたかった。


「君は、兄さんのために、そんなに泣いてくれるのね。ありがとうね」 

 いつまでも泣き止めない要を、貴子が、夏の日差しに焼かれた歩道に膝をついて抱きしめてくれた。

「兄さんのこと大好きでいてくれたのね。ボタンとのことも気が付いてたんだ? それほど会う機会もなかったでしょうに。ふたりは、それほど君に心を許して……」

 ふいに、貴子の声が途切れた。 

「そうよ。あの子たちよりも、この子のほうが、よっぽど……」

 涙と鼻水でぐちょぐちょになった要の顔を、食い入る様に貴子が見つめる。


「決めた! 来て」

 貴子が要の手を強く引っ張った。連れて行かれたのは、当初の予定通りの茅蜩館ホテル。入ったのは本館の正面玄関からだった。同時の本館は、増築を兼ねた復元再生工事を済ませたばかりであったし、東京とはいえ今のようにビルだらけではなかったから、石造りの洋館を基礎にした見上げるような建物に、要は圧倒された。


「うわあ」

 要は、ため息めいた感嘆の声をもらした。だが、貴子はひどく急いでいるようだった。要が両側に大きく開く重厚な玄関扉やお寺のように高い天井や色違いの床板が描く幾何学模様などをじっくり眺めてみたいと思っても、彼女は足を止めることなく、彼をホテルの奥へ奥へと連れていく。


「おや、そちらの可愛らしいお客さまは、どなただね?」

 ただならぬ気配を漂わせながら脇目も振らずに直進する貴子と要に、温和そうな蝶ネクタイの男性が声をかけた。

「久志兄さんの子供よ!」

「え? また増えたっていうのか?」

「ち、違うよ!」

 驚いた顔で自分を凝視した男に、要はプルプルと首を振った。


 ■ □ ■ □ ■



「『違う』と、本人が言っているそうじゃないか」


「だから、なに?」

 数時間後。 『久志の新しい隠し子発見』のニュースを聞いて集まってきた大勢の親戚に向かって、貴子が傲然と言い返した。


 長いテーブルを挟んで、貴子と要そして八重が、大勢の大人たちと向き合っていた。その誰もが不審と敵意の籠った視線を遠慮なく要に向けている。そんな彼らよりもより近い場所で、ふた組の大人の男性と男の子の組み合わせが長いテーブルを挟んで要たちと向き合っていた。ひと組目は、久志と貴子の実の父親の久助と彼が連れてきた浩平、他のひと組は、当時の横浜の茅蜩館ホテルの責任者であった松雪の大叔父と隆文である。もっとも、この場では互いに互いを紹介し合うことをしなかったので、要は、「この人たちは誰なんだろう?」と漠然と思っていただけだった。

 

 だが、誰がわからなくても、向かい合う人々が自分に怒っているようだということは、要にもわかる。ものものしい雰囲気に圧倒された要は、彼らの視線から逃げるように後ろを向いた。驚いたことに、要の後ろにも、大勢の大人たちが集まっていた。コック帽や蝶ネクタイ、白いエプロンのついた水色のお仕着せのワンピースといった彼らの衣装から察するに、このホテルで働く人々であるようだ。 仕事を抜け出してきたらしく、水色のワンピースを着た女性は、手に雑巾を握っていたし、ワイシャツに蝶ネクタイ姿の男は、銀色のお盆を小脇に抱えていた。


 不安でいっぱいの要を励ますように、長くて重そうな麺棒を木刀のように肩に担いでいるコックが笑いかける。コックの隣にいた女性の唇が、『だ・い・じょ・う・ぶ』と、ひと音ひと音を区切るようにして形を作った。要は彼らにうなずくと、聞き手として話し合いに参加すべく、おとなしく前を向いた。

 

 前方では、貴子が久助と大叔父を非難していた。

「違ってたって、いいじゃないのよ。他のふたりの子供も、どうせ偽物なんだから。久志兄さんに隠し子なんて…… ふたりとも、よくもそんなデタラメが言えたものだわ!」

 貴子がテーブルを拳で叩いた。「兄さんはね、こと女性に関して言えば、私たちが呆れるぐらいに融通が利かない生真面目な人だったの。なぜならば、父親がチャランポランな人だったから。母親の八重さんに散々迷惑をかけた張本人だったから。『絶対に父親みたいな男にだけはなるまい』って決めていたから」

