04.鎧の怪物(改訂版)
オレは、索敵への集中を解いて声の発生源へと駆け出し……思いがけない光景を目にした。玉座に見えなくもない古ぼけた椅子の傍でアンナがぐったりと床へ伏せ、そのすぐ隣に立ち上がっている漆黒の鎧に向かって、フェンが双剣で高速の斬撃を放っていた……のだが。
「嘘だろ……?」
その鎧は、最小限の動きでそれを躱してしまった。フェンの実力は、ギルド内でもトップクラスに位置するものと言われており、その剣の軌道を捉えることすら並の探索者にはできないというのに。そこへ、声を聞きつけたヴィーと姫さんが駆けてくる。すぐさま詠唱を始める姫さんを背に、そのままダッシュで漆黒の鎧へと接近したヴィーは、長大なその大剣の間合いギリギリから、その刀身を一気に振り下ろす。駆ける速度をも上乗せしたその一撃は、恐らくミノタウロスやオーガといった、遺跡に生息する大型のモンスターをも一刀両断してしまうだろう。
しかしそれもまた、漆黒の鎧には通じなかった。片手の甲を剣の「腹」の部分に合わせ、振り下ろされれば変えようのないハズの剣の軌道を、無理矢理変えて見せたのだ。コレには、地に伏したアンナ以外のパーティ全員が目を瞠る。
「下がって!!」
そこへ、詠唱を唱え終えた姫さんの声。見ると、十数本の灼熱の矢が、空中に停止していた。本来、相手に火を射掛けるだけのハズのその魔術は、姫さんのその技量と魔力によって、岩をも焼き貫く極悪なものに変貌している。局部的な攻撃力と固体への命中力も高く、アンナの気絶によって保護魔術が切れている現状では、味方への魔術による熱波の影響を一番抑えられる攻撃手段だろう。こんな時でも、いや、こんな時だからこそ、姫さんは冷静だった。
「くっ……」
アンナを抱え、どうにか退くフェン。ヴィーもまた、その場から動こうとしないその「怪物」相手に、慌てて飛び退いた。そこへ、姫さんの放った高速高温の矢が放たれる。鎧の怪物は、それでも片手を上げるだけで動かない。終わった、と誰もが思ったその時……。
「……なんだありゃあ」
「あ、あれは……」
その片手の先、空中に漆黒の空間が開かれ、その直前で、姫さんの放った炎の矢が、まるで強風に煽られてバラバラに飛ばされるボロ屋根のように、魔力へと分解されて吸い込まれていく。やがてそこに現れたのは、その鎧よりも更に漆黒に塗られた剣。いや、「塗られた」というよりも、まるでそこだけポッカリと世界に色を塗り忘れたかのような、異様な存在感がある。……これはマズイ。オレは、その状況を見て撤退を判断し即座に動く。腰につけた探索用ポーチから球状の物体を取り出し、怪物へと投げつける。これも、殿の役目だ。
「退くぞ!!」
探索者御用達の撤退球。それを相手は手にした漆黒の剣で正確に切り裂くが……しかしソレはこちらの思惑通り。切り裂かれた撤退球はその役割を正常に果たし、対象者の視界を遮る煙幕と、それぞれの器官が発達したモンスターを惑わす、特殊な匂いと音を発した。……が、オレはそこで気付く。相手の「気」に、些かの迷いや戸惑いが無いということに。鎧の怪物がいた場所を中心に煙幕が広がる中、オレは駆けた。目指すは、動き出した怪物と、撤退する仲間たちとの間。そして――。
◇
探索3日目。
命からがら、どうにか広間から撤退したオレたちは、一つ上の階層にあった比較的綺麗な小部屋に隠れていた。その部屋の隅には毛布が重ねられ、一人の少女が横たわっている。それを横目に、オレは扉の外の「気」を伺っていた。今のところ、「あの怪物」が階下から上がってくる様子は無い……。
「ヴィー、少し頼む」
「あ、ああ……」
そう言って見張りをヴィーに任せ、アンナの容態を診ていた姫さんに近づくと、彼女もこちらに気付いて立ち上がる。その顔には、心なしか焦りの表情が見られた。
