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第34話:アフターグロウ

 部屋中をあさったが、役に立ちそうなものは何も見つからなかった。窓から外に助けを求めようと声を張り上げてみても、道路までは届かない。隣の家とも距離があるうえ、ちらりと見えた限りだと、雨戸がしっかりと閉められていた。

 それでもトイレに行くタイミングなら、逃げるチャンスがあるのではないかという期待も、甘すぎたらしい。ヌアークもそんな魂胆は予測していたようで、しっかりと手を打っていた。

 ベルを鳴らしたジェイルが用を足したい旨を伝えると、カヒリはふたりの子どもを呼んだ。アンバムとディナラはヌアークの姉の子どもたち、つまりカヒリの孫で、ヌアークにとっては甥と姪にあたるのだということを、カヒリは言葉少なに説明した。

 このふたりがジェイルを前後で挟みながら廊下を移動し、カヒリは玄関の前で待つ。それは確かに、捕囚を逃さない原始的かつ確実な方法だった。

 前を歩くディナラは、興味深そうな目をしてちらちらとジェイルを振り返る。そのたびに、ふたつに結んだ硬そうな髪の毛が、肩の上でぴょんぴょんと跳ねた。まだ小学生だろう、奇妙な客人の存在が気になって仕方ないようだ。一方で後ろを守るアンバムは、顔を合わせてから一言も声を発していない。寡黙なカヒリの血を感じさせる少年だった。

 トイレの個室にはさすがにひとりで入ることができたが、窓は小さすぎて、通り抜けることなど不可能だった。わずかな時間のあいだに考えを巡らせてみるも、有効な手立ては思いつかない。

「ねえ、まだかな。大きいほうかな」

「黙ってろ」

 子どもたちの小声のやりとりが聞こえ、観念してジェイルは水を流した。

 廊下を戻ると、部屋のドアの前に置かれた椅子が目に入った。目覚めた当初、おそらくディナラがこの上に立って、部屋の中の様子を見ていたのだろう。

 ディナラがドアを開け、ジェイルを見上げる。このまま部屋に戻れば、またしばらくチャンスは巡ってこないだろう。覚悟を決めたジェイルは息を吸い込むと、玄関にいるカヒリのもとへ一目散に駈け出した。子どもたちが「あっ」と叫んで、あわてて追いかけてくる。

「カヒリ頼む、お願いだ、出してくれ」

 険しい顔をして玄関の前に立ちふさがるカヒリに、ジェイルは懇願した。

「閉じ込められている場合じゃないんだ。このままでは、この国が大変なことになる。俺はそれを止めたいだけなんだ」

 子どもたちがジェイルの腕や服の裾をつかんで引っ張ろうとするのに耐えながら、ジェイルは叫ぶように言った。

「お前の息子も犯罪者になってしまう」

 犯罪者という言葉に驚いたのか、アンバムとディナラが手の力がゆるんだ。その隙にジェイルは床に膝をつき、カヒリに向かって、深々と土下座した。

「カヒリ頼む、この通りだ」

「そんなことをなさってはいけません、ジェイル様ともあろう方が」

 カヒリの目に、怯えたような色が走った。

「俺はもう王でもお前の主人でもなんでもない。なんの力もない男だ。だから助けてもらいたいんだ。どうかわかってくれ」

 カヒリは首を何度も横に振った。皺の寄った手でジェイルを立たせると、子どもたちに部屋に連れて行くよう指示する。

「これ以上おっしゃるなら、息子を呼ばなければなりません。今度はもっと厳しく拘束されるかもしれません」

「カヒリ!」

「お許しください、私も無力なのです」

そう言ってカヒリはジェイルに背を向けた。


 ヴェイラに戻ってからこの5年間、ジェイルは誰の手も借りずに生きてきたつもりだった。それが自分に課したルールであり、さらには自負でもあった。

 だがこうなってみて、どうだ。ベッドに横たわりながら、ジェイルは己の不明を恥じた。結果として誰ひとり、ジェイルの不在に気づく人もいなければ、助けを求められる人もいない。そういう関係性を排除してきたのはほかでもない自分自身だった。