 『そうだ、そうだ』『そのとおりだ』と、後方から久志を擁護する声があがった。


「俺のせいかよ?」

「他の誰のせいだっていうのよ?」

 貴子が、ふて腐れたように背を丸めた実父と睨み合う。 

「あんたが勘当されたおかげで、お嫁さんだった八重さんが、どれだけ肩身の狭い思いをしたと思っているの。それだけじゃない。あんたは、あんたがあちこちで関係した女との間にこさえた子供の世話まで八重さんに押し付けた。これだけでも充分迷惑なのに、今度は、八重さんの頭越しに相続のことで大ゲンカって…… ふざけるのもいい加減にしなさいよ!」

「ふざけてなんかねえよ。このホテルは、もともと俺のだ。俺のものを取り返そうとして、なにが悪い? っていうか、俺は久志の本当の子供にホテルを相続させてやろうと骨折ってやってるんだぞ。八重に文句を言われる筋合いはねえよ」

 久助は、悪びれもせずに、しゃあしゃあと言ってのける。「それに、お前の面倒を見てくれなんて、俺は八重に頼んじゃいない。お前の母親が死んだ後、こいつが勝手にお前の世話をすることにしただけだ。それに、お前が俺の子とは限らないだろう? お前の母親は芸者だったんだ。男なんざ、俺以外にもいくらでも……」

「あんたねえっ!」

 基本的に手の早い貴子が、おもむろに立ち上がる。久助に掴みかかろうとした彼女を、かろうじてコックが麺棒を使って羽交い絞めにした。

「落ち着け」と諭されて、貴子は、うっとうしげに麺棒を振り払いつつ席に戻った。

「私も、あんたの子じゃなかったら、どんなに嬉しいことか」

 悔し紛れの貴子の言葉に、彼女よりも若い男女が重々しくうなずいた。おそらく、その人たちも久志の腹違いの兄弟なのだろうと要は思った。


「それはさておき」

 貴子が話を戻す。「兄さんは真面目な人だった。戦争中の疎開とその後の病気療養で、祝言を上げたものの一度も一緒に暮らさないうちに離婚させられちゃった奥さんに気兼ねして、彼女が亡くなるまで再婚さえ考えなかったくらいに義理堅い人だったの」

 久志には、ずっと前から好きな人がいたという。しかしながら、彼は、前妻が存命している間は、その気持ちさえ自覚しようとしなかったそうだ。

「好きな人? あの朴念仁に、そんなもんがいたのか?」

 隠し子なるものを連れてきた張本人のくせに、久助が意外そうな顔をする。


「ボタンよ」

「ボタンって、あの若い元パンパンか? おいおい。いくらなんでも、あんなに若い別嬪さんが、久志みたいなオッサンと……」

 身を乗り出し片眉を吊り上げる久助に対して、「問題なのは年齢差じゃありませんよ。それより、茅蜩館の女主人が元パンパンでは……」と、松雪の大叔父たちが眉をひそめた。

「そうよ。年齢差とか、ボタンの元の職業とか、いろいろと障害になりそうなことがあったから、どちらにも遠慮とか気兼ねとかあって、なかなか先に進まない恋だったわ。でも、私たちはみんな、ふたりのことに気が付いていた。傍で見ていて、じれったかったわよ。そうよね?」

 貴子が背後のスタッフを振り返る。彼女の言葉を裏付けるように、彼らは大きくうなずいた。


「八重さんも、気が付いていたのか?」

「まあ…… そうですね」

 松雪の大叔父たちに問われて、八重が申し訳なさそうに微笑んだ。


「4、5年前には、貴子がいうところの『じれったい』関係になってましたね」

「ちなみに、ボタンさんは、今は?」

「久志が亡くなる数が月前ですかね。久志が、ようやっとボタンに結婚を申し込んだと思った途端に逃げだしてしまいまして」

 行方を捜しているのだが、見つからないのだという。『ボタン』の名を聞いた途端、要は、また寂しくなった。

「なるほど。ボタンさんは、久志さんや八重さん、あるいは私たちに気兼ねして身を引いてくれたというわけですか。久志がいくら好きでも、ボタンさんという人がどれほど過去を悔い改めていようと、うちには、元パンパンだってだけで結婚を反対するような親戚がごまんとおりますからな」

