11.戦士の休息(改訂版)
闇夜の「狩り」は終わった。
街はずれに放たれていた獲物は全て狩りつくされ、通りや路地裏、屋根の上に至るまで、あちらこちらに黒塗りの装備に身を固めた男たちの死体が転がっている。その死屍累々の様相の中で、オレは一人、狭い路地で蹲っていた。傍らには、狩り最後の獲物が体を上下に分断されて横たわっており、血の気の失せたその顔は、恐怖に歪んでいる。
「はぁ……、はぁ……」
確かに、ハルマッゾから受け継いだ魔剣と<石>の力は凄まじいものだった。
魔剣は、それ自体を構成している魔力を源にしているお陰で、魔剣でありながら使用者の魔力を消費しない。ハルマッゾの<石>から受け継いだものの中には、その使用方法や魔術の知識、剣技、槍技、オレの得意としている「気」の技術まで、古今東西ありとあらゆる知識や技術が詰まっていた。
先ほど使った帝国語も、ハルマッゾの知識から得たものだったりする。かつて傭兵業をしていた都合上、オレも少しは話せたが、あそこまで完璧な発音は出来なかった。正直、いくら<石>の力とはいえ、これだけのものが自分の頭の中に納まっているということが不思議に感じる。到底、ハルマッゾ一人によって蓄えられたものだということが信じられない。
通常は、スティネーゼ家の当主にのみ伝来されていく<石>のように、多数の人生の積み重ねで技術や知識を蓄えていくのだ。……しかしそれも、ハルマッゾの知識の中にあった、ある秘術によって覆されている。
不老。
古代から、時の権力者たちが必ずといって良いほど最後に追い求め、そしてその誰もが叶えられずに朽ち果てていった、永遠の命を可能にする秘術……ソレが、ハルマッゾ個人が数千年分の知識を持ち合わせていた理由だ。ある理由から封印され、鎧の身に魂を移していたハルマッゾだが、そんな出来事が無ければ今の世を統べていたのはヤツだったのかもしれない……。
そして、そのハルマッゾの数千年分の記憶の一部も、オレの中にある。
<石>によって引き継がれる記憶の総量は、その人間の想いの強さや寿命の長さによって左右される。それは代々、人から人へ受け継がれていく中で薄まっていくハズのなのだが、今回の場合は通常と違い、ハルマッゾ個人の記憶として色濃く残されていた。
その巨大な絶望と憤りの記憶や感情は、ハルマッゾの人生のたった一部とはいえ30年しか生きていないオレの許容量を圧迫し、その苦しみから逃げるために、オレは酒の力を頼った。そこで、魔剣調査のためにオレに近づいてきたマリアと出会ったワケだが……。
今回の戦いの中で、ハルマッゾの知識や技術と共に、その憤りや怒りの感情も、自分のソレと同化して激しく燃え上がるのを感じた。今、こうして正気を保っていられるのが不思議なくらいだ。しかし……。オレの人生、早くもハルマッゾに影響を受けすぎている気がするなぁ……。
そんなことを考えていると、オレは瞼が重くなるのを感じた。魔剣の影響もあるのだろうか。どうやら流石に、今回は「気」による疲労回復が間に合わないようだ。あまりの眠気と脱力感に、意識が飛びそうになる。
「……ヴェルク?」
その記憶の最後、夜明け直前の明るくなり始めた空をバックにして、聞き覚えのある女の声が聞こえたような気がしたが、それを確認することなく、オレの意識は暗闇に沈んだ。
◇
昔、我が魔剣や不老の秘術を手に入れるよりも、もっと前の話だ。
ある戦の最前線で剣を振るっていた我は、相手方の罠に掛かった味方を助けるために無理な行いをして、その身に重傷を負った。結局、気を失った我は、助けた筈の味方に背負われて前線基地まで運ばれたのだから、笑える話である。
『……♪……♪』
意識を取り戻したとき、すぐ傍で女性が鼻歌を歌っていた。それを聞いて、己が安全な場所にいると理解し安心しきってしまえたことを、はっきりと覚えている。
