表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/52

第4話:フォークダンス

 電話を終えて一拍置いてから、ジェイルはわざと乱暴にドアを開けた。

 iPhoneを操作していたチセが顔をあげる。言われたとおり、素直に座っていたらしい。ジェイルを見上げて、チセは無邪気に笑った。やはり、21歳には見えない。椅子の上でちょこんと体操座りし、両手でiPhoneを持っている姿は、アライグマを彷彿とさせた。

「タカシと話はついた。帰ってくれ」

 ぶっきらぼうに腕を組み、チセを見下ろす。全身で拒否の意思を表しているつもりだった。

 チセはきょとんと小首をかしげた。

「私は私の意志でここに来ているので、平間准教授は関係ないです」

 わからないガキだ。ジェイルは顔をしかめて腕を組み直す。

「じゃあ言い換えようか。タカシの教え子だろうとなかろうと、俺は、君とこれ以上話すつもりはない。取材を受けるつもりはない。以上だ」

 強い口調で言い放った。だが、チセは表情を変えることなく、大きな瞳でじっとジェイルを見つめ返してきた。動物のような不思議な目だと、ジェイルは思った。考えていることが読めない。

「なんで?」

「え?」

 思わず聞き返した。

「なんで取材したくないんですか?」

 ふざけているのかと思ったが、チセは本気で訊いているらしかった。疑問を口にすれば、親がなんでも教えてくれると思っている子どものように。その無邪気さに、ジェイルは妙に腹が立った。

「プライバシーって知ってるか? 俺は、プライベートなことを親しくない人間に話すつもりはない。特に過去のことは」

 拳を握りしめる。語気が荒くなる。

「俺はもう引退した身だ。一般人だ。喋る義務も責任もない。普通の人生を送るために努力してるんだよ。取材なんてもってのほかだ」

 カメラに追い回され、新聞に書きたてられた日々を、ジェイルは忘れない。

 メディアは大義名分をかざして、人の生活に入り込んでくる。父の訃報を受けて、当時の留学先であるスイスから戻ってきた17歳のジェイルを待ちかまえていたのは、無数のフラッシュだった。

“国難の時期に、のうのうと外国へ留学していた王子が、今更帰って来た”

 すでに国政は内紛続きで、王室の人気は急落し、民主化運動は止められないうねりとなっていた。王室はメディアをコントロールする力すら失いつつあった。彼らにとって、ジェイルは恰好のネタだった。

「だいたい、今更何が知りたいんだよ。もう全部終わったことだ。カネをもらって昔のことをべらべら喋るヤツらもいるが、俺は違う。昔の身分にすがりついているような、薄っぺらいセレブリティ気取りたちとはな。俺は、社交も慈善事業も大っ嫌いなんだよ!」

 あの頃、フォークダンスの真ん中に突然放り込まれたようだった。大勢がジェイルのまわりを輪になって取り囲み、一方的にすり寄ったり、写真を撮ったり、罵声を浴びせたりしながら、ぐるぐると回り続ける。ジェイルが円から出ることはできない。

 民主化は自分ひとりで決めた、国王として最初で最後の仕事だった。王党派や軍部は撤回を求めて怒り狂ったが、もはや知ったことではなかった。どちらにしろ民主化は時間の問題だった。ならば、さっさと見切りをつけるべきだ。

 権力がなくなれば、ただの人だと世間は言う。実際、王位を返上して民主政権が誕生してしまえば、フォークダンスに興じた人々は散り散りに去って行った。忘れられることに、むしろジェイルは安堵した。だが、今でも拭えない疑問が、どこかにこびりついている。


――でも、俺だけが、そんなに悪かったのか?


「ジャーナリスト志望だかなんだか知らないが、私生活に土足で入り込んでくるな。スクープを取れれば満足か? そっちは良くても、こっちはたまったもんじゃない。お前たちは表面だけすくいとって、わかったような気になりたいだけだよ。恵まれた日本の大学生のお遊びに、付き合っているヒマはない」

 言い切って、ようやくジェイルは我に返った。

 興奮のあまり、肩で息をしていた。言葉の熱気がこもる部屋に、南国の夜風がふわりと流れていく。

 さすがに最後の部分は言いすぎたかもしれない、と気づく。だが、ここまで言わせたのはあいつだ。バツの悪さと開き直りが同居した思いで、ジェイルはチセの表情を窺った。

 チセはほとんど体勢を変えないまま、ジェイルを見ていた。

 怯えて動けないのか、と思ったその矢先。チセは満足気に口角をあげて――笑った。

「今日はこれが聞けただけで、じゅうぶん」

 チセはぴょんと、身軽そうに立ち上がった。山登りにでも行くような大きなリュックを平気で背負うと、唖然としているジェイルをよそに、すたすたと歩き始める。

「どうも、お邪魔しました」

 あれだけ出ていってほしいと思っていたのに、なぜかジェイルは慌てた。玄関に向かうチセを追いかける。

「おい……いいのか?」

 我ながら、おかしなことを言っているとジェイルは思う。

「ジャーナリストは根性がないと務まらないですから。1回で話聞けるなんて最初から思ってないですよ。取材相手に信用してもらうところからはじめないとね」

 チセが敬礼のポーズをした。小ぶりな口が卵型に開く。

「現場100回精神!」

「ゲンバヒャッカ……って、また来るつもりか!?」

 ジェイルの声が裏返った。

「あ、そうだ。このへんで、安いホテル知ってますか?」

「ホテル、予約していないのか!?」

「あなたのこと探してたら、ホテルまで取るヒマなかったんだもん」

 しれっと答えるチセに、ジェイルは目眩を覚えた。

 タカシと電話したり、チセと押し問答しているあいだに、時刻は23時を過ぎていた。ヴェイラはそう治安が悪い国ではないが、ここ数年は失業率の上昇で、犯罪が増加している地区もある。こんな時間に、年頃の日本人の少女が暗い路地を歩くのは……。

 一応タカシの教え子でもあるのだ。取材の話は置いておくとして、犯罪に巻き込まれでもしたら、合わせる顔がない。

「カラオケとかネットカフェでもいいんだけど――」

 ある訳ねえだろ、と突っ込みたいのを必死にこらえて、ジェイルは壁に手をつき、ガクリとうなだれた。部屋を指差して、目も合わせずに呟く。

「今夜だけだ。絶対に今夜だけ。朝になったらすぐ出ろ」

 俺は何をやっているのだろう。ジェイルは天を恨んだ。チセに会ってから、調子を狂わされっぱなしだ。だから、ガキは苦手だ。

「わあい。じゃあ、お言葉に甘えさせてもらいまーす」

 チセがジェイルの脇を、軽やかな足取りで通り過ぎていく。初対面の外国人の男の家に泊まることに、もう少し遠慮や抵抗があってもいいのではないだろうか。これが“ユトリ世代”というやつなのだろうか?

 チセの明るい声が響く。

「あ、充電したいんで、コンセント借りてもいいですかぁ?」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