32.真実の姿(一部改訂)
「ぜっ、ぜっ、ぜっ……ヴェ、ヴェルクさん、もう、ダメ」
「もう少し、頑張れヘンリー……こちとら、まだ全身が痛ぇんだよ……ッ!!」
「や、っぱり……ヤセ我慢、だった、んですね……ッ?」
「うるせえ……ッ!!」
黙って走ってろ。しかし、コイツにもバレてたなんて、どれだけ酷い顔してたんだ、オレは。……こうして走ってる間にも気を失いそうなのは、流石に言えないけれどな。この魔剣、不良品なんじゃねーのか!?
オレたちは、遺跡内を全速力で駆けていた。
水の流れと同じような速度で迫るソイツから逃れるのは、至難の業だった。地底湖そのものかと思うくらいの巨大なデススライム。遺跡の通路では、その全体像が全く掴めない。
死霊術によって、人間やモンスターの死体から得られた水分で作り出されたハズのソレは、一体どれだけの数のソレを元に作り出されたのか……。少なくとも、あの地底湖の底はビッシリと死体で埋まっているのだろう。
死霊術によって生み出された魔物は、総じて日の光に弱い。遺跡の外まで逃げることができれば、こちらの勝ちなのだが……。
「うわっ……!? ヴェルクさん!?」
「くそったれ……ッ!!」
と、最初は巨大なソイツから地底湖まで来た道を戻るように逃げていたオレたちだが、どうやら横道もそちらへ繋がっていたらしく、途中で二手に分かれていたらしいデススライムに、前方へ先回りされてしまう。
「くっ、ヴェルク殿!!」
「ヴェルク!!」
「師匠!?」
先行していたテイルたちと、オレとヘンリーの間に、デススライムの透明な巨体が現れる。咄嗟に壁の出っ張りを掴み、横にあった小道へと進路を変える。いやていうか、誰かヘンリーの名前も呼んでやれよ……。
「お前ら、先に帰ってろ!!」
叫ぶ皆にそう言い返して、オレはヘンリーの手を引いて駆ける。こんな時にも、これが女だったらなぁ……とは思わなくもない。道が狭くなったことで、後方から押し出されるデススライムの勢いは増している。オレの背後を走るヘンリーに、その魔手が伸びる。
追いつかれる!! ……そう思った瞬間、デススライムの勢いが落ちたように見えた。
「……ああ?」
……どういうことだ、くそっ。とにかく、行き止まりにはぶつかってくれるなよ……!! やがて、開けた場所に出る。向かってくるように吹き抜ける風に、オレは照明魔術を放つ。しかし……。
「おいおいおいおい。マジかよ……」
そこにあったのは、巨大な断崖絶壁。向こう岸にも、こちらと同じような通路が続いているということは、昔はここに橋か通路かが存在していたんだろう。
確かに、行き止まりにはぶつかるなって思ったけどな、行き先が奈落の底じゃあ意味が無い。さきほどの地底湖といい、なんだってこんな巨大なもんがそうポンポンと地下に存在してんだよ……!!
……待てよ?
「ど、どうしましょう、ヴェルクさん」
「ちょっと、待ってろ……」
「ま、待ってろって……!?」
背後を見ると、開けた場所に出たことで勢いが弱まっているデススライムの姿。しかし、あと数十秒もすればオレたちに襲いかかれる位置にまでやってきてしまうだろう。かと言って、幅が10メートル以上ありそうな谷を越えて向こう岸に跳ぶのは、無謀すぎる。
「……ヘンリー」
「……え、なんですか?」
オレはあることを思いついてヘンリーの名前を呼び、その肩と腕を掴む。意味が分からない、といった表情のヘンリー。ああ、この表情を見ていると、いまいち確信が持てないな……。
「悪いな」
オレはそう言って、一瞬だけ魔剣の力を使い、強化された腕力でヘンリーの身体を向こう岸に思いっきりぶん投げた。途中、ガコンッというヘンリーの肩が外れる音がしたが、まぁ、不可抗力だろう。
無事に向こう岸に落ちたヘンリーは、痛がるでもなく、ぐったりとしている。どうやら気を失っているようだ。とりあえず、これで邪魔になることはない。
「…………っとと」
気力と体力が尽きている中で魔剣を使ったため、足元がフラつき尻餅をつく。……さて、これからが問題だな。さて、ヘンリーが意識を失っても変化が無い。ここからは、一か八かの賭けだが、どうなることやら。
オレは、座ったまま腕の力でデススライムの方へと振り向き、意識を集中させる。やがて見つける、一人の「気」……。今一度、残された精神力を振り絞って、魔剣へと意識を集中させる。もはや、自分の体の感覚すらも遮断して魔剣ハルマーの感覚のみに全てを集中する。
そんなオレの直前にまで、デススライムの巨体が迫る――。
◇
「さてと、どうやら賭けには勝ったようだな……」
オレは、水浸しになった周囲を眺めながら言う。しかしソレは、デススライムの死によって溢れ出したものではなく、先日のゾンビたちの血液によるものだ。嫌な匂いと共に、黒い瘴気が辺りを漂っている。
しかし、あの時に見たゾンビたちより、その数は圧倒的に少ない。血が全く乾いていないところを見ると、あの時の最初の一群を殺した直後なのだろう。周囲には、オレ以外のパーティメンバーも倒れている。
オレは今まで、高度な魔術によって幻を見せられていた……ってわけだ。果たして、そんな真似をしてくれていたのは一体誰なのか。オレは、幻の中から現実の魔剣だけを操作して体を貫いた、その魔術師を見る。近くには、不思議な雰囲気の短剣が転がっている。……なるほど、魔剣、ね。
