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第22話:信じる者

 さっきからずっと頭が痛い。それがたまにある片頭痛なのか、考えごとをしているせいか、はたまた過ぎた空腹によるものなのか、もはやジェイルにはわからなかった。頬杖をついたまま、右手の中指を伸ばして眉間の皺をぐりぐりとほぐすが、大した効果は得られない。

 薄暗い静かな部屋。聞こえるのは、リクライニングチェアが軋む音と、我知らず漏れるため息だけだ。

 ユナルが車から降りたあと、ジェイルはそのまま家まで送り届けられた。近所に食糧を買いに行ったというのに、ユナルと不快なドライブをしただけで、何も得ることのないまま手ぶらで帰宅したというわけだ。

 自宅近くで車を停めて、わざわざ後部ドアを開けた運転手は、その場で跪いた。

「陛下、よくぞお戻りいただいて……」

 こんな姿を人に見られて、また素性がバレてはたまらない。慌てて立つように促したが、運転手は感極まった表情でジェイルを見つめた。

「憶えていらっしゃいますか? 私は御料車の整備の下仕えをしておりました、ヌアークと申します。母は、メイドとして働いていたカヒリです」

「ああ、カヒリ……」

 確か身体の大きな、無口な女だった。息子のほうは憶えていなかったが、ヌアークは気にとめた様子もなく、頬を上気させた。

「先日宮殿でお見かけした際、どれほど驚いたか! ですが、すぐに感激が胸を満たしました。王制が崩壊してから15年……短くない年月でしたが、ジェイル様がお戻りになられれば、ヴェイラも安泰です」

「ユナル叔父との会話を聞いていなかったか? 俺は国のために何かをしようなんて思っていない。政治や経済とは無縁に生きているんだ」

「いえ、母が常々申しておりました。ジェイル様は聡明で心やさしいお子様だと。僭越ながら、先代よりも、先々代であるハディト1世陛下によく似ておられると。お祖父様のような偉大なる君主になられるべきお方、そう申しておりました」

 話がまったく噛み合っていない。ジェイルは首を横に振った。

「よしてくれ。王制はとっくの昔に終わった。しかも、その主犯は俺だと知っているだろう?」

「あのときは、仕方がなかったのです。国を永らえさせるために、あえて犠牲になられたその御心は、どれほど尊いものでしょう。そのことをわからない者たちが多く、歯がゆい思いをしてまいりました……。しかし民主政権の底の浅さに、国民もようやく気付き始めています。今こそ、チュンクリット家が再興するときです」

 ジェイルの手を、ヌアークは恭しく握った。

「そのために、私はこの身を捧げる決意です」

 ジェイルは眉根を寄せてヌアークを見返したが、ヌアークは変わらず、きらきらした瞳を向けている。ジェイルは思った。目の前のこの男は、自分とはまったく違う時空を生きている。本人はそれに気づいていない。さらにたちの悪いことに、本気なのだ。

「……俺は、君が思ってるような人間じゃない」

「いいえ。あなたこそ、チュンクリット王朝の血を引く、正統な国家元首たるお方です」

 信じる者特有の目つきで、ヌアークは言った。


 ――今この国には、あなたが必要なのです。レックス2世陛下。


 ヌアークの言葉がリフレインするたび、ジェイルの眉間の皺がまた深くなる。このままでは刻みついて消えなくなってしまいそうだ。

 ジェイルはリクライニングチェアから上体を起こす。前かがみになって膝に腕をつき、部屋の一角を見るともなく見ていた。もう、ため息さえ品切れだった。

 事態は思っていた以上に進んでいたのかもしれない。もともと宮殿に仕えていたヌアークは極端な例だとしても、国民のあいだに閉塞感が蔓延し、政治変革を求める機運が高まっているのは事実だ。度重なる失政や汚職による政治不信。失業率の上昇、デフレがもたらす生活の圧迫。確かに、要因は充分にあった。

 はたとジェイルは気づく。今のヴェイラの状態は、15年前と同じだ。唯一違うのは、プレイヤーが入れ換わっていること。かつて期待を集めた民主化勢力は、いつのまにか腐敗した権力と化している。