「……駄目です。我が家に伝わる知識にも、該当する呪術はありませんわ」
「ってことは、結局アイツをやらないといけないワケか……」
オレは、姫さんの言葉を聞いて、額に手を当て天井を仰ぐ。そして溜息を一つ。
周囲にアレルギー反応の出る鉱物がないことを確認してマスクを外したアンナは、目を閉じて、荒い呼吸を繰り返している。こうして見ると少女らしい可愛いらしい顔をしているのだが、その表情は辛そうに歪んでいる。フェンの話によると、広間の隅でホコリを被っていたらしい「あの鎧」に、アンナが手を触れた瞬間、いきなり昏倒してしまったそうだ。どうやら、途轍もなく強力な呪いが張られていたらしいが……。普段、教会で笑顔を振りまいているという少女の表情は、今は苦悶に満ちている。それがまるで自分のことのように、沈痛な面持ちでアンナに寄り添うフェン。二人の様子を見ながら、出口のほうへ近づき、階下の方向を見やる。
「なるほどね。ここまで俺たちが解除してきた封印は、外からの侵入者を拒むものではなく、内側に封じ込めた、あの化け物を外に逃がさないためのものだった……ってわけだ」
「どうやらそのとおりのようですわ。私は自身の浅はかさのために、途轍もない怪物を開放してしまったようです……」
「…………」
真っ黒な、鎧の怪物。手には、漆黒の剣。
鎧そのものも、禍々しい異形の魔物をモチーフにされたものらしく、見たものに強烈な印象を与えるものだったが……なによりも、その実力が異常だった。回復術師として呪いの魔術には耐性のあるハズのアンナをあっさりと昏倒させ、剣士としては一流であるフェンの剣捌きを最小限の動きで潜り抜け、鋼鉄の鎧をも叩き斬るヴィーの攻撃を片手で弾き返し、姫さんの規格外の魔術を、手にした剣で完全に吸収。オレも、パーティの撤退を図った際に盾と鎧の脇腹部分を粉々に砕かれた。危うく、腹の中身を床にぶちまけるところだ。
あとひとつ何かが違っていれば、あそこで全滅していても全く不思議ではなかった。
「シルヴィのせいじゃねぇよ……。あんなの、誰が想像できっかよ……」
しかし、そう言って姫さんを慰めるヴィーの言葉にも覇気が無い。先ほどヴィーは、ギルド屈指のパワーファイターでありながら、大剣による渾身の一撃を片手で弾かれてしまった。これまであらゆる敵に対して必殺の一撃だったソレを、いとも簡単に払われる。その実力差に、未だ愕然としているのだろう。
「お前も、あんまり落ち込むな」
「……わかってるよ、ヴェルク。……まだ、終わってないからな」
「なら、良いんだが……」
いつもの威勢の良さも、鳴りを潜めている。勝手な話だが、これはこれで調子が狂うな……。
「とりあえず今のところは、アンナさんの容態は安定しています。けれど……」
「このまま動かしても大丈夫だとは限らない、と」
「はい……」
はぁはぁ、と苦しそうな呼吸を繰り返すアンナと、その手を握るフェン。本来、未知の呪いがどういう経路で「感染」するかも分からない状態での安易な接触は控えさせるべきだが……。どうやら、それはムリそうだ。フェンから発せられる「気」には、鬼気迫るものがある。
通常、呪いを解除するためには、解呪魔術によって呪いそのものを除去する方法と、呪いをかけた本人を排除する方法とがある。しかし、そのどちらにも一定のリスクがあって、前者の場合は解呪に失敗すれば、その解呪魔術を使った人間に呪いが跳ね返る可能性があること。後者の場合は、呪いが術者の死によってより強化されてしまう可能性があること……などが挙げられる。前者が上手くいきそうにない今回の場合は、必然的に後者を選ばなくてはならないワケだが……。
