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第48話:この世界、そして花火

 街の目抜き通りはすごい人出だった。屋台が立ち並び、威勢のいい客引きの声があちこちから上がる。チセがひとりで祭りを楽しんでいるのかもと、人混みをかいくぐるが、成果はない。

 クーデター計画などつゆ知らず、街ゆく人たちは浮かれ気味に、夕暮れから夜に移り変わる時間を楽しんでいる。ジェイルはたったひとり、よそ者が紛れ込んだような気持ちになった。こんなにたくさんの人間がいるのに、尋ね人が見当たらない。

 めぼしいところを何か所か見て回ったあと、ホテルという線に思い当たった。そうか、宿泊先に帰っているんじゃないか。それは自然な考え方に思えた。

 交通規制がされているため、タクシーではなく、チセの泊まっているホテルに早足で向かう。外国人観光客がよく使う中規模クラスのホテルのフロントは、「宿泊客を呼び出してほしい」というヒゲの男の質問に丁重に答えた。

「チセ・オビサワというお客様は、既にチェックアウトされました」

 チェックアウト?

 想定外の回答に、殴られて耳が遠くなったような感覚に襲われる。それでもジェイルは力を振り絞って尋ねた。

「いつですか?」

「昨日ですね」

 混乱がますます深くなる。それ以上の情報は得られなかった。なにも考えられないまま、ロビーを横切り、ホテル玄関の回転扉からぐるりと外に吐き出された。

 外は、人の顔の見分けがつかなくなる色合いに変わっていた。あともう少しで闇が空を飲み込む。

 昨日ということは、ヌアークの家に助けに来る前にチェックアウトしたのか? なら、荷物はどこにある? いや、それよりなにより、チセはどこにいるんだ?

 交差点に掲げられた、新発売のジュースの看板を2回見たところで、同じところをぐるぐると回っていたことにはたと気づく。ジェイルは立ち止まって深呼吸をした。焦りすぎている。

 そういえばタカシなら、チセの連絡先を知っているはずだ。ことの次第を報告して、連絡先も聞こう。

 ようやく家に帰るという選択肢を思いつき、ジェイルは歩き出した。見知った街並みを通り過ぎ、15分も歩けば近所が見えてくる。都心なのに古い街並みが残り、昔気質の職人や商人が多く住む、安心できるエリアだ。だが家に近づけば近づくほど、ジェイルは言いようのない心細さを感じた。

 俺はチセともう二度と会えないのではないか。

 そんな予感が閃光のようによぎった。バカな想像だとわかっているのに、心臓の動悸が早くなっていく。

 たまたま行き違いが起きているだけだろう。事故とか事件とか、そんなたいそうなものではないはずだ。だが、それよりもっと悪い可能性があった。なんらかの理由で、もう会いたくないと思われていたら?

 最悪のパターンを想像するのは子どもの頃からの習性だった。それはある意味、どんなことが起きても衝撃を受けないための、精神的な防御だ。器が小さいな、とジェイルは自分自身に呆れた。クーデターはもう阻止できるはずなのに、自分の存在も確かめられたのに、しょうもないことでまたうだうだと思い悩んでいる。

 細い路地を曲がって、アパートに辿り着いた。2日ちょっとあけていただけなのに、ずいぶん久しぶりに帰ってきたような気がする。いくつかの窓から明かりがもれているが、当然ながらジェイルの部屋は真っ暗だ。

 部屋の前で鍵を取り出そうとして、持っていないことに気づいた。そういえばユナルに誘われたとき、チセが外出中だったから、施錠せずに出かけたのだ。試しにドアノブをひねると、ドアが静かにあいた。さすがに不用心だったが、盗みに入るような輩もいないだろう。

 暗い中、手探りでリビングの照明のスイッチを押す。明かりがついた瞬間、ジェイルは息を止めた。

 ジェイルのお気に入りである革張りのリクライニングチェア、文字通りこの家の特等席を、侵入者が占領していた。しかも、すやすやと眠っている。その表情はいかにも安らかだ。

 ジェイルは静かに歩み寄った。

 こんなところにいたのだ、探し求めていた人は。

「おい、泥棒」

 声をかけると、チセがぱちっと目を見開き、何度かまばたきを繰り返した。

「ああ、お帰りなさい」

 寝起きのふにゃっとした声で言う。ジェイルが自分を見下ろす視線が意味するところに気づいたのか、チセは説明を始めた。

「宮殿が閉館になっちゃったので、外に出て30分くらい待ってたんですよ。でも、ジェイルさんがいつ出てくるのかわからなかったし、人が多くてすれ違うと困ると思ったので、先に戻ってました。迷子になったら最初の地点に戻るべしって、小学校で習ったので……」

「ホテルをチェックアウトした理由は?」

「ジェイルさんの行方がわからなくなって、この家の鍵を持ってるのが私になっちゃったでしょ。そんな状態でホテルと行ったり来たりするのもなんなんで、昨日チェックアウトして、勝手ながら荷物を置かせてもらってました。って、チェックアウトしたことなんで知ってるんですか」

