18.光の剣
オレは、これまでにないスピードで、遺跡の中を駆け抜ける。
迷宮状になっているソレを、魔剣で壁を斬り抜き蹴り倒しながら直進。聞こえてくる遠い場所での轟音と気の流れを辿って、遺跡内で最高クラスの戦闘力を持つミノタウロスと、それに挑んでいるであろう一人の女剣士の元へ急ぐ。
時折聞こえる破壊音は、まだ遠い。オレが辿りつくまで、生きていてくれよ……!!
ミノタウロス。巨大な人の体と、牛のような頭部を持つ異形の怪物で、遭遇率は国内でも年に数例と極めて低いものの、その戦闘力は他のモンスターたちと比べて群を抜いている。
更に、その中にも個体差がある。
種族の中でも比較的多いのは、自ら岩などを削って作り出した石斧やハンマーなどを持って武装している通常タイプ。そして、ごく稀に存在するのが、全身の筋肉が異常に発達し、瞬発力と怪力とを持ち合わせている変異タイプ。巨大で、血のように赤い角が特徴で、十年に一度、報告されるかされないかのレア種だ。
通常のミノタウロスでも、人間と比べられないほどの怪力の持ち主だというのに、変異タイプのミノタウロスに至っては、武器などには頼らず、自身の素手で探索者を鋼鉄の鎧ごと切り裂く。過去には城門どころか城壁をも一撃で粉砕してみせた、なんて記録もある。まさに怪物だ。
正直、なんの準備もなしにこのタイプのミノタウロスと出会って生き残ることは、不可能に近い。探索者に登録する際の簡単な講習では、遭遇したらまず逃げることを考えろ、と教えるくらいだ。……ましてや、倒すなど。通常の人間なら、一撃を食らっただけで即死は免れない。
しかし、今回現れたのは、運悪く――。
ヴィーは、変異種タイプのミノタウロスの攻撃を、全力で回避し続けていた。それは、以前の彼女では難しかったであろう所業で、たった数日間とはいえ、これまでの修行の成果を伺わせた。
しかし、直撃はおろか、掠るだけでも内臓をはみ出させかねない攻撃を高速で繰り出し続ける相手に、ソレがいつまでも続くはずもない。そして、遂にかわしきれなくなり直撃を受けようとしたその瞬間。
突然、通路の壁を切り裂いてオレが現れ、彼女を横から突き飛ばして代わりにその直撃を受けると、無様に吹っ飛んでいった。
たとえ、ヴィーを突き飛ばさず、一撃でミノタウロスを仕留められたとしても、高速で迫る質量はそのまま止まらずに彼女を襲っただろう。魔剣を盾状に変化させようかとも思ったが、あまりに状況が逼迫していて、なにもできなかった。
その強烈な一撃を食らって、咄嗟に防御した両腕の骨は粉砕されてひしゃげ、そのままの勢いで壁に打ち付けられる。その衝撃で、背骨と肋骨は背後の岩壁ごとバラバラに破壊され、内臓が破裂したのだろうか、口や鼻からも血が溢れ出し、俯いた顔には赤く染まった髪が垂れ下がる。
周辺には、先ほどの女の仲間だろう死体が、バラバラになった状態で血溜まりの中に転がっているのが判るが、自分の血で、その視界も赤く染まっていってしまう……。
「……ヴェルク!? ……コイツ、よくもッ」
オレが、まるで死んだように見えたのかもしれない。ヴィーは、その手にしている大剣を力の限り握り締めて、真っ直ぐにミノタウロスを睨み付ける。逃げろと叫びたいが、声が出ない。それも当然だった。恐らく、肺を潰されているのだ。オレも、このままだと持って数分の命か。
ていうか、オレのほうからミノタウロスの攻撃に突っ込んでいったわけだし、それって逆恨みじゃねぇかな。だからホラ、な? こうなっちまう前にさっさと逃げろよ、ヴィー。コレ、結構痛いんだぜ……?
