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第46話:自分の証明

 自宅にパスポートを取りに戻ればいいのか? もしくはジェイルの身元を知る人間を連れて来ればいいのか? いや、そういうことではないし、どちらにしろ時間がなさすぎる。

 宮殿を諦めて警察に駆け込んだとしても、同じことだ。入り口で門前払いを食らえば意味がない。もう夕方だ、上層部に直接話さなければ間に合わない。

「とりあえず、建物の中に入ってみます? どこかから上階に上がれるかも」

 チセの提案に頷きはしたものの、解決策はまったく見えなかった。観光用の入り口で入場券を買うも、やはり係員はジェイルの顔を気にする様子もない。宮殿内に入ると、冷房が効いて寒いほどだった。濡れ鼠であることを急に思いだし、身震いする。びしょ濡れの状態をまずどうにかすべきだと、ジェイルは入り口近くに併設されたスーベニアショップに駆け込み、役に立ちそうなものを探した。見つけたハンカチには、Microsoftワードの標準フォントでつくったに違いない「I LOVE VEILA」というロゴと、国旗のイラスト、そしてハートマークが全面にプリントされている。20世紀の忘れ物かと思うようなデザインだが、ほかに選択肢はなかった。頼むからもっとセンスのいい土産物を置いてほしい。

 そのハンカチを使い、男子トイレで丹念に髪とヒゲとシャツを拭いてから、トイレの前で待ち合わせたチセに尋ねた。

「客観的に、元国王に見えるか?」

 チセがう~んと唸った。

「育ちのよさげなチンピラ、ってところですかね」

 なんのフォローにもなっていない。ジェイルは尻ポケットにハンカチを突っ込んだ。

 一般公開されているのは宮殿の1階と2階の一部のみで、あとは立ち入り禁止になっている。政府高官たちが集まっているのは3階だろう。

 当然ながら、上階につながりそうな扉や階段は、施錠されているか守衛が立っていた。人波に流されながらチャンスを伺うが、具体的にチェックすればするほど、目を盗んで行動する隙などない。ジェイルはトム・クルーズよろしく、空調室のダクトから侵入する姿を想像してみる――どう考えても不可能、まさにミッション・インポッシブルだ。

 エメラルドの間、龍の間、大回廊、玻璃の間、そして護衛たちの控えの間を通り過ぎた。このままではただ宮殿内を観光しただけで終わってしまう。

 そうこうしているうちに、 “王の間”に辿り着く。大広間に足を踏み入れた瞬間、ジェイルは気がついた。荒唐無稽な、しかし唯一の可能性に。


 数多くの行事・式典が執り行われてきた豪華絢爛な空間。中央奥に位置する玉座は、15年前に主を失ったきりとはいえ、往時を偲ばせる輝きを放っている。だがジェイルが注目したのは、その背後の壁だった。

「驚かずに聞けよ」

 ジェイルは一点を見つめながら、チセに話しかけた。

「あの壁のクジャクのレリーフを動かしたら、秘密の通路がある。3階の、かつての王の執務室につながっている」

 チセの背筋が、ぴん!と伸びた。

「それ、マジで言ってます?」

「マジ・オブ・マジ、だ」

 ジェイル自身も、先週迷子の少年をおぶってここに来るまで、すっかり忘れていた。歴代の王と、その家族しか知らない秘密の抜け道。ジェイルが探検したのは7~8歳のときだったはずだ。

 扉はずっとそこにあった。俺は1週間前から、いや四半世紀前から、答えを知っていたんじゃないか。

「最高じゃないですか。問題は……どうやって行くか、ですけど」

 チセの言うとおり、王座の手前には立ち入り禁止のロープが張ってあり、背後の壁にも近づくことはできない。ジェイルは部屋を見渡した。守衛が2人、天井に監視カメラが数台。加えて30人近い観光客がいる。

「私が小芝居を打って、守衛さんの目を引くとか?」

 申し出はありがたいが、デモのときのように、そう何度もうまくいくとは思えなかった。火災報知器でも鳴らせば攪乱できるだろうか? しかし無用な騒ぎはなるべく起こしたくない。どうやったら、人目につかずに、あの境界線を渡れるのだろう……。

 ジェイルは瞠目した。いや、そもそも、隠れなければいけないのか?