 松雪の大叔父が、自分の背後にいる親戚たちを振り返りつつ苦笑を浮かべる。


 親戚に担ぎ上げられていることから彼らを代表して八重に対して厳しく接する場面も多々あるものの、今は亡き大叔父自身は割合に話のわかる人であった。彼は、「若いお嬢さんと二股かけられるほど、久志は器用ではないわなあ」と笑いながら、自分が連れてきた隆文を見た。

 隆文は、この時、4歳になるかならないかの頃であった。ちなみに、浩平は隆文よりも若い。彼らが本当に久志の子供ならば、久志は、ボタンに恋心を抱きながら、彼らの母親とも深い関係になっていたことになる。


 往生際の悪い久助は、それでも、「わかった! この浩平はだな、ボタンと久助の間の隠し子だ! みんなが反対するのを恐れて、ふたりが隠して育ててたんだ!」という無茶を言いかけた。だが、周囲の冷たい視線にあって口ごもり、「それでも、浩平は久志の子供だ。証拠の手紙や写真だってあるんだからな」と開き直った。


「こんなのがいるからね」

 大叔父が、息巻いている久助に顔を向けつつため息を吐く。

「このバカ兄の実の弟とはいえ、私は、幼い頃に養子として恵庭の家を出た身だ。本当のことをいえば、こんなふうに相続で家の中をかき回すようなこと、私だってしたくはないんだよ。でも、バカ兄のせいで、先祖代々続いた茅蜩館を武里グループに乗っ取られるかもしれないって時に黙っているわけにもいかない。それに、八重さんが東京の茅蜩館を仕切ってくれることはかまわないんだが、みんなの言うとおり、八重さんの亡き後、ホテルの権利が、客商売のことをなんにも知らない八重さんの実家に渡るというのも、どうもね」

「松雪の叔父さまのお気持ちは、わかります」

 貴子が神妙な顔でうなずく。「ついでに言えば、もしも、この極道親父が浩平くんを使って首尾よくホテルを手に入れたとして、彼が死んだ後に、彼の血縁ではあるけれど親父に捨てられた私や時男や輝美にオーナーのお鉢が回ってきて、また相続で揉めるのも勘弁してほしいです」


『だから、このまま、この争いを続けることにしませんか?』と、貴子が提案した。


「どの子が久志兄さんの本当の子か? ……なんていう不毛な争いはやめて、これからの茅蜩館を担うにふさわしい者を、これから、このホテルのみんなで育てるんです。そして、この子たちが成長した時に、次期オーナーにふさわしいと思う者を八重さんに決めてもらうんです」

「なるほど、血の繋がりに甘えるばかりの、ホテルにとって害悪にしかならない跡取りを生み出してしまった茅蜩館としては、それもいいかもしれないね」

 貴子の案に乗ったほうが、久助と武里グループを排除できる確率が高いと踏んだのだろう。というよりも、実兄を心底疎んじている大叔父は、実父を心底憎んでいる貴子と同じく、次のオーナーを決める時期をできるだけ先送りにすることを望んだのかもしれない。久助も歳だ。 時間が経てば経つほど、久助にホテルが渡る可能性が減るだろう。(実際、現時点で、久助は亡くなっている)

 大叔父は、貴子の提案を受け入れた。鎌倉の茅蜩館ホテルを預かる人々も、それでいいと言った。久助も、散々渋りはしたものの、数の力に圧される形で貴子の提案を飲まされた。


