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第9話:王の間

「嫌だ! 行きたくない! やっぱりダメだ!」

 後部座席でわめくヒゲの男を、タクシーの運転手は怪訝な顔でバックミラー越しに見やる。

「往生際悪いですよ~。ミン君のためじゃないですか。ほら、もうすぐ宮殿に着きますよ」

 チセがケラケラと笑った。ミンという名の男の子は、そんなやり取りをきょとんと見つめている。

 ミンを保護した広場から宮殿までは、タクシーで15分ほどの距離だ。

「俺にとっては、世界で一番行きたくない場所なんだよ! わざわざ素性がバレる場所に飛びこむなんて、自殺行為だ」

「自意識過剰ですってば。観光客にまぎれちゃえばわかりませんよ。3人でいれば、家族連れに見えるかも……ほら?」

 チセが真ん中に座っているミンを抱き寄せ、頬の横でピースサインを作った。

 ジェイルは壮大にため息をつく。どう考えても、誘拐犯と子ども2人にしか見えない。

「とにかく、一刻も早く親を探して、みつけたらすぐ退散だ」

「え~、せっかくだから観光しましょうよ」

「バカ! 何が楽しくて……」

 言いかけて、ジェイルは口をつぐんだ。続く「わざわざ金を払って、元自宅を観光するんだ」という行為の虚しさは、きっと他人にはわからない。

 タクシーの窓の外に視線を動かす。すでに宮殿の敷地内に入っており、青々とした自然が広がっていた。その奥に、日光を受けてきらきら光る建物が見える。白と金を基調とした、アジアと西洋の建築技術が折衷した荘厳な宮殿。19世紀初頭に第3代国王・レックス1世によって建造され、ヴェイラ王国の栄華を内外に示した。

 でもまさか、同じ名前の子孫に面子をつぶされることになるとはな。

 ジェイルは唇をそっと皮肉な形にゆがめた。


 代金を投げるようにしてチケットカウンターを通過する。早速、前庭にいくつかの団体客をみつけた。

「違うか?」

 ひとつずつ確かめるが、どれもミンは首を横に振った。

「じゃあ次!」

 早歩きで観光客たちを追い越し、宮殿本体の入り口に辿りつく。獅子の像に挟まれた大きな扉をくぐった。

「わー、すごい」

 チセが感嘆の声をもらした。目の前に、磨きあげられた大理石の床が明るく輝いていた。壁には東南アジアに伝わる神話の絵が何枚も飾られている。

「わざわざ見るような場所じゃねえよ」

 ゆっくり見たがっているチセをジェイルは急かす。

「ただの廊下だ」

 のろのろと固まって歩く観光客のあいだを縫って歩く。リタイアした夫婦らしき欧米人カップルが、パンフレットを覗きながら「次は何?」と英語で喋っていた。ジェイルは口に出さずに答えた。次は、“エメラルドの間”だ。

 角を曲がると、文字通りエメラルド色の装飾が壁に埋め込まれた空間が現れる。

「えー、これ本当にエメラルドなんですか!?」

 興奮したチセが聞いた。

「んな訳ないだろ。使われているのは翡翠だ。北西部の山間部で昔はよく採れたらしいから」

「翡翠だって貴重じゃないですか。こんなに使うって贅沢ですねえ」

 世界的に見ても、翡翠の産地は限られている。この部屋は、かつては王に謁見する客が待つために使われていたという。諸外国への権勢のアピールを狙っていたのだろう。

「宮殿なんてどこもそんなもんだろ。ミン、親はいたか?」

 チセと一緒に翡翠に目を奪われていたミンは、慌てて周りを見回す。そして、小さく首を横に振った。それを合図にジェイルはまた大股で歩き出した。さっさと次にいかなければ時間がもったいない。

「あっ……ミン君、大丈夫?」

 チセの声にジェイルが振り返ると、ミンが膝を抱えてうずくまっていた。段差につまずいて転んだらしい。

「いたい」

 またべそをかいてしまった。チセがミンの横にしゃがみながら訴える。

「ミン君、追いかけようとして転んじゃったんですよ。子どもだから、そんなにはやく歩いちゃだめです」

「んなこと言われても……」

 反論しかけたジェイルだが、周囲の視線に気づいてハッとする。泣いている子どもとヒゲ面の男の組み合わせは、観光客としては不自然すぎる。あまり怪しまれるとマズい。

「俺が悪かった。頼むから泣くな」

 ミンはこくりと頷いた。あまり喋らない子だから、確かに無理をさせていたのかもしれない。

「おんぶしてあげたらいいんじゃないですか? 早く歩けるし、ミン君も親を探しやすいし、一石二鳥ですよ」

「おんぶ!?」

 チセの提案に目を剥きそうになるが、ぐっとこらえてしゃがんだ。チセに促されて、背中にミンがよじ登る。慣れない重みと温もりを感じて、ジェイルは落ちつかない気持ちになる。なにしろ、生まれてこのかた32年間、誰かをおぶるなんて経験したことがない。

