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誕生日には歌を  作者: 風花てい(koharu)
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3人の偽物 2

『勘当さえされなければ、今度こそ俺は心を入れ替えて真面目に頑張るつもりだったんだ。そうしたら、八重と久志にも寂しい思いをさせずにすんだ。久志だって、若いうちから苦労することもなかった。死なずにすんだんだ』


 久志の葬式に集まった人々の前で、久助は、そう言ったのだそうだ。


 ついでに、『それにな。俺のことを、すっごく買ってくださっている方がいるんだよ。俺がこのホテルを継ぐのなら、あらゆる助力を惜しまない、と、その方は、おっしゃってくださっているんだ』と、得意げに話したという。


「まあ! それって、すごいこと ……というわけではなさそうね?」

 日ごろの癖で脊髄反射的に誉め言葉を口にしようとした橘乃の声が、姉たちの呆れたような視線を受けて尻すぼみになる。


「すごいわけがないでしょう。親に勘当されても、悔い改めるどころか女のヒモになって、のらくらと遊んで暮らしていた人よ。そんな人の何を見て、どこを評価するっていうのよ?」

「うちの旦那さまに言わせれば、お爺さんと呼ばれるような年になるまで女の人に養ってもらえるのも別の意味ですごい才能ではあるらしいけど」

 苦笑しながら、明子が紫乃から橘乃を庇う。「でも、そんな才能を買ってくれる人は、いないでしょうね」


「じゃあ?」

「武里グループよ」

「橘乃も知っているわよね? 電車とか、デパートとか、ホテルとか」

「ええ」

 知っている。武里グループとは、鉄道やデパートやホテルの他にも劇場や映画館などを各地に持ち、観光業や不動産業などにも手を染めている複合企業体である。

 

 久助に声をかけてきたのは、その武里グループの当時の総帥であった竹里剛毅という男だったそうだ。 ちなみに、企業名が『武里』なのに総帥の苗字が『竹里』なのは、この会社がかつて武蔵の国と呼ばれていた地域を中心に展開しているからだと紫乃が教えてくれる。


「竹里剛毅会長は、数年前にお亡くなりになったけれども、大変な辣腕家で知られた方よ。それから、貧しい家に生まれながら努力に努力を重ねて財産を築き上げたという話も有名だわ。そんな人が、お金持ちの家に生まれたってだけで何もしない久助さんを買っているなんて話を、あなたは信じられる?」

「久助さんを『そそのかした』って言ったほうが正しいのでしょうね。そそのかして好い気にさせて、茅蜩館を継ぐのは自分しかいないって信じ込ませた。これ、どういう意味だかわかる?」

 難しい顔をした紫乃と、柔らかい笑みを湛えた明子が、考える時間をくれるかのように口を閉じた。 


「え~と…… 『そそのかした』っていうことは、武里グループは、久助さんを応援したいのではなくて、何か別の目的があって久助さんを利用するつもりだったってことよね?」

 ホテルのロゴ入りの白磁のカップに唇を押し当てたまま、橘乃は視線を宙にさまよわせた。日ごろから能天気な言動がすぎるせいか、橘乃は、物事の暗い面に目を向けるのが苦手だった。それでも、両目を寄せて一生懸命考えてみる。


「ん~……別の目的、別の目的ねえ…… 久助さんを使って何かをする……? 何かを手に入れる…… その何かは……」

 天井を睨みながらブツブツと言っていた橘乃の目が真ん丸になる。 


「本当の目的は、茅蜩館なの?!」

「そういうこと」

 遅まきながらたどり着いた橘乃の答えに満足したように、姉たちが微笑む。

「当時の武里グループは、ホテル業に本腰を入れ始めたばかりだったの。 評判も立地条件も客筋も良い茅蜩館を手に入れれば、事業に弾みがつくってものじゃない」

 当然のことながら、久助の話を直接聞かされた茅蜩館ホテルの関係者一同は、そんな武里グループの企みを敏感に感じ取った。

 

『自分の面倒さえ見られない男を、どこの物好きが買ってくれるっていうんだ?』

『武里グループは、お前を使って、うちのホテルを乗っ取ろうとしているだけだ』

『用が終わったら、お前だって捨てられるだけさ。いったい、どこまで馬鹿なんだ?』

『そういう冗談は、せめて墓前で両親に泣いて謝ってから言いなさい』

 ……と、久助は、叩き出されるようにして、葬儀の場から立ち去ることになった。 


「だけども、話は、そこで終わりにはならなかったのよ」


 数日後。久助は、ひとりの子供の手を引いて茅蜩館にやってきた。 


 そして、言った。 


 『この子は、久志の隠し子だ』。だから、『久志の子供として、認知しろ』と。



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「隠し子って、そんなのどこから……」

「そうなのよ。唐突っていうか、無茶苦茶な話でしょう?」

 呆れる橘乃に、明子が身を乗り出す。


「久志さんって、とても堅物な人だったらしいのね。だから、そんな人に隠し子がいるなんて、誰も信じられなかったそうなの。それに、奥さまがいたことはあったとはいえ、久志さんは独身だったの。好きな人との間に子供ができたところで、隠す必要なんかないわ」

 しかも、隠し子を見つけてきたのが、一族一致で相続を拒否された久助である。そのうえ、久助の背後には武里グループの長である竹里剛毅がついている。胡散臭いこと、この上ない。


 だが、その子供が絶対に久志の子ではないかといえば、そう言い切るのも難しい。久助は、その子供が久志の子供であることを裏付ける『証拠』なるものを幾つか持参していたそうだ。

