第19話:王の帰還
テレビは繰り返し、レックス2世帰国のニュースを伝えている。
――前々国王であるアミル3世の急逝を受けて即位したレックス2世は、当時17歳で、ヴェイラの歴史上もっとも若い国王でした。わずか3か月後に民主化して王位を返還すると、単身イギリスに移住。オックスフォード大学で国際学を学び、優秀な成績を修めています。長くヴェイラ政治とは距離を置き、表舞台に登場することもありませんでしたが、政治的混乱を繰り返す母国の状況を憂慮し、このたび正式に帰国。後見人でもあったロチャ元将軍らと会談し、現政権へ遺憾の意を表明したそうです。また関係者によると、新党の結成なども視野に入れているとのことで……
「入れてねえよ!」
アナウンサーに向かって思わず叫ぶが、そんなジェイルをあざ笑うかのように、どのチャンネルもこのニュースで持ち切りだ。
説明を求めるタカシに、ユナルに自宅がバレて、ラーニア王太后の誕生パーティーに出席せざるを得なくなったこと、そこにロチャ元将軍ら旧王党派が勢ぞろいしていたことなどを話す。順を追って話すうち、混乱していた頭が少しクリアになる。
「なるほどねぇ……。最初からマスコミに報道させるつもりでお前をパーティーに呼んだんだろうな」
「隠し撮りされていたのに気づかなかった。特殊なカメラでも使ったんだろう。まったく用意周到だ」
ジェイルは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「ロチャ元将軍も絡んでるっつーのがきな臭いな。叔父さんとは元から仲いいのか?」
「当時それほど付き合いがあったとは思わないが……。ただ、ロチャは生粋の国粋主義者だし、ラーニア王太后を信奉してるから、その繋がりで接近したのかもしれない」
「あとはカネだな。政治的な動きの裏には、だいたい大金を出すパトロンがいる。叔父さんは結構な金持ちなんだろ?」
「少なくとも、俺よりは」
冗談めかして言ったが、本当のことだ。王家の資産の大半は、民主化の際に国に返還した。私有が認められた固定資産があるにはあるが、管理はずっと他人任せにしている。ユナルは名の知れた投資家だし、姉や妹の夫は事業家だ。一族のなかでもっとも稼ぎが少ないのは、間違いなくジェイルだろう。
「ほかに最近変わったことはあるか?」
そう訊かれて、宮殿前のデモのことを思い出した。一昨日の話なのに、もうずいぶん昔のことのようだ。この2日でいろんなことが起きすぎている。
確かにそれも臭うな、とタカシが言った。
「そのへん含めて、アジア政治専門の先生に何か知らないか訊いてみるわ」
「悪いな」
タカシの専門は安全保障だ。軍事オタクが長じて学者にまでなった男である。冷戦時の軍拡競争の話が大好物で、特にU-2偵察機をはじめとする軍用機開発を語らせるとキリがない。学生時代はそのナードっぷりを笑っていたが、趣味を突き詰めてプロの研究者になった姿に、ジェイルは敬意を抱いている。
「ところでジェイ、こんなときになんなんだが」
急にタカシの声が改まった。
「あえて訊くけどな」
「なんだよ」
「指導教官という立場はこの際関係ないんだが……」
珍しく回りくどい。
「何言ってんだ? ハッキリ言えよ」
ジェイルがうながすと、一呼吸置いてタカシは切り出した。
「帯沢千星と、寝た?」
つまりだな、とタカシが続けた。
「ファックした?」
ジェイルは天を仰いだ。さっきの感謝の念を撤回してやりたい。
「……さすがに、ハッキリ言い過ぎだ」
「したのか」
「してねえよ、バカ!」
思わず唾が飛び散り、テレビを見ていたチセが振り返る。ジェイルは身体の向きを変え、電話と口を手で覆い隠した。
「恐ろしいことを言うな。俺がクリスチャンだったら十字を切ってるところだ」
「だってさっき、ずいぶん親しげに帯沢さんに起こされてたじゃん。いつの間に仲良くなったんだよ。しかもそこホテルなんだろ?」
「それには深い事情があるんだよ。とにかくない。絶対ない!」
おぞましい想像をしかけて、真夏だというのに寒気がする。ジェイルはぶるぶると首を横に振った。
「なんだつまんねえの」
「面白がるなよ」
タカシのニヤニヤ笑いが目に浮かぶようだ。
「だってお前、最後に彼女いたのいつだよ。綺麗な顔してんのにもったいないじゃん」
「ほっとけ」
「俺じゃなくて、周りがほっとかないと思うぞ。これだけ大々的に世間に出ちまったんだから」
お前も因果な奴だよな。茶化すようにタカシは笑ったが、それには、どこか予言めいた響きがあった。
「とにかく、何かわかったら連絡する。無理すんなよ」
「大丈夫だ」
自分にも言い聞かせるようにジェイルは頷く。タカシがいることは心強い。
「無事を祈ってるぜ。アーメン」
電話を切ると同時に、テレビの画面が古い写真に切り替わった。
「わ、可愛い~。ちっちゃーい」
チセが無邪気な声をあげたが、ジェイルはiPhoneを取り落としかける。