「それにしても、お前だとは思ってなかったよ……なぁ、ヌーク?」
「ぐ、ぐふ……ッ! ど、どうして……!?」
……いや、魔剣使いの死霊術師、とでも言った方が正しいかな。あの死霊術に加え、魔剣を利用した幻術と、記憶の改変か。失われた秘術をあそこまで使いこなすとは、なかなかやるもんだが、ツメが甘かったな。魔剣のほうは、イマイチ使いこなせていなかったらしい。
先ほどまで閉じ込められていたのは、コイツが人の記憶を呼び出して作り出した幻の世界だ。しかし、そこには現実との齟齬がいくつか含まれていた。
「デススライムってのは、ハルマッゾ自身の手で、その製造法を含めて完璧に絶滅させたハズだからな。そんな都合よく同じモンが作れるワケがねーんだよ。……そもそも、この場所にあるハズじゃあねぇんだ、あの景色はな」
「ハルマッゾ……貴方が受け継いだ、<石>の主……ですか……。我が魔剣でも、流石に、そこまでは、読めません、でしたね……」
血を吐きながら、独白するヌーク。大体、地底湖のすぐ隣に、謎の大絶壁って、地理的にムリがあり過ぎる。アレは、オレの中に眠るハルマッゾの知識から作り出されたものだ。そう簡単に、ほいほいと拝めるもんじゃあない。それに――。
「ヘンリーに追いつきそうになったデススライムが、何故か速度を緩めたからな。オレはあの時、ヘンリーが術者なのだと思ったんだが……」
「はは、それは、失敗しました……。彼の死こそ、僕は願っていた、はずなのに……。やはり、彼女を、悲しませることは、できない、な……」
さきほどのデススライムの挙動も、現実に戻ったあとにヘンリーをハメるための罠かと思ったが、どうやらそうでは無いらしい。コイツの深層心理の中で、幻の中であってもヘンリーを殺せない理由があったのだ。それは恐らく……。
「お前、テイルの弟じゃねーだろ? むしろ、ヘンリーこそが、アイツの弟なんじゃねーのか?」
たしかに、ヌークの雰囲気はどことなくヘンリーに通じるものがあるが、あの浮世離れしたテイルの弟にしては、しっかりしすぎている気がした。同じく世間知らずそうなヘンリーのほうが、姉弟としてはしっくりくるのだ。……しかも今「姉さん」ではなく「彼女」と呼んだ。顔を歪めて、コホコホと咳き込みながら、死霊術師は笑う。
「その通り、ですよ。まぁ、彼女たちが……起きたら、その辺のことは、聞いて、ください」
そして、ヌークは目を瞑る。呼吸が、段々と浅くなっていくのと同時に、彼の全身を眩い光が覆う。……ヌークは、最後の術を行おうとしていた。彼の胸の位置に、水の属性を持つ人間特有の、青色の結晶が作られていく。
ヌークはそれを見つめながら、穏やかに笑っていた。
「……ああ、失敗したな、僕は、この場所を守るよう、言われてた……だけ、なのに……彼女の弟に、なりたいなんて……変な…欲を……」
確かに、コイツの持っていた魔剣の記憶改変能力があれば、入れ替わりは可能だっただろう。テイルにヘンリーを他人と思い込ませ、己が弟として入れ替わる。それには、オレたちの記憶ごと改変する必要があったのだ。恐らく、最終的にはモンスターの襲撃によって「ヘンリー」だけが死に、この遺跡には何も無かったってことになるはずだったんだろう。昏倒させたあとに、すぐオレたちを殺していれば、この場所は守られただろうに。
ヌークは、結晶の放つ光から視線を上げて、オレと目を合わせる。
「ヴェルク、さん……お願いが、あり…ます」
「……金は貸せねーぞ」
彼が何を言おうとしているか薄々察しているオレが、そう軽口を返すと、ヌークは笑って……近くに倒れ込んでいるテイルを見つめる。
「これを……彼女、に。……きっと、僕が居なく、なって……こ、まる、だろう…か……ら」
そう言って事切れたヌークの肉体は光の粒となり、全てが結晶に吸い込まれていく。やがて、その光を全て吸収しつくしたその結晶は、青く、淡い光を発しながら、ゆっくりとしたスピードで地面へと向かう。オレは歩み寄り、手の平にその結晶を受け止め、呟く。
「……分かったよ、ヌーク」
これは、彼の<石>だ。彼が、最後に思い描いた者がコレを使えば、死霊術使い、水魔術使いとしての知識ばかりか、さきほどの魔剣の適正などを受け継ぐことができる。そして彼の想いも、少しだけ。
その美しい青色の結晶をしばらく見下ろしたあと、オレは「師匠、師匠……」と呟くフェンを叩き起こして後を任せ、通路の奥へと進んだ。
夢の中のように大量のゾンビ相手に戦ってすらいなかったオレは、肉体的、精神的にまるっきりの健康体だった。先ほどまでの疲労感が、まるで嘘のように消えている。……まぁ、アレは嘘だったんだが。
「……まったく、こんなモンを勝手に作りやがって」
通路の先にある階段を暫く降りてそこで見たのは、遺跡を利用して作られたらしい、遥か遠くまで伸びる巨大な通路。一方は、街の方向へ続いている。そしてもう一方は……。
「帝国の、クソッタレめ……」
その通路に残る巨大な轍を見つめて、オレは思わず呟いた。
2011.07.26 一部改訂
思い描いていたシーンを盛り込み忘れていました(汗