「でもよう。そのガキまで跡取り候補に入れるつもりか?」

「そうよ。文句ある?」

 要の肩を両手で支えつつ、貴子が挑発的な眼差しを久助に向けた。

「要くんは、久志兄さんがスカウトした子なの。この子は、久志兄さんのことも知っているし、とっても懐いていた。ボタンとのことも知ってたわ。なにより、この子は、久志兄さんのために泣いてくれたの。この子ほど、久志兄さんの遺志を継ぐのにふさわしい子はいないと思う」

「だけどね。いくら親しかったとしても、その子の場合は、久志と何の血の繋がりがないことは、100パーセント確実なのだろう?」

「だから、なんですか?」

 貴子が大叔父に対して身構える。「私は、血縁者がホテルを継ぐべきとかなんとか言って八重さんを除け者にしたくせに、血の繋がりなんかなんにもない兄さんの偽の子供を仕立てることまでしてホテルを手に入れようと躍起になっているあなた方に、いい加減にうんざりしているんですよ。私の後ろにいるスタッフみんなもそうです。だから、私は、いえ、私たちは、これまでホテルに尽くしてきた八重さんをないがしろにするあなた方への抗議の意味を込めて、また、久志兄さんの遺志を代表する者として、要くんの参加を強く求めます」

 貴子の言葉に、後方から拍手が起こった。でも、久助たちは納得しない。


「『参加』って、オリンピックじゃあるまいし……」「いいじゃないのよ。さっきも説明したとおり、結局、どの子も久志兄さんの子じゃないんだから」「いや、だがね」「認めてくださらないのなら、東京の茅蜩館の従業員全員でストライキを決行しますから、そのおつもりで」「ストライキって……」


「ああ、もう! いい加減におし!」

 

 言い争う大人3人に耐えかねたように、それまで、ほとんど無言で話し合いの行方を見守っていた八重が肩を怒らせて立ち上がった。今では珍しくもない光景だが、後で聞いた話では、八重が久助やその血縁者に対して強気に出たのは、その時が初めてだったという。


「要くんも含めて、この3人の子供は、私が自分の孫として責任をもって育てます。 次期オーナーについては、この子たちが大きくなってから考えます。それまで、この子たちの養育について、一切の口出しは無用に願います。以上!」

 呆気にとられている久助や大叔父たちに宣言すると、八重は、子供たちに『おいで』と声をかけた。八重の強気な態度を明らかに喜んでいる貴子が、「行きなさい」と要をうながす。要が立ち上がると、部屋を出て行こうとしている八重に続いた。浩平と隆文も、要に続けて立ち上がった。


「しかしね。 八重さん、それでは……」

「私は嫁なので、皆さんの気持ちを考えて今まで言うのを遠慮しておりました。ですが、現在の茅蜩館のオーナーは、この私です」

 毅然とした態度で、八重が抗議の声を止める。


「次のオーナーを決める権利は、私にあります。これ以上ぐちゃぐちゃ言うようでしたら、私は、この場で、皆さまが『何の関係もない』とおっしゃる要くんに全てを譲ります。そうすれば、誰にも何にも渡らなくて、いっそせいせいするってもんだ」

 全てを吹っ切るように八重が、からからと笑う。彼女は、相対する人々に正面を切ると、「気に入らないなら、裁判でもなんでもすればいいですよ。武里グループであろうとなんであろうと、私は、このホテルを潰す覚悟で受けて立ちます」と宣言した。


 見たこともない八重の気迫に、一同は黙り込んだままだ。八重は、それを承諾と受け取ると要の肩に手をかけ、「では、要くんも入れて三人とも、私が育てるということでよろしゅうございますね?」と、半ば強引に許可を取りつけた。

「心配なさらなくても、私は3人のうちの誰かを特別に可愛がるようなことはしませんよ。実の孫であろうとなかろうと、茅蜩館の子として暮らす以上、ホテルの仕事は手伝わせます。でも、この子たちの誰かが、ホテルのオーナーよりもなりたいものを見つけたら、私は、彼らの《お祖母ちゃん》として、その夢を応援するつもりですよ。『茅蜩館に気兼ねなんぞしなくていいから、やりたいことやれ』と言って、喜んで、ここから送り出すつもりです。それで、よろしゅうございますね?」



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