 これからやろうとしているのは、暴力でも破壊行為でもない。立ち入り禁止を犯したくらい、あとでちょっと怒られる程度が関の山だ。

 恥じる必要などない。隠れる必要などない。むしろ堂々と、人目につけてやればいいじゃないか。

 ジェイルは立ち入り禁止のロープまで来ると、ひょいと右足を上げてまたぐ。そのまま、すたすたと王座の脇を通り、壁際にたどり着いた。振り返ると、ロープの手前に驚いた顔のチセが立っていた。ほかにも、「あれ?」といった表情で、侵入者に気づいた観光客が何人かいる。

「皆さん、今日は記念すべき15回目の建国祭ですね」

 広間に響くように、ジェイルは大声を発した。

「この宮殿が一般公開されてから15年経つ、ということでもあります。でもじつは、この“王の間”には、まだ知られていない秘密の仕掛けがあるんです。今日は特別にそれをお見せしたいと思います」

 観光客が注意を向け始めた。同時に守衛も近づいてくる。ひるむな、とジェイルは己に命令した。

「このクジャクのレリーフを動かすと、王の執務室につながる道があるんです」

 ジェイルは遠い記憶を思い出し、壁から浮き立つように並ぶなかから、一羽のクジャクに手をかけた。おそらく、たぶん、こいつだったはずだ。「こら、触らないで!」と守衛が叫んだが、無視する。挑むように広間を見回した。

「まさか? と思うでしょう。でも私は、その抜け道を実際に通ったことがあります。なぜなら、この宮殿に住んでいたから」

 ジェイルはあえて言葉を区切った。心の中で思い出しているのが、ユナルの「君は意外とパフォーマンスの才能があるらしい」という言葉だというのが皮肉な話だ。そんな才能みじんも実感したことがないが、この数分間だけはそうであってほしい。

「私はヴェイラ王国の最後の国王、レックス2世。ジェイル・レックス・ハッサ・チュンクリットです」

 沈黙ののち、場の空気が粟立った。「ほんと?」「似てる」「でも」「声が一緒」といったざわめきが広がる。今にもロープを越えて来ようとしていた守衛たちも、動きを止めた。

「いよっ、レックス2世!」

 日本語で野次を飛ばしたのはチセだ。真顔でいるつもりだったのに、ジェイルは口元をついゆるめてしまった。

「本当かどうか、ご覧ください」

 ジェイルはしゃがみ込み、レリーフを下から持ち上げた。誰かが思い出したようにスマートフォンを構えると、伝播して皆次々と同じポーズをとっていく。その一方で、ジェイルは小声で「え?」とひとりごちた。

 レリーフが、動かない。幼い日、ダニットと力を合わせたら、クジャクが上にスライドしたのだ。夢ではない。クジャクの順番も間違っていないはず、なのに。

「誰がこの抜け道を設計したかは、定かではありませんが……」

 手間取っているのがバレないように語りを続けるが、額に脂汗が浮かんできた。クソ、だいいち、なんでこんな手の込んだ細工なんだ。

「なかなかユニークな遊び心の持ち主だったのでしょう」

 本当はオブラートに包まずに言ってやりたい、ふざけんなバカと。ついでに一発殴りたい。最後の国王をこんな目に遭わせやがって――。ジェイルはぐっと力を入れ直した。ああどうか頼む、動いてくれ!