『あら、起きたのね。お寝坊さん』
そう言ってこちらを覗き込んできた女性は、手に縫い物を持って微笑んだ。我も、声を出そうとしたが、喉が酷く乾いていて、上手く声を発することが出来ない。それに気付いた女性が、陶器製の吸飲みを使って水を飲ませてくれ、ようやく声を出すことが出来た。
『こ、此処は……?』
『貴方の戦っていた場所からずっと遠く。私の住む城です』
それを聞いてハッとする。彼女の胸元には、王族の証である金色のペンダントが下がっていたのだ。思わず礼を示すために起きあがろうとするが、全身の痛みに呻くだけに終わってしまった。それを見た彼女は、我の肩に触れて優しく言う。
『無理をしないで。今は、ゆっくりと休んでいてください』
優しいその言葉に甘え、全身に掛かる全ての力を柔らかな寝台に任せてしまう。すると一つ、非常に気がかりなことが思い浮かび、非礼を承知で尋ねずにはいられなかった。
『皆は……皆は無事ですか?』
『……大丈夫、貴方が助けようとした人たちは全員無事です。皆、貴方に感謝していましたよ』
我の質問に一瞬目を丸くしてから答えてくれた彼女は、それからクスクスと笑った。
『随分と酷い怪我をした自分の体より先に、他人を心配するなんて……。優しい英雄さんね』
『そ、そんな……。私は……ただの人間です』
空が高く感じるくらいの晴天に恵まれたその日。窓から差し込む日の光の中で出会った彼女こそが、後に我の妻となる女性だった。その時の彼女の笑顔を、我は一生忘れることはないだろう……。
◇
「……一生どころじゃなかったぜ、ハルマッゾ」
目を覚まして最初に、夢の内容を思い出して呟く。恐らく、それは単なる夢なんかではなく、ハルマッゾの過去の記憶・・・<石>になっても強い想いによって守られた、大切な心の欠片だろう。数千年生きてきた中で、彼女の記憶だけが、まるで宝石のように輝いていた。あの時相対したオレたちには、異様な強さを持った鎧の怪物としての印象が強すぎるが、アイツにもただの人間として生きてきた時代があるのだ……。
「……ん?」
ふと、寝ているのが自分の借りている部屋のベッドだということに気付く。どうやら、夢の中のハルマッゾではないが、誰かがわざわざここまで運んできてくれたらしい。血塗れだったハズの服も、いつの間にか新しいものに取り替えられている。
コンコン、とノックの音。返事もせずにぼんやりと眺めていると、静かにドアが開き意外な人物が現れた。オレに気を使ってか、そろりそろりと入ってくる。……その手には、美味しそうな香りを漂わせる料理を載せた大き目のトレイ。
「……ヴィー?」
「うわっ、起きてたんなら返事くらいしろよっ。……ホラ。起きたならメシだ、メシ!!」
そう言って(叫んで?)数日振りに会ったヴィーは、オレの部屋の中心に置かれたテーブルの上に料理を載せていった。二人分あるところを見ると、どうやらコイツも食べていくつもりらしい。戦闘の影響か、はたまた、考えてみれば昨日はまともに食事をとっていなかったからか、確かに腹は猛烈に減っていた。外を見れば大分明るい。丁度昼食時なのかもしれないな……ってアレ? デジャヴ?
とにかく、全身がダルかったが仕方ない、と重い体を起こしてベッドから降りる。
「あれ? ソレってオレの服?」
「アンタを運んだら汚れたから勝手に拝借したんだよ。まったく、シルヴィに言われてあそこに行ってみれば、血まみれのアンタが倒れてたんだからビックリしたぜ……」
なるほど。どうやら最後に聞こえた声の主はコイツだったらしい。しかし、修行中だったはずのヴィーを呼び出して、わざわざオレの元に寄越すなんて、姫さんは何を考えてるんだろうか?