 情けなさで胸が潰れそうになるのを抑えて、ジェイルは必死で考え続ける。諦めたら負けだ。なんとかして、クーデターを止めさせる方法を見つけ出さなければ。

 それでも時間は無慈悲に過ぎていき、気がつけば日が少し傾き始めていた。コンコンと、控えめにドアがノックされた。

 ジェイルがベッドから起き上がるのと同時に、アンバムが入ってくる。外でカギがかかる音が聞こえた。

「お兄ちゃん、カギしめたよ!」

 ディナラが例のドアの隙間からこちらを見て叫ぶ。アンバムはそれには返事をせず、下を向いたまま「祖母が、どうしても少し出かけなければいけないので」と、ほとんど聞こえないくらいの小声で告げた。

「その間、見張らせてもらいます」

 ジェイルの返事を待つことなく、アンバムはデスクの椅子に腰かけた。そして見張るといったにもかかわらず、持っていたタブレットを起動すると、イヤホンをつけて画面に見入ってしまった。

 取り付く島がなさそうなのは、この家のDNAなのか。とはいえ、本当にカヒリも出かけているとしたらチャンスだ。10分、いや5分でもいい。なんとかしてこの少年を説得し、カギを開けさせなければ。

「なあ、アンバム君といったか」

 聞こえないのか、それとも聞こえないふりをしているのか、アンバムはじっと画面に集中している。

「すまない、聞いてくれ」

 立ち上がったジェイルがアンバムの目の前にしゃがみこむと、アンバムは億劫そうにイヤホンを外した。

「俺は、君の叔父さんに不当に誘拐されている。どうか助けてくれないか」

 唇を真横に結んでいるアンバムに、ジェイルは畳みかける。

「君に迷惑はかけない。玄関の暗証番号を教えてくれるだけでいいんだ」

「祖母と叔父しか知りません」

「リビングとか、どこかほかに出られる場所は?」

「勝手口も昨日から二重鍵になってます」

 ムダなことを訊くなといった表情で、アンバムはジェイルをじっと見つめた。切りそろえられた前髪から覗く太い眉は、ヌアークのそれと似ていて、意志の強さを表しているようだ。ジェイルは心が折れそうになるが、はいわかりましたと引き下がるわけにはいかない。時間がないのだ。

「ちなみに、叔父さんからは、俺のことをなんて聞いてるんだ」

「……元国王陛下を、安全なところにかくまわなければいけない、と」

「理由は知っているか」

「叔父は、偉い人のSPみたいな仕事をしているから」

「ほかには?」

 アンバムは答えなかったが、おそらく知らないのだろうとジェイルは推測した。ヌアークも、子どもたちには生臭い政治の話は伏せているはずだ。

「君には、俺が、偉い人に見えるか?」

 直接的な質問になんと答えていいのかわからないようで、アンバムは黙っている。

「俺は確かに国王だった。だがそれは15年前の話だ。今は翻訳の仕事で日銭を稼ぎながら、賃貸アパートでつつましく暮らしている。車はおろか、携帯電話すら持っていないような男なんだ。ニュースでは正式に帰国だの、政権に遺憾の意を表明だのなんだのと報じられていたが、あんなものはすべてウソだ」

 なんとか本心が伝わるように、ジェイルは瞳を覗き込みながら話した。

「本当に偉い人なら、こんなところに閉じ込められているわけがない。君の叔父さんは俺を誤解したまま、間違った計画を進めようとしている。俺はそれを止めなきゃならないんだ」

 アンバムはジェイルを見つめ返したあと、目を伏せて、しばらく手元のタブレットの暗い画面を見ていた。エアコンが回転して、部屋の空気をかすかに震わせる音だけが響いた。

 窓のほうに視線をやって、少年はぼそりと言った。

「……祖母と叔父にとっては、あなたは、偉い人です」

 そして会話は途切れてしまった。

 アンバムはわかるかわからないか程度に頭を下げると、椅子に座りなおして、体の向きを変えてしまった。タブレットの電源を入れ、再びイヤホンを装着しようとするのを、ジェイルは慌てて止める。