「魔法の通じない鎧の怪物か。ヤツと戦うにしても、姫さんは足手まといだな……」
「返す言葉もございません……」
力なくうな垂れる姫さん。そう、これが一番の問題だ。先ほどの戦いで、パーティの最大火力である姫さんの最大魔法が、空気中で魔力そのものに分解されて漆黒の剣に吸収されてしまった。これは、ただ魔術が通じないだけという場合より、タチが悪い。例えば、先日のように炎の温度で壁や床を溶かして足場を崩す、などといった戦い方も出来ず、最悪吸収された魔力によって反撃を食らう可能性すらある。第一、あの怪物相手では、前衛に後衛を守れるだけの余裕が無く、戦うとなれば魔術を打ち込む隙すら得られないだろう。巻き添えを食らうこと前提で接近戦を繰り広げる覚悟があれば別だが。……確実に死ぬだろうな。
ヴィーが、姫さんへと顔を向ける。
「なぁ、アタシは初めて見たんだが、アレはやっぱり……」
「ええ……。魔剣、でしょうね……」
光を一切反射していなかった漆黒のソレは、魔剣と呼ばれる超一級品の「遺物」だ。古代に作り出されたと言われる魔剣は、総じて強力な武器であり、先の戦争でも一握りの使い手たちによって大いに活用された。例え、オレたち探索者が入手したとしても、恐らく所持し続けることは難しいだろう。不用意に国外に持ち出そうものなら、国家間の問題になってしまうくらいのシロモノだからだ。ソレを、あれほど異常な実力の持ち主が使っているとなると……問題は、更に深刻になる。
「さて……」
そう呟いて、オレは部屋の中央へ進み、周囲を見回す。
敵への対抗手段を失った姫さん。茫然自失のヴィー。呪いを受け動けないアンナに、その付き人のフェン。現状のパーティは、最悪の状態だ。……しかし、このままここで、ただただじっとしているワケにもいかない。唯一、精神的なダメージの軽いオレが、部屋の真ん中で皆へ提案する。
「どうする? 一旦、ムリにでも戻って体制を立て直すか? それとも……」
「冗談じゃない!!」
それまでアンナの傍に膝をついていたフェンが急に立ち上がりオレの言葉を遮る。
「ヤツは僕の手で殺すッ!! アンナを、死なせはしない……ッ!!」
「おい、フェン……」
ヴィーが止めるのもままならぬ内に、憤怒の形相で部屋を出て行ってしまうフェン。それを見て、腰を浮かせかける姫さんを手で制し、ヴィーと共にアンナを守るように伝える。姫さんは、アンナの呪いを調べるために長時間集中していたし、術師二人にはヴィーの護衛が必要だ。……まぁ、こういうのは年長者の役目だしな。
「あの馬鹿は、オレが連れて帰るよ」
「申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします」
結局立ち上がり、深々とお辞儀をする姫さん。出口を守りながらフェンを止められなかったヴィーのほうも、どこかバツの悪そうな顔をしている。まぁ、アイツがあんな風になるとは思わんよな。しかしヴィーは意外と、失敗を気にするタイプなのかも知れん。……いや、昔もこんなこと、あった気がするな。
「なぁ、ところで姫さんさ」
「……なんでしょう?」
ガチャガチャと、フェンを追いかけるために全身の鎧を外しながら、それまでと違った軽い口調で言うオレに、姫さんと、ついでにヴィーも首をかしげる。
「あの化け物を仕留めたら、いくらくれる?」
ニヤリと笑うオレの言葉を冗談だと思ったのか、曖昧な表情になる姫さんとヴィー。ていうか、ほとんど呆れているようにも見える。こちとら帰ったら皆に特製ベリーパイを奢らなきゃならない約束だからなぁ……。
一人でも死なれたら、困るんだよ。
2011.08.01 改訂
2011.08.11 文章追加