「なんにしろ助かったよ。ありがとう、ヴィー」
「べ、別に、当たり前のことをしただけだ……っ」
何故か顔を赤くしているヴィーの向かいに座る。
やはり、姫さんは街へ侵入していたヤツらの動向に気付いたうえで、オレとぶつかるのを静観していたのだ。恐らく、戦闘中に周辺の家屋の中に住人の気配が無かったのも、姫さんが事前にどこかへ避難させていたということだろう。一体全体、どうしたらそんなことが出来るのか見当もつかないが……オレもヤツらも、そして魔剣調査員であるマリアですらも、完全に彼女一人の掌上で踊らされたってワケだ。今頃は、あれだけの数の死体の処理も、済ませてしまっているんだろうな……。
「……もう一つ、尋ねたいんだが」
「……なんだよ」
いざ、目の前に広げられた美味しそうな料理を頂こうというところで、オレは一つの疑問を口にした。
「なんで、エプロンなんかしてんの?」
「……なんだよ、アタシが料理をしたら、そんなに変か?」
「い、いや……」
そうか。それは、食べる前に聞いておいて良かったな。万が一、気付かずに食してマイナスな反応を示した場合、鉄拳が飛んでくる可能性があるってことだ。そして、オレが知る限り、コイツは家事をしたことが無かったはず。覚悟して臨む必要がある。オレは、全ての知識を総動員し、一瞬で戦略を組み立てた。
「そんなことはないさ。案外似合ってるよ。珍しく、髪も下ろしてるし……」
「なっ!? 良いんだよ、そんなことは……っ」
よしっ。ヴィーが照れて俯いた、今がチャンスだ。
昔はまるで男の子みたいだったヴィーは、女性らしい点で褒められると、未だに耐性が無いのかすぐに照れる。普段そんなことを言えば、最悪、照れ隠しの鉄拳が飛んでくる可能性もあるのだが、こういう時には使える手だ。我ながら何故か非道な手段を用いた気もするが、今はそんなことを言っている場合では無い。覚悟を決めて、魚料理と思しきソレを口に運ぶ。……不味くても、我慢だヴェルク!!
「……ってアレ?」
「……どうだ?」
料理を口にして、目を丸くしているオレに、ヴィーが上目遣いでこちらを見る。
「……う、美味いっ。いやマジで、本当に美味いぞ!?」
「そ、そうか……」
ヴィーが、心底ホッとしたような顔で、自分の作った食事を口にする。オレも、思わぬ味に愕然として止めていた動きを再開する。いや、本当に美味しい。ヴィーとはそこそこの付き合いがあるが、こんな特技があったとは知らなかった。ここのオヤジさんには悪いが、普段、この宿で出されるモノよりも数段上の域に達しているように感じる。
「……コレ、本当にお前が作ったのか?」
「なんでそんな嘘つかなきゃならないんだよっ。本当にアタシが作ったんだっての!!」
「だ、だってお前、全然……料理なんか出来なかっただろ? その割に、美味すぎるぞ、コレ」
パクパクと、手の止まらないまま行儀悪く尋ねると、ヴィーは怒ったような、嬉しいような表情を見せる。やっぱり、作ったものを美味しいと言われると、たとえ相手がオレであっても嬉しいのだろうか。やがてヴィーは、そっぽを向いて小声で言う。
「そ、それは……いつかヴェルクに披露しようと、シルヴィのとこで練習させて貰ってたから……」
「え?」
なにかブツブツ言っているが、よく聞こえない。コイツ、たまにこういう時があるんだが……何かそんなにオレに隠しておきたいことでもあるのだろうか? ……まっ、いいか。
「いやしかし、これは良いお嫁さんになれるんじゃないか、お前」
「……ッ!? うるさいっ、早く食え!! ……馬鹿ヴェルク」
そうして……オレは一週間ぶりに、心から安らいだ時間を過ごしたのだった。
2011.08.28 改訂