「子供のお母さんって人と久志さんが仲良く写っている写真とか、子供が生まれた時に、『今すぐは無理でも、いずれ子供の認知をするつもりだ』と彼女の両親に書いて寄越した手紙とかね。八重さんたちを騙すために武里グループが用意したものなのかもしれないけれども、これが、とてもよくできていたらしいの」

 八重や一族が、『久志は、そんな女と付き合ったことなどないと思う』と反論しても、その子供の母親と久志が写っている写真が目の前にある。女に渡したという久志からの書付も、彼の書く字に酷似している。違うに違いないが、本物かもしれない。久志本人が亡くなっているので、偽物だと決めつけるだけの根拠がない。


 子供の母親という女から直接話を聞きたくても、その女も出産後すぐに亡くなっているという。代わりに、女の両親であるという男女から話を聞くことはできたが、彼らの言うことに嘘はないように思えた。なんとかボロを出させようと茅蜩館一族は様々な質問をしてみたものの、彼らの答えは常に辻褄が合っており、少しの綻びも見つけられなかった。

 ちなみに、子供は2歳。「君の本当の父親は誰だ?」とたずねたところで、「父たん。死んじゃったの」と愛らしく首を傾げるばかりである。昔のことだから、DNA鑑定なんてものもない。だけども、自然にウェーブした彼の髪も顔立ちも、どことなく久志に似ていた。


「でも、そんな話をいちいち信じていたら、この世の中、隠し子だらけになっちゃうわよ」

「ならないと思うわ。まともな人間だったら、こんなでっち上げ、恥ずかしくてできないもの」

 ムッツリとした顔の紫乃が首を振る。 

「それに、こんな話、唐突すぎて言われる方だって信じ切れないわよ」

 事実、茅蜩館側は、『子供を認知すべきだ』という久助側の要求を、『久志の子と断定する決め手に欠ける』ことを理由に、いまだに断固として突っぱねている。

「でも、確証がないからといって無下にもできなかったというか…… だって、相手は、小さな子供じゃない?」

 証拠不十分とはいえ、八重にとっては息子の子供かもしれない幼児である。『もしかしたら孫かもしれない』と思ったら、子供を邪険にはできない。それに、どこからか連れてこられた孤児かもしれないが、子供に罪はない。役に立たないとわかれば、武里グループは、この子の保護を即座にやめるだろう。そうなったら、この子の将来は、どうなる? 見捨てるのは、可愛そうだ。

 八重以外の茅蜩館一族にしても、武里グループがこの子供を拒否することで『茅蜩館は情がない』と世間に言い触らす気満々である状況下では、問答無用で子供を追い出すわけにもいかないと判断したようだ。


「だから、八重さんは、この子を自分のところで預かることに決めたのよ」


 その子供が、浩平だという。 


「でも、彼を八重さんのところに残しただけでも、揉める原因になるわけ」


 『八重が浩平を見捨てない以上、彼が久志の子供である可能性は、捨てられていないということだ。浩平が久志の遺したものを継ぐ可能性がある限り、久志の伯父やら従兄やらが、相続に口出しをして、それらを横取りするのはよろしくない』 ……と、武里グループの創始者である竹里剛毅が、他所の家の相続問題に強引に口を出してきた。


「……で、またまた散々揉めた後、ホテルのオーナーは、普通の手続き通りに、とりあえず八重さんが茅蜩館の権利を引き継ぐということで話はついたのだけど」

 気が早いかもしれないが、一族は、八重が死んだ後のホテルのことで心配を始めた。

 

「『浩平さんを本当の孫のように可愛がるようになった八重さんが、彼にホテルを遺したいと思ったらどうしよう?』って思ったようなのね」 

 一族は、浩平が養子として八重の籍に入ることにも、『恵庭』の姓を名乗ることも許さなかったが、それでも足りないと思ったようだ。

「そこで、一族さんたちは、武里グループの息がかかっていない新たな隠し子を、どこかから見つけてきたの。それも、浩平さんよりも、ちょっとだけお兄ちゃんのね」


 それが、2人目の八重の孫。松雪隆文であるそうだ。


「そんなの、嘘でしょう?」

「このさい嘘だってなんだっていいのよ。一族に言わせれば、浩平さんだって、武里グループが用意した真っ赤な偽物なんだから」

 『向こうがズルをするのなら、こちらもズルをして何が悪い』という発想である。


「でも、そんなの酷いと思う!」

 橘乃は、拳を握りしめながら、駄々を捏ねるように首を振った。

「子供もだけど、八重さんが可愛そうじゃない!」

 大切な息子を亡くしたばかりだというのに、欲にかられた人々が、彼の隠し子だという幼児を連れてくる。しかも、ひとりだけではなくて、ふたりである。

 子供たちが本物だというのなら――そう信じられるのならば、まだ八重にも救いがあったかもしれない。だけども、彼らはいかにも偽物である。これでは、清廉潔白だったという息子に泥を塗りたくられているようなものではないか。


「そうね」

 目を潤ませる橘乃に、明子がハンカチを差し出す。

「八重さんが可愛そうよね。みんなで寄ってたかって死んじゃった息子さんの名誉を傷つけて。どこから連れてきたのかわからない子供たちを次々に連れてこられて」

「うん。『ふざけるな!』って言いたくなるわよね。私だったら、きっと言っているわ。嫁だろうと余所者だろうと我慢なんかしない」

 紫乃が気の強いところをみせた。


 そして、八重の周りにも、八重に同情し、あるいは、八重の煮え切らない態度や彼女の気持ちを無視して相続のことで盛り上がっている親戚たちを、非常に苦々しく思っている者たちがいた。現在の茅蜩館ホテル東京の総支配人で久志の腹違いの妹でもある梅宮貴子を初めとした、このホテルで働く従業員たちである。


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