「わかった、叔父さんの話はもう終わりだ。かわりに別の話をしよう」

 アンバムの太眉が怪訝な形に寄る。

「監禁されるって、退屈なんだ。少しだけでいいから話し相手になってくれないか」

 半分建前で、半分本音だった。脱出のヒントやチャンスを見つけるためには、とにかくしゃべり続けなければ。

「その、タブレットで何を見てるんだ? SNS?」

 10代前半の男の子と何を話せばいいのかわからず、ありきたりな質問をしてしまう。

「Youtubeとか……」

「音楽が好きなのか? どんなのを聴いてるんだ」

 アンバムはタブレットを抱え、「知らないと思います」と首を横に振った。ジェイルも訊いてはみたものの、いまどきのラップやEDMなら、話を広げられる気がしない。だが、ちらりと見えた映像とバンド名に、自然に声が出た。

「へえ、フォールズか」

 アンバムは驚いたように顔をあげた。

「知ってるんですか」

 オックスフォード出身で、ダンスミュージックとへヴィなロックを融合した、通好みのインディー系バンドだ。ジェイルは積極的に音楽を聴くタイプではないが、大学の地元から出て成功したということで、彼らの曲はいくつか知っていた。

「中学生でフォールズなんて、渋いな」

 その言葉はアンバムの自尊心をくすぐったらしく、頬がさっと上気する。「イギリスのバンドが好きなのか?」と訊くと、素直にうなずいた。

「周りの友だちの間でも、流行ってる?」

「いえ、学校のやつらは全然……。なのでYoutubeで見たり、海外の人とSNSでやり取りしたりしてます」

 アンバムは付け加えた。

「実際に知ってる人に会ったのは、これが初めてです」

 そのまなざしに「音楽に詳しい人」という期待がこもっているのを感じて、ジェイルは内心焦った。フォールズはたまたま知っていただけで、最近のバンドのことはわからない。コールドプレイは今の10代もまだ聴くのだろうか? そんなことを考えていると、ドアがどんどんと叩かれた。

「お兄ちゃん、20分経った! タブレット貸して!」

 甲高い声でディナラが叫ぶ。アンバムは面倒くさそうに立ち上がった。

「うるさいな、ちょっとくらい我慢しろよ」

「だって約束したじゃん。次、私の番!」

 アンバムが腕を伸ばし、ドアと天井の間にタブレットを差し入れた。

「落とすなよ」

「落とさないもん」

 やれやれといったていで、アンバムがジェイルの元へ戻ってくる。

「小さい子でも、タブレットを使うんだな」

「当たり前に見てますよ。自分で動画配信するやつもいるし」

 スマートフォンすら使えない自分は、完全に時代遅れのようだ。監禁中ですら、社会勉強ができるものだとジェイルは妙に感心した。


 そのうちカヒリが帰ってきて、アンバムは部屋から出ていき、ジェイルはまたひとりになった。アンバムの警戒が少しでも解けたのはよかったが、結局まだなにもできていない。

 ジェイルは窓を開けた。ダメ元で格子をつかんで外そうとしてみるが、ぴくりとも動かなかった。カヒリたちに聞こえないように「誰か」と声を出してみるも、夕暮れの庭に吸収されていくだけだ。

 このまま夜がきて、そして朝になるのを、部屋の中から眺めることになるのだろうか。ジェイルはため息をつき、窓に背中を向けてうなだれた。

 希望を失うわけにはいかない。だが打つ手も思いつかない。ヌアークが帰ってくるのを玄関で待ち伏せして、その隙に逃げることはできるだろうか? そのためにはカヒリを味方につけなければならないが、昼間の反応を考えると成功率は低そうだ。子どものアンバムとディナラに大きな期待をすることも難しい。

 ひとりで部屋にたたずんでいると、不安が押し寄せてくる。あまりにも無力な自分に嫌気がさしてくる。

 ジェイルはシャツの襟を合わせるように、胸に右手を当てて、自分に言い聞かせる。へこたれるな、まだやれることはあるはずだ。――そう、きっと、あいつならそう言うだろう。とびきりポジティブで、状況を楽しんで、納得するまで屈しない、そんな少女のことを思い浮かべる。

「チセ」

 名前を呼んだというよりも、それは心を勇気づけるための、祈りの言葉に近かった。だからまさか、返事なんて期待していなかったのに。

「はい」

 幻聴とは思えなかった。幽閉されて気が狂うには、さすがにまだ早すぎる。

 信じられない顔をしてジェイルが振り返ると、格子窓の向こう側に彼女はいた。黄金色の夕陽に照らされて、チセが確かにそこに立っていた。


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