第4話:フォークダンス
電話を終えて一拍置いてから、ジェイルはわざと乱暴にドアを開けた。
iPhoneを操作していたチセが顔をあげる。言われたとおり、素直に座っていたらしい。ジェイルを見上げて、チセは無邪気に笑った。やはり、21歳には見えない。椅子の上でちょこんと体操座りし、両手でiPhoneを持っている姿は、アライグマを彷彿とさせた。
「タカシと話はついた。帰ってくれ」
ぶっきらぼうに腕を組み、チセを見下ろす。全身で拒否の意思を表しているつもりだった。
チセはきょとんと小首をかしげた。
「私は私の意志でここに来ているので、平間准教授は関係ないです」
わからないガキだ。ジェイルは顔をしかめて腕を組み直す。
「じゃあ言い換えようか。タカシの教え子だろうとなかろうと、俺は、君とこれ以上話すつもりはない。取材を受けるつもりはない。以上だ」
強い口調で言い放った。だが、チセは表情を変えることなく、大きな瞳でじっとジェイルを見つめ返してきた。動物のような不思議な目だと、ジェイルは思った。考えていることが読めない。
「なんで?」
「え?」
思わず聞き返した。
「なんで取材したくないんですか?」
ふざけているのかと思ったが、チセは本気で訊いているらしかった。疑問を口にすれば、親がなんでも教えてくれると思っている子どものように。その無邪気さに、ジェイルは妙に腹が立った。
「プライバシーって知ってるか? 俺は、プライベートなことを親しくない人間に話すつもりはない。特に過去のことは」
拳を握りしめる。語気が荒くなる。
「俺はもう引退した身だ。一般人だ。喋る義務も責任もない。普通の人生を送るために努力してるんだよ。取材なんてもってのほかだ」
カメラに追い回され、新聞に書きたてられた日々を、ジェイルは忘れない。
メディアは大義名分をかざして、人の生活に入り込んでくる。父の訃報を受けて、当時の留学先であるスイスから戻ってきた17歳のジェイルを待ちかまえていたのは、無数のフラッシュだった。
“国難の時期に、のうのうと外国へ留学していた王子が、今更帰って来た”
すでに国政は内紛続きで、王室の人気は急落し、民主化運動は止められないうねりとなっていた。王室はメディアをコントロールする力すら失いつつあった。彼らにとって、ジェイルは恰好のネタだった。
「だいたい、今更何が知りたいんだよ。もう全部終わったことだ。カネをもらって昔のことをべらべら喋るヤツらもいるが、俺は違う。昔の身分にすがりついているような、薄っぺらいセレブリティ気取りたちとはな。俺は、社交も慈善事業も大っ嫌いなんだよ!」
あの頃、フォークダンスの真ん中に突然放り込まれたようだった。大勢がジェイルのまわりを輪になって取り囲み、一方的にすり寄ったり、写真を撮ったり、罵声を浴びせたりしながら、ぐるぐると回り続ける。ジェイルが円から出ることはできない。
民主化は自分ひとりで決めた、国王として最初で最後の仕事だった。王党派や軍部は撤回を求めて怒り狂ったが、もはや知ったことではなかった。どちらにしろ民主化は時間の問題だった。ならば、さっさと見切りをつけるべきだ。
権力がなくなれば、ただの人だと世間は言う。実際、王位を返上して民主政権が誕生してしまえば、フォークダンスに興じた人々は散り散りに去って行った。忘れられることに、むしろジェイルは安堵した。だが、今でも拭えない疑問が、どこかにこびりついている。
――でも、俺だけが、そんなに悪かったのか?
「ジャーナリスト志望だかなんだか知らないが、私生活に土足で入り込んでくるな。スクープを取れれば満足か? そっちは良くても、こっちはたまったもんじゃない。お前たちは表面だけすくいとって、わかったような気になりたいだけだよ。恵まれた日本の大学生のお遊びに、付き合っているヒマはない」
言い切って、ようやくジェイルは我に返った。
興奮のあまり、肩で息をしていた。言葉の熱気がこもる部屋に、南国の夜風がふわりと流れていく。
さすがに最後の部分は言いすぎたかもしれない、と気づく。だが、ここまで言わせたのはあいつだ。バツの悪さと開き直りが同居した思いで、ジェイルはチセの表情を窺った。
チセはほとんど体勢を変えないまま、ジェイルを見ていた。
怯えて動けないのか、と思ったその矢先。チセは満足気に口角をあげて――笑った。
「今日はこれが聞けただけで、じゅうぶん」
チセはぴょんと、身軽そうに立ち上がった。山登りにでも行くような大きなリュックを平気で背負うと、唖然としているジェイルをよそに、すたすたと歩き始める。
「どうも、お邪魔しました」
あれだけ出ていってほしいと思っていたのに、なぜかジェイルは慌てた。玄関に向かうチセを追いかける。
「おい……いいのか?」
我ながら、おかしなことを言っているとジェイルは思う。
「ジャーナリストは根性がないと務まらないですから。1回で話聞けるなんて最初から思ってないですよ。取材相手に信用してもらうところからはじめないとね」
チセが敬礼のポーズをした。小ぶりな口が卵型に開く。
「現場100回精神!」
「ゲンバヒャッカ……って、また来るつもりか!?」
ジェイルの声が裏返った。
「あ、そうだ。このへんで、安いホテル知ってますか?」
「ホテル、予約していないのか!?」
「あなたのこと探してたら、ホテルまで取るヒマなかったんだもん」
しれっと答えるチセに、ジェイルは目眩を覚えた。
タカシと電話したり、チセと押し問答しているあいだに、時刻は23時を過ぎていた。ヴェイラはそう治安が悪い国ではないが、ここ数年は失業率の上昇で、犯罪が増加している地区もある。こんな時間に、年頃の日本人の少女が暗い路地を歩くのは……。
一応タカシの教え子でもあるのだ。取材の話は置いておくとして、犯罪に巻き込まれでもしたら、合わせる顔がない。
「カラオケとかネットカフェでもいいんだけど――」
ある訳ねえだろ、と突っ込みたいのを必死にこらえて、ジェイルは壁に手をつき、ガクリとうなだれた。部屋を指差して、目も合わせずに呟く。
「今夜だけだ。絶対に今夜だけ。朝になったらすぐ出ろ」
俺は何をやっているのだろう。ジェイルは天を恨んだ。チセに会ってから、調子を狂わされっぱなしだ。だから、ガキは苦手だ。
「わあい。じゃあ、お言葉に甘えさせてもらいまーす」
チセがジェイルの脇を、軽やかな足取りで通り過ぎていく。初対面の外国人の男の家に泊まることに、もう少し遠慮や抵抗があってもいいのではないだろうか。これが“ユトリ世代”というやつなのだろうか?
チセの明るい声が響く。
「あ、充電したいんで、コンセント借りてもいいですかぁ?」