 チセの質問を無視してジェイルはさらに尋ねた。

「どうして部屋が真っ暗なんだよ」

「それは、待ってるうちに眠くなったから……。さっきまで夕方だったはずなんですけど。すみません、びっくりさせましたか?」

 答える代わりに、ジェイルはリクライニングチェアに腰を下ろした。どいて場所をあけようとするチセの腕をつかんで止める。ちょうど真ん中でスペースを分け合うように、ジェイルは背もたれに体を預けた。隙間なく、ジェイルとチセの輪郭線が重なる。

 お互いの心臓の音が聞こえそうなほど近い。静寂の中、天井を見つめながらジェイルは耳を澄ませた。

「クーデターのことは、終わったんですか?」

「終わった。やれることは全部やった」

 チセの吐息を真横に感じながらジェイルは言った。

「お前のおかげだ」

「私、何もしてませんよ」

「したさ」

 穏やかに微笑む気配があった。

 ふさわしい、とジェイルは思った。黄金で飾られた王座ではなく、中古のリクライニングチェアこそが、今の自分にはふさわしい。体によくフィットし、年月を経た味わいがあって、愛しい人のぬくもりを感じるこの椅子が。

 この冒険で知ったあらゆる初めての感情を、ありったけの感謝の念を、そして何より、彼女に抱くどうしようもなく切実な気持ちを、チセに伝えたかった。わかっているのに言葉にするのは難しく、掴みきれないまま時間が過ぎる。そんなひとときすら幸福な気がした。

「俺――」

 意を決して口を開いたとき、同時にぎゅるぎゅる、と大きな音が鳴った。

 隣を見ると、チセが「てへ」という顔をしている。つられたようにジェイルの腹も鳴った。確かにもう晩餐の時間だった。1日中走り回ったような日には遅いくらいだ。ジェイルはゆっくりと体を起こす。

「メシ、食いに行くか」


 川の対岸にある、香草チキンが売りのレストランに行くことにした。人気店なので少し並ぶかもしれないが、それもいいと思える。

 出かける前にシャワーを浴び、たまった汚れと疲れを落としてほっとする。小ざっぱりした身なりになると、なんだか肩も軽くなった。

 アパートを出て、店への道のりを歩き始める。

「そういえば、ついでとかじゃなくて、ちゃんと一緒にレストランに行くのって、初めてな気がします」

「そうかもな」

「先週の金曜にジェイルさんと会ったんですよね。すごく時間が経った気がする」

 今日が金曜日だから、1週間と1日を一緒に過ごしたことになる。チセの言うとおり濃密すぎる8日間だった。チセに出会う前の自分を思い描けないほどだ。

 大きな音を立てて、バイクの群れが通り過ぎる。この時間でもまだ日中の熱気が残っているが、湿度はぐっと下がって過ごしやすい。

「私、明日の午後の便で帰国しようと思います」

 思い出したようにチセが言った。

「バイト先が人手不足らしくて、そろそろ戻ろうかなって」

 ジェイルは「そうか」とだけ答えた。不思議と驚きはしなかった。ただただ、残された時間の価値を思う。

 街のざわめきを背景にしながら、西岸と東岸をつなぐ石造りの橋に辿り着く。段差があるので手を差し出した。チセがジェイルの手を握り、ジェイルも握り返す。踏み越えても手は離さなかった。

 橋の上から見る首都の夜は、一段と綺麗だった。川はゆるやかに流れ、両の岸には、人々の営みがもたらすいくつもの灯り。それらを見守るような、ライトアップされた白い宮殿。誰かが描いた夢の中にいるようだと、ジェイルは思った。こんなに美しい瞬間が、自分の人生に訪れると想像したことはなかった。

 視界の端で、色彩が瞬いた。ジェイルとチセは空を見上げる。爆音が轟いた。

「花火だー!」

 大輪の花火が、惜しげもなく宙に打ち上げられていく。橋を行く誰もが歩みを止め、歓声を上げながら、夏の夜空に見入っている。ジェイルはちらりとチセを見た。喜色満面の笑顔が、花火の色によって次々と彩られていた。これ以上ない光景だと思った。

 ジェイルの視線に気づいたチセが、ふと何かを企んだ表情になる。背伸びしてジェイルに話しかけてきた。

「ところで、語学講座の続きなんですけど」

「なんだよ突然」

 こんなときに何を言うのか。

「ヴェィラ語で、『I Love You』ってなんて言うんですか?」

 一拍して、意図せんとすることに気づき、ジェイルは思わず目を剥いた。チセを見ると、下を向いて、小刻みに震えている。珍しく照れている、というわけではない。よく見ると口角が上がっている。笑いをこらえているのだ。

 この野郎、俺にそれを言わせる気か。

 恥じらいよりなにより、痛快さが勝った。完敗だった。いつだってチセは軽やかに、一歩先から手を伸ばす。それがジェイルを救ってくれる。

 チセの耳元に唇を近づけて、そっとその言葉をささやいた。

 チセがジェイルを見上げた。愉快で仕方がないといった表情で、今聞いた音を繰り返す。チセが言い終わるか終わらないかのところで、ジェイルはその唇に口づけた。

 まぶたを閉じても、花火の色あざやかな光が見えた。祝祭の音が鳴る。世界は美しかった。

 自分をとりまくすべてのことに感謝しながら、ジェイルはチセとやわらかなキスを交わした。


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