「よし、行くぞ」

 ミンの洟が首筋に触れた感触がしたが、それは気にしないことにした。


 矢印の観光ルートに添って、さまざまな部屋を通り過ぎる。その際、子どもに分かるような平易な言葉で解説してやると、ミンは喜んだ。

「ここは護衛たちの控えの間。宮殿はずっと守ってなきゃいけないだろ。時間が来ると交代するんだ」

「敵が来たらたたかうの?」

「宮殿の奥まで敵が攻めてきたことはないらしいけどな。でも王様の命を狙う奴はいっぱいいたから、気は抜けない」

 チセは興味深そうに内装や展示を眺めながら、ふたりのあとをついてきている。まだミンの親はみつからない。

 いよいよ、“王の間”の前に辿りついた。宮殿見学のクライマックス、宮殿内随一の広さと豪華さを誇る広間だ。ミンを背負う腕に力がこもった。

 正直なところ、気が重い。

 この広間が王制時代に公に使われたのは、父である先王の葬儀と、翌日のジェイルの即位式が最後だったはずだ。ジェイルの最悪の思い出のひとつだった。

 父の死因は急性心筋梗塞だった。高血圧の気があったとはいえ、50歳になる前に死なれるなど、幼いジェイルは想像もしていなかった。今思えば政治のストレスなどもあったのだろうが、その頃はただひたすら、「何故」という気持ちが渦巻いた。

 心の準備があれば、まだ違ったのかもしれない。だが王太子とはいえ、13歳からヨーロッパの寄宿学校に留学し、正月と夏季休暇にしか母国に戻らない生活を送っていたジェイルにとって、突然課せられた重苦しい儀式の数々は現実感のないものだった。

 帰国するなり、疲労と緊張でほとんど眠れないなか、訳も分からないまま公務をこなした。思い出すたび吐き気がする。あの日、広間にずらりと並んだ、人人人。全員がジェイルを見ていた。憐れみ、憂慮、もしくは値踏みするような目で。

「だいじょうぶですか?」

 唐突にチセの声が耳に入って、現実に引き戻される。声のほうを見ると、チセは大きな目でじっとジェイルを見上げていた。

「いきなりぼーっとしてどうしたんですか?」

「え? いや……」

 ジェイルが返答に詰まっていると、チセが思いついたように言った。

「あ、血糖値が下がったとか。そういえばお昼ごはん食べてないんじゃないですか? 屋台の食べ物美味しかったのに、頑なに食べないようとしないし」

 ジェイルが反応する前に、チセはミンに話しかける。

「屋台の食べ物、ハポー(美味しい)だよねー」

 日本語に混じった「美味しい」というヴェイラ語を聞きとれたのが嬉しいのか、ミンが楽しそうに「はぽー!」と繰り返した。

「なのに、おじさんは頑固だよねー」

「お、おじさん!?」

 舌を出して逃げるチセを、思わず追いかけた。背中の上では、ミンもきゃっきゃと笑っている。

「ほらミン君、ここが王様の部屋だって。凄いねー!」

 いつの間にか“王の間”に入っていたらしい。それに気づいて、一瞬、周囲のざわめきが消えたように感じた。ジェイルは目の前をに広がる光景を見渡した。そして、サングラスをそっとずらして、裸眼でもう一度見回す。

 あの日と同じく、大勢の人間がいた。だが、ジェイルを見ている人間は誰もいない。みんな、赤いビロードが張られた王座や、色とりどりの石が埋め込まれたシャンデリアや、黄金のクジャクのレリーフなどに目を奪われ、ため息をついている。ジェイルを見ている人間は誰もいない。

「秘密の小部屋とか隠されてそうな雰囲気ですねえ!」

 無邪気に彼を見上げる、この少女以外は。

 チセの言葉に、ジェイルはあることを思い出した。サングラスをかけ直して小声でミンにささやく。

「ミン、いいこと教えてやる。他の人には内緒だぞ」

 ジェイルは王座の奥を指差した。

「あのクジャクのレリーフの中に、一匹だけ動くやつがいる。そいつをずらすと、秘密の抜け道が現れる。上の階の、王の執務室に繋がってるんだ」

 嘘のような話だが、幼い頃妹と一緒に試したことがある。探険は成功したものの、狭くて暗いうえに埃っぽくて、夜に小児ぜんそくの発作が出た。それがきっかけで父親にばれて、ひどく怒られたのだ。

 何故ずっと忘れていたのだろう。俺は、ここに住んでいたのに。

 ミンが目を輝かせて「ほんと!?」と興奮した。ジェイルは人差し指を口にあて、「しーっ」というポーズを作った。

「なになに、何の話ですか?」

「お前には教えねえよ」

 にべもなく即答すると、チセは「ずるーい」と口をとがらせる。

「国家機密だ」

 サングラスの奥の瞳を細めて、ジェイルは笑った。


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