だが、残念ながらヴィーは、オレの願いどおりに逃げてはくれないだろう。コイツが、仲間を殺されて背中を見せるような場面を、オレは想像できない。だからせめて、フェンがここにやってくるまで凌いでくれ。ある程度、気を使いこなしているアイツなら或いは、この状況を打破できるかもしれん。……十中八九、そのころにはオレは死んでいるだろうが。
しかしヴィーは、オレの思い描いた最善の想像を、遥かに超えた行動をとり出した。
先ほどまでミノタウロスの攻撃を避け続けて上がっていた息を、体内の気を操作することで整え、加えて、己の中に潜在している魔力をも引き出す。それを気と共に練り上げてみせると、その身と手にした武器とに纏わせる。……一瞬、ヴィーが何をしているのか判らず、唖然としてしまう。
恐らく、ヴィーは無意識にやっているのだろうが、それはハルマッゾの知識にも無い技術だ。挙句には、そのハルマッゾがオレに対して使っていた気の放出のように、周囲の空気をピリピリと震わせ始める。
……ククク、どうだよハルマッゾ。オレたちの想像を簡単に超えるヤツが、目の前にいるぜ……? 血塗れで鈍い思考の中、思わず笑ってしまう。
ミノタウロスも、その雰囲気の異常さに気付いたのか……荒い息を吐いてヴィーへと振り向き、両腕を地面に着いて前傾姿勢になる。そして、一瞬の静寂。
オレのすぐそばで、壁の欠片が地面に落ちて静寂を破った、その直後。ミノタウロスは溜め込んだ全ての力を開放し、途轍もないスピードで突進。足元を踏み壊しながら、異常発達した筋肉を震わせて進む。そして、既に血塗れになっている巨大な赤い角で、相手を刺し貫き四散させる……ハズだった。
「遅せぇよ……ッ!!」
しかし、そこに残っていたのは輝く残像。実体はそこにはなく、ヴィーはすでに天井スレスレに飛び上がっており、その気迫と共に、光を纏った大剣を上段から一気に振り下ろす。剣筋は遺跡の天井を抉り、ミノタウロスの異様に発達した筋肉の遥か上で空を斬る。
しかし、ヴィーの攻撃はそこでは終わらない。
斬撃の延長上に、気と魔力とを練り上げて作られた、光り輝く衝撃波が放たれたのだ。その強烈な光の衝撃波によって、一瞬、視界が白と黒、二色のモノトーンに変化する。
その視界の中で、かなりの速度を出していたミノタウロスはあっけなく左右にスライスされる。そればかりかヴィー渾身の斬撃は遺跡そのものを切り裂いており、切断部に残る光の雫が、遺跡の奥まで続いている。……それはもはや、魔剣の所業だ。
ヴィーのヤツ、己に秘められた力だけで、変哲も無い大剣を無理矢理に魔剣へと昇華させて見せやがった。……まったく、凄いヤツだよ、お前は。冥土の土産には、勿体無いくらいだぜ。
斬撃の衝撃波によって縦に真っ二つにされたミノタウロスは、その内部を中空に晒し、勢いの止まらぬまま壁に激突。バシャバシャと音を立ててその血肉を床にぶち撒けた。
一方のヴィーは、何事も無かったように遺跡の通路に着地。手にした大剣には、光の粒子がその魔力の残滓となって煌き、その軌跡を明るく照らしている。そして、オレの方を向き、その瞳に涙を溜めて駆け寄ってくる。
おいおい、泣くなよ。ほら、大事な大剣を、落と、し…た……ぞ………?
「ヴェルク……ッ!!」
血で赤く染まり、段々と暗くなる視界の中で、オレの名を必死に叫ぶヴィー。その姿がなんだか可笑しくて、残された力で少しだけ微笑んで見せると、そのままオレの意識は暗闇の中へと急降下していった。