 いや、気づいてはいたのだ。思考からシャットアウトしていただけで――。

 ジェイルは肘を膝に置き、両手で額を押さえる。

 世界史を見ても、ひとつの国に民主主義が根付くのは容易なことではない。民主化の熱狂が過ぎてみれば、新政府の粗が目につくようになり、国民は物足りなさを感じ始める。民主主義もまた、万能ではないからだ。その振れ幅が大きくなったとき、王政復古やファシズムといった“揺り戻し”が起きる。たとえばイギリスでピューリタン革命後に復活したスチュアート朝は、王政復古の代表例だ。

 だが、今は21世紀だ。世界の半数以上の人口が民主主義体制下で暮らしているこの時代で、王政復古など、悪い冗談にしか思えない。少なくともジェイルはそう思っていた。だがそれは、ヴェイラという国を買いかぶりすぎていたのだろうか?

 政治というゲームは、勝敗によって親と子が入れ替わりながら、延々と続けられるポーカーのようなものだ。テーブルの周りを囲む何百万の民衆から掛け金を得るかわりに、失敗すると席から引き摺り下ろされる。見限るときの民衆は残酷だ。衣服の中まで手を突っ込まれ、すっからかんの状態で投げ出される。

 だが同時に、彼らは忘れやすい。意志と関係なく、またゲームに呼び戻されることもある。すべてはそう、繰り返しに過ぎないのだから。

「でも俺はもう、降りたんだ」

 つぶやいたと同時に、隣の部屋から電話のベルが鳴った。チェアに座ったまま、ジェイルはしばらく固まった。タカシだろうか、ユナルだろうか。もしかしたら、ついにマスコミに嗅ぎ付けられたか。

 ごくりと唾を飲み込んで、立ち上がる。ゆっくりした足取りで電話に向かうあいだも、ベルは延々と鳴り続けている。一拍おいて、受話器を手に取った。

「……もしもし」

「やっと出た~」

 明るく馴れ馴れしい声が、耳に飛び込んできた。

「なんだ、お前か」

「不服そうな声ですね。ふふ、ご期待に添えなくてすみません。チセです」

 肩から緊張が抜ける。ジェイルはベッドに腰掛けた。

「用がないときは連絡するなと言っただろう」

「ホテルを代わったので、一応ご連絡しとこうかと」

 チセは、旧市街にあるホテルの名前を告げた。繁華街が近いので、外国人観光客がよく利用するホテルだ。ランクは星3~4というところか。ジェイルの家からは、徒歩で20分ほどだ。

 ジェイルはベッドサイドの時計を見た。21時過ぎだから、まだ普通に出歩ける時間帯だ。ジェイルは受話器を握り直す。

「なあ、折り入って頼みがある」

「珍しい。なんですか?」

 スーパーの入り口で素性がばれて買い物に失敗し、ほとんど何も食べていないことを簡単に告げると、チセは面白そうにあははと笑った。

「元王様って、ほんと大変なんですね。わかりました、必要なものを買って持っていけばいいんですね? メモします」

 買ってほしいものを告げながら、ジェイルはようやく人心地ついていた。これで、部屋で飢死するおそれはなくなった。チセがフットワークの軽い女でよかった。

「あとでタクシー代を渡す」

「いいですよ、散歩したいなと思ってたし」

「念のため、黒のベントレーに気をつけろ。ユナル叔父の愛車だ」

 ジェイルは車内でのユナルとの会話を説明した。

「いきなりディナーに来いだとか……。馬鹿げているだろう?」

 ぼやいたつもりだったが、意外にもチセは淡々と答えた。

「いえ、私はそれ、行くべきだったと思いますけど」

 ジェイルは鼻で笑った。

「まさか。面倒だとわかっているのに、誰がわざわざ行くって?」

「だって、いつまでも隠れてるわけにはいかないでしょ。ユナルさんの好きにさせたくないなら、有力な人たちの前で『政治に興味ない』って、ハッキリ言えばいいじゃないですか。このままじゃ不利になる一方ですよ」

「簡単に言うな」

 予想外の返答に、思わずジェイルの語気は荒くなった。


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