母に抱かれ、父に寄り添われた赤ん坊が映っていた。今から32年前の写真だ。跡取りとなる第一王子の誕生に、当時国中が沸いたという。幸福極まりないといったロイヤルファミリーの姿がそこにあった。
ジェイルの成長を追うように、3歳の頃、7歳の頃、10歳の頃と、テロップとともに写真が次々に紹介されていく。どの写真も、伝統衣装もしくはシャツに半ズボンといういでたちで、動物と触れ合ったり、行事に参加したりしている。さりげないスナップショットのようでいて、余計なものはフレームからすべて排除されている、不自然なまでに自然な写真たち。ぞっとして、ジェイルは思わずテレビの電源を切った。
「いいところだったのに」
チセが不服そうにジェイルを見上げる。
「王室を宣伝するための、作為的な写真ばかりだ」
この手の写真を撮るときは、笑いすぎてもいけないし、仏頂面でもいけない。小学校に上がる頃にはすでに、その微妙な加減を理解していたと思う。いわば証明写真のようなものだ。国民に向けて、幸福で満ち足りた王室を証明しなければいけないのだ。
そのくせ王家の力が弱まったら、今度は撮りたい放題撮られた。だから今でもカメラは嫌いだ。17歳までに一生分の写真を撮られきったとジェイルは思っている。
「バカらしいプロパガンダだよ」
ジェイルはジャケットを羽織り、革靴を履いた。
「どこ行くんですか?」
「家に帰る」
あまり眠ってないのと二日酔いで気持ち悪いのとで、なんだか昨日から地続きのように感じる。帰って熱いシャワーを浴び、すっきりしたい。それに仕事もしなければ。
「お前もこれ以上ユナル叔父とはかかわるな。身に危険が及ぶようなことはないだろうが、何か訊かれてもわからないと言え。チェックアウトしたら別のホテルを取れ」
もしもの場合は連絡しろと、ホテルの備え付けの紙に自宅の電話番号を書いて渡した。受け取ったチセが、へへへと笑う。
「何がおかしい?」
「ようやくちょっとは信用されたかなって」
ジェイルは一瞬言葉に詰まる。
「何もないのに連絡するなよ! 誰にも漏らすな。そして帰国したら即刻破棄しろ」
「了解です。なんかスパイ映画みたいで興奮しますね。高級ホテルに、スーツのイケメンに、秘密の番号。あっ、じゃあ私ボンドガール!」
チセは冗談で言ったのだろうが、タカシの発言が脳裏に蘇った。同時に後ろめたさと気恥ずかしさのようなものがジェイルの胸をよぎる。反射的にうつむき、そのまま部屋を出た。何故だか頬が少し熱い。
――ずいぶん親しげ? 俺と、あいつが?
まさか、ありえない。
早足で絨毯の廊下を踏みしめる。朝早いせいか、ほかの客とはすれ違わずにホテルのエントランスにたどり着いた。
ポケットからサングラスを取り出そうとしたが見当たらなかった。チセの部屋か、もしくは昨夜の屋台に忘れたか。しかし取りに戻る余裕はない。ドアマンに顔を見られないように気をつけながら、客待ちのタクシーにさっと乗り込んだ。
運転手に家の近くの住所を告げる。車が走り出して、ようやく一息ついた。
いつもならジョギングしている時間帯だ。朝の街並みを見るともなしに見ていると、運転手が声をかけてきた。
「お客さん、仕事?」
「ああ」
「朝っぱらからやんなるね。うちなんて女房や子供はまだ寝てますよ。お客さん結婚は?」
「……いや」
おしゃべり好きな運転手らしい。客のぶっきらぼうな喋り方を気にすることなく、陽気に話しかけてくる。ジェイルはなるべくミラーに顔が写らないように、身体の向きを傾けた。
「しっかし驚いたよね今朝のニュース。見ました?」
ジェイルの肩がぴくりと揺れる。
「王子……いや、王様か。今頃帰ってくるなんてねえ。すっかり大人になっててさ。あんときは子どもだったし線の細い印象だったけど」
交通量の多い交差点を器用に右折しながら、運転手は喋り続ける。
「ちょっと可哀想だったよね、今考えると。父親がいきなり死んでさ」
目的地まであとわずかだ。どうかはやく着いてくれと、ジェイルはそればかり考える。
「うちの息子が今17歳だけど、なーんもできんですよ。タクシー運転手の仕事継げるかっていったら、ねえ。そう考えたら……。って、王様とタクシー運転手を一緒に考えるなって話ですけどね! あ、着きましたよ」
アパートから一番近い大通りにタクシーが止まった。ほっとしつつ、ジェイルは財布からお札を抜き出す。
「お客さん、王様と同じような髪形だよね。若い人のあいだでは、長いのが流行ってるの?」
不意に運転手が振り返った。料金を渡そうとかがんでいたジェイルと至近距離で目があう。ヤバいと思ったときはすでに、運転手はぽかんと口を開けてジェイルを凝視していた。
「釣りはいらない」
「え、あ、ちょっと!」
お札を運転手の手にねじこみ、ドアを開けて飛び出す。お客さん!という呼び声が聞こえたが、わき目も振らず走った。すれ違う人たちが振り返るのを感じる。正体がバレないことをひたすらに祈りながら、無我夢中で手足を動かした。
ようやく家にたどり着いたときには、汗びっしょりになっていた。