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第16話:空白の15年間

 ホールにずらりと並べられた料理は、どれもやさしく上品な味付けだった。

「南国の料理って、味がハッキリしてるイメージだったんですけど、どれも食べやすいですねえ」

「一般的なヴェイラ料理と、宮廷料理は違うからな。宮廷料理は漢方の要素が入ってるから、基本的に薄味なんだ」

「そういえば、韓国や沖縄も宮廷料理って別ですもんね。あ、これも美味しい」

 チュンクリット王朝が成立したのは18世紀のことだ。北方に位置する中国の影響を色濃く受けた王朝である。それがヴェイラ土着の南国文化と交わり合って、現代に続いている。

 ジェイルは通りかかったボーイの盆から白ワインのグラスを掴み取ると、迷うことなく口につけた。普段は小サイズの瓶ビール一本程度しか嗜まないジェイルにしては、今日のペースはかなりはやい。だが、酔っぱらうどころか、頭は醒めきっている。

 チセが何か物言いたげな顔をしたが、口を開く前に別の声がした。

「お待たせ。準備はいいかい?」

 意味深な笑みをたたえて、ユナルが立っていた。わざとらしく腰をかがめて、ラーニア王太后のいる広間の上座に向かって右手を伸ばす。

 ジェイルはワイングラスをテーブルに置いた。チセもそれにならう。

 広間を突っ切って王太后の元へ向かう。なるべくユナルの背中しか見ないようにしながらジェイルは歩いた。脇に黒づくめのSPが寄り添う。それはさながら王の行列のようだった。誰もが道をあけながら、目を輝かせてこちらを見ている。ジェイルは思う。――もしくは、刑場にしょびかれる罪人だな。

「ラーニア様」

 先頭のユナルが名を呼ぶと、傍で談笑していた婦人たちが顔をあげ、さっと身体を引いた。一拍遅れて王太后が顔をあげる。

 切れ長の瞳にジェイルたちの姿が映る。その瞳が、一瞬ゆらいだ気がした。だがすぐにラーニアは目を細めて微笑んだ。

「よく来てくれました」

「ご無沙汰しております、ラーニア様」

 緊張を抑えるように、ジェイルは深々と腰を折り曲げた。

「ラーニア様、こちらはチセ・オビサワ嬢です。日本からのお客様です」

 ユナルがチセを紹介すると、ラーニアは「まあ」と目を輝かせた。

「遠いところからようこそ。日本は大好きな国です。少しだけなら日本語もわかるのよ。コンニチハ、アリガトウゴザイマス、オイシイ、サクラガキレイデスネ」

「わあ、素敵。はじめまして、帯沢千星といいます。ヴェイラの花もすっごく綺麗です」

 自ら握手を求めるチセに、ジェイルは素直に感心する。外国人だからというのもあるだろうが、怖いもの知らずというか、実に屈託がない。

「彼女はとても面白い子でしてね。東京の大学で学んでいるそうで」

「東京、なつかしいわ。オリンピックを見に行ったのよ。ホテルオークラに泊まってね」

「ホテルオークラ素敵ですよね。一度だけラウンジでお茶したことがあって……」

 場は、自然と日本の話題で盛り上がっていた。チセはもちろんヴェイラ語がわからないので、その都度ジェイルが通訳してやる。日本語からヴェイラ語に直すのも然りで、気づくと、ジェイルひとりがほとんど会話に加わっていない状況になっていた。

 俺はいったい何をやっている。通訳に徹しながら、ジェイルは皮肉な気持ちになる。だが、むしろこれでいいのだと考えなおした。15年間連絡ひとつ取らなかった祖母と、今さら何を話せというのか。毒にも薬にもならない話でこの場を流せるなら、それでいい。

「それで、あなたは何をなさっているの?」

 なので、突然ラーニアに話を振られても、ジェイルは心構えができていなかった。

「仕事……ということであれば、ニュースやビジネス資料の翻訳などを」

 答える声がたどたどしい。

「日本語の?」

「主には英語ですね。日本語、中国語、ドイツ語の仕事を請け負うこともありますが……」

「語学に精通しているのね。どこで学ばれたの?」

 祖母と孫の会話だというのに、我ながら他人行儀だとジェイルは思った。

「英語とドイツ語は、スイス時代です。ほかは、イギリス留学中に語学を専攻していましたし、ルームメイトからも日本語を教わりました」

「あなたのように若くて立派なら、仕事は引く手あまたでしょうね」

 ラーニアの傍に控えるユナルが、髭を指先でなぞった。

「いっそ、王宮で働けばいいのに」

 ジェイルはそれを、冗談だと思った。王制を崩壊させた放蕩孫息子に対する、ラーニア王太后らしい強烈な毒舌だと。

「ご存じでしょうけど、王子のジェイルもスイスに留学中なんですよ。10代だからまだ先の話だけど、戻ってきたとき、あなたのように海外経験が長い人が王宮にいれば心強いでしょうね」

 唖然とした。

 聞き間違いではなかった。ラーニアの顔を見つめたまま何も言えないジェイルを、チセが不審そうに見やる。ジェイルは精一杯の声を喉から絞り出した。

「ラーニア様、私が……」

「おや、ロチャ将軍がいらしたようですよ」

 覆いかぶせるようにユナルが言った。広間の入口に振り向くと、大柄で禿げ頭の男が、SPを連れて悠々と歩いてきた。陸軍元帥時代のものらしき真っ赤な詰襟の上着には、勲章がじゃらじゃらと揺れている。すでに軍部からは引退した老体であるにもかかわらず、威厳を感じさせた。民主化後も旧王党派・右翼の大物であり続ける男は、王党派が集まるこの場で主役のオーラを放っていた。

「ラーニア様、お誕生日おめでとうございます」

 朗々とした声でロチャが言う。

「ロチャ将軍、わざわざお越しいただきありがとう」

「ラーニア様のためならどこへだって駆けつけますよ」

 ユナルが席を立ち、ロチャ元将軍に挨拶する。その間、