01.酔い潰れた英雄(改訂版)
ちょっと描写が淡白すぎる部分を補強していこうと思います。もちろん、最新話の更新を優先させていきますので、少しずつですが。整合性の部分でおかしな点があったらご指摘ください。
馴染みの酒場。そこでオレは、一人で飲んでいた。
こういう時によく使う、店の中で一番奥まった場所にある二人掛けテーブル席。ここなら、他人に干渉されずに一人になれる。
この席について最初に出されるのは、決まって店で一番強い酒だ。付き合いの長いマスターは、オレが酔いつぶれるためにこの席に座ることに気付いている。
酒への愛情が深く、酔いつぶれるための酒そのものを嫌う人だが、職業柄、探索者間の情報に聡い彼は、オレの心情を察してくれているのかもしれない。いつも、こういう時だけは目を瞑ってくれる。
酒をグラス一杯にしてあおりながら、内に芽生えた憤りや絶望を誤魔化す。あまりに巨大で、深く、強い感情。他人の人生を背負うというのは、こういうことなのだろうか……?
「ココ、空いてるかしら?」
今日は、マスターの気遣いを無駄にする、無粋なヤツがいるらしい。女のほうから声を掛けられるなんて珍しく、いつもならすぐに応じるところだが、今回は精神的にも体力的にも疲れ果てていた。そのため、顔も向けずに応える。
「あいにく……オレが座ってるんでね」
「あら。貴方の、向かい側の席には誰もいないようだけれど」
……しつこいヤツ。ため息をついて、ようやく視線を酒瓶から外して見上げると、見たことのない女が立っていた。いや、知らない女だということは声で分かっていたが……ただの女じゃなく、陳腐な言葉で言えば、絶世の美人ってヤツだ。……まあ、この世全ての女を見たわけじゃないのだが。
肥溜めに鶴。地獄に女神とはこのことだろうか? 早くも酔いが回って幻を見てるのかと、思わず目をこするが……どうやら現実らしい。その動作を見た彼女は、フフフと笑って言う。自分の容姿をよく理解している、魅力的な笑みだ。
「あちらは少し……騒がしくて。今日は静かに飲みたいの」
流石に今度は、素っ気無く返すこともできずに、意識して気のないフリをする必要があった。我ながら現金だとは思うが……これも男の性だ。オレは、顎先でその席を示しながら言う。
「ふぅん……好きにしたらいいさ」
「ありがとう。一杯奢るわ」
そう言って、彼女は向かいの席に着いた。そりゃどーも。
◇
「うぅん……」
日の光が差し込む自分の部屋のベッドに横になっていたオレは、すぐ隣で聞こえた甘えるような吐息に気付いて目を覚ました。横を見ると、右隣に昨夜酒場で意気投合した(?)らしいネーちゃんが眠っていて、軽く衝撃を受ける。……これは、夢か?
ってのは冗談にしても。
なんとも記憶が曖昧だが、どうやら、酔っていても美人を見分ける能力だけは健在だったらしい。しかし、彼女の名前を聞いたのかさえ覚えてない。それどころか、昨日飲んだ酒が、まだ残っているような気すらする。そんなに飲んだ覚えもないんだが……。
……ま、いっか。
一人結論付けると、ベッドの上で首だけ起こして、周囲を見回すと、いつも寝泊りしている馴染みの宿屋の一室。ベッドの周りには脱ぎ散らかした服やらナニやらがあちらこちらに。ああ、やっぱり酒が残っているのか、いつになく頭が痛ぇ……。こんなに酷い二日酔いは、初めてかもしれないな。
しかし……カーテン越しに見える外の明るさからして、もう昼ごろか。
今日は、いい加減にギルドに顔を出さないと。イロイロと口うるさいのがいるしな……などと、色々思い出して気分がブルーになる。この一週間にあった出来事を考えると、あまり浮かれてもいられない状況だ。
さて……と、自分の胸の上に置かれていた彼女の腕を下ろし、ベッドから降りる。毛布から抜け出すときにちらりと、名前も知らない彼女の裸体が目についた。どうやら昨日は、彼女に大分慰められたらしい。
「眼福眼福っと……」
我ながら親父臭いセリフを吐きながら、いそいそと服を拾い集めて、部屋の入り口近くにある洗濯物用のカゴに放り込む。オレがいない時に、この宿屋の娘が回収してくれる手筈だ。ああ、でも今日は客がいるから、面倒だが言っておかないとな。
部屋の空気がずいぶん淀んでいるので、カーテンはそのままで、窓を薄く開ける。自分で分かるほど酒臭かった。まるで、頭からグラスごと酒を被ったかのような。頭痛もあるし……昨日は大分呑んだんだな……。
窓際の棚から、薬剤ギルド特製の消臭薬を取り出し口へ放り込む。これは本来匂いに敏感なモンスターから身を隠すための薬だが、こういう使い方もある。むしろ、今では一般にも広まっていて、こちらの用法が常識的かもしれない。酒飲みや、女遊びが好きなヤツには欠かせないアイテムだ。逆に、亭主が隠れてこの薬を使っていたら、浮気を疑ったほうが良い。
使い慣れた部屋のクローゼットから、適当に服を見繕って着込む。といっても、ほとんどの服が黒色で統一されていて考える余地がない。