 ガチャリと、歯車が噛み合うような感触があった。すーっと、レリーフが自動でスライドしていく。背後から「おおお」という歓声が沸き起こったが、当のジェイル自身も夢見心地だった。

 レリーフの裏は壁ではなく、引き戸になっていた。思いきり引くと、薄暗い空間が現れる。ジェイルが振り返ると、いちばん前にいたチセと目が合う。お互いに頷いた。


 腰をかがめて、抜け道に飛び込んだ。視界が暗くなり、ざわめきも急に遠くなる。木製の急な階段らしきものを、手探りでのぼり始める。

 薄ぼやけた記憶のとおり、道は狭かった。ただ天井には意外と余裕があり、少しだけ光がもれていて、完全に真っ暗というわけではない。しかし、夜中ならのぼるのも降りるのも困難だろう。王族専用の抜け道ならもっとちゃんとつくっとけよと、ジェイルは再び毒づいた。

 何十年も放置されていただけあって、積もっているホコリもすごかった。間違えて吸い込み、盛大なくしゃみが出た。ハンカチで鼻と口を覆ったが、歩きづらいことこのうえない。

 それでも2階分ほどのぼって、少し気がゆるんだ。底板を踏み外し、後ろに倒れそうになる。経年劣化で腐っていたのかもしれない。慌てて左手を伸ばし、上段をつかむ。木のささくれが容赦なく刺さる。その痛みと同時に、ヌアークのナイフを止めてできた切り傷もうずき始めた。今まで忘れていられたのに、いざ意識すると痛くて仕方がない。

「ああもう、ふざけんなよ!」

 監禁明けで、自分より一回り大きいヌアークと格闘して、スコールに打たれて、挙句に人前でパフォーマンスを披露させられて。何が元王様だ、俺はただの満身創痍の三十男じゃないか。

 流れる汗もそのままに、上へ上へとのぼっていく。薄暗いながらに、行き止まりが見えてきた。あれが出口だと安堵した瞬間、内側から溢れ出すように、父のことを思った。家族を、そして会ったこともない祖先たちのことを思った。

 この名前から、血脈から、身体から、ずっと遠ざかろうとしてきた。ジェイル・レックス・ハッサ・チュンクリットではない、ただの一個人としての存在を証明したかった。必死だった理由が、今ならわかる。何者でもない自分でいることが怖かった。確信をもって、自分は自分だと言いたかった。そうやってさんざん逃げ回って辿り着いた場所がスタート地点だったなんて、お笑い草もいいところだ。でもこうでもしなければ、自分はきっと戻ってはこれなかった。家を、故郷を捨てたという十字架は、生半可なものではなかったから。

 失ったもの、間に合わなかったこと、報えなかった人たちが、薄闇の中ですれ違っていく。

 あらゆる感情が入り乱れるなかで、それでもひとつ、わかったことがあった。自分だけで自分を証明できるかという命題。答えは――否だ。

 世界のどこにいようと、どんな状況にいようと、ジェイルがジェイルであることは間違いない。考えも、思いも、誰にも邪魔はできない。だが、たったひとりで生きるなら、そもそも証明する必要すらないのだ。親しい相手であれ、見知らぬ相手であれ、誰かがそこにいて初めて、証明が可能になる。呼びかけた声が誰かに届き、反響して、点が生まれる。その無数の点を結んで、星座を描くように、自分の輪郭が形づくられていく。

 つまり証明したいと望んだ時点で、俺は、他者を必要としているんだ。


 階段をのぼりきった。ジェイルは扉のくぼみに手をかけるが、何度引いてもびくとも動かない。諦める気は毛頭なかった。どんな手を使ったって、前に進むしかない。

 錠前が壊れているのかと、勢いをつけて、背中で思いきり体当たりする。強固なはずの壁が、ぐらりと揺れた。あっと思う間に、ジェイルごと回転する。何が起きているのかわからないうちに、床に投げ出された。

「痛ぇ……」

 薄目を開けると、シャンデリアが目に入った。窓の外の光を反射して、きらきらとまぶしい。

 いつの間にかスコールは上がっていた。綺麗だなとぼんやり思うジェイルの元に、複数の足音が駆け寄った。


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