別に闇夜に紛れたいとか、変なポリシーがあったりとか、格好付けているわけではなく、単に仕事で服が汚れることが多いという、非常に現実的な話だったりする。返って埃汚れは目立つんだけどな……。
服を着込んだ後、
「用事があるので探索者ギルドへ。
出かけるなら部屋はそのままで。服は洗濯が必要なら入り口脇にあるカゴの中へ。
腹が空いたなら一階の食堂でオレの名前でツケておいてくれ。 ――ヴェルク」
とメモに走り書きをしてベッド脇のテーブルに残す。自分の名前を伝えたかも覚えていないので、名前も記入。一応、着替えになりそうな服も一緒に置いておく。酔い覚ましと特製消臭薬を添えて。
宿屋を営んでいる親子にことの連絡と挨拶をし、建物を出て街中を北に向かう。どうやら丁度昼食時らしく、あちらこちらから良い匂いが漂ってくる。小腹が空いていたので、出掛けに貰ったサンドイッチを片手に歩く。うん、美味い。今日は宿屋の娘、ミントが作ったんだろう。オヤジさんの作るソレは、あまり丁寧なものとは言い難いからなぁ。
街中の喧騒が、若干二日酔いの頭に響いていたが、とある出来事を深く考えずに済むお陰で、逆にありがたかった。ちなみに、昨夜の情事に関してではない。
どちらかというとそちらは思い出したいほうの出来事だが、今もまるで思い出せない。人間、こういうことはうまくいかないものだ、などと考える。
途中、知り合いの探索者に出会う。名前はジフ。気の良いおっさん探索者だ。3年前に、こんな強面がどこで見つけたのか不思議なくらい美人の嫁さんを貰って現場から退き、今ではその間に可愛らしい子供がいたはず。まぁ、守るもんができちまったら、あんな危険なところに潜りたくないってのも分かる話だ。残念ながら、オレには無縁の世界だがな……。
今は若手探索者の育成に徹しているが、昔はかなりやり手の探索者だった。……いや、そうでなければ若手の育成など任されはしない。そういうオレも、5年前に探索者になったばかりの頃は、まだ現場にいた彼にずいぶんと世話になったものだった。
「おう、ヴェルク。これからギルドか? ……って、なんだぁ? こんな時間に、まだ眠そうだな」
「二日酔いでね、さっきまで寝てたんだよ。ジフもギルドへ?」
「まぁな。これから若手共に講義をしてやらにゃいかんのでな……」
そう言ってニヤリと笑うジフ。鬼教官として知られるこの男にしごかれるだなんて、可哀想な新米共だな。まぁ、この男に鍛えられた探索者の生還率は高いし、そのしごきに耐えるだけの価値はあるだろう。命の対価になるようなものなんて、この世にはそうそう存在しないからな。
その鬼教官が、そうだ……と言葉を続ける。
「聞いたか? あの姫さんが、ガルジ遺跡で新しい階層を見つけたって」
「知ってるもなにも、オレもそこにお供してたんだよ」
「ほう……。どうだ? なんか出たか?」
年甲斐も無く、興味津々といった様子のジフ。まぁ、探索者なら誰だって食いつく話だ。とくにその話の中身が我がギルドきってのエース探索者、「姫さん」ことシルヴィア・スティネーゼのことじゃあな。オレは、肩をすくめて答える。
「さて、どうかな」
「ふぅむ、そうか……。まぁ、半世紀も前に見つかって、ほとんど探索し尽くされた遺跡だしなぁ」
まるではぐらかすように言うオレの、その言葉の裏にあるものを察してくれたジフは、とくに突っ込まずに納得してみせる。ここらへんは、気心しれた探索者同士だけが行える意思疎通ってヤツだ。
そのまま北にしばらく行ったところ、町の中央にある広場の一角に、探索者ギルドがある。昔は国境沿いの小さな村に過ぎなかったこの街が、ここまで栄える切っ掛けとなった「遺跡」関連の施設とあって、なかなかに年季の入った建物だが、今のところはまだ建て替えの予定はないらしい。
まあ、古臭くはあるものの、そこまでボロくはなく、ずいぶんとどっしりした石造りの建物だ。入り口に厳つい大男がいて、女子供は間違っても入ってこないような雰囲気を醸し出している。・・・探索者にも女はいるし、意外に手練も多いが。
ジフは、建物に入ってすぐに「じゃあ、またな」と言って奥の部屋へ行ってしまった。オレの方の件には、あまり関わらないほうが良い、と判断してくれたのだろう。
「おー、ようやく来たかヴェルクよ」
大男を顔パスでスルーしてカウンターに近づくと、座っていたゴード爺さんがこちらを見て、かけていた眼鏡を持ち上げながら言う。白髪に白髭、手には分厚い紙の束。
「ああ、こないだの報告にね」
「当事者の中じゃ、お前さんが一番遅いぞ。姫さんなんて、帰還後直接来たというのに。ま、おぬしは大怪我していたっていう話じゃったが、アンナがいたんなら平気じゃろ。……なんじゃ頭を抱えて、二日酔いか?」
オレは爺さんの質問に「さあね」と無言でジェスチャーを返す。それを見た爺さんも、こちらに向けた指をくるくると回して「まあいい」の仕草。
「さてと……」
爺さんは、胸元からペンを取り出して、完全に仕事モードになる。
「それじゃ、今回の英雄さんから、詳しい話を聞こうとするかの」
2011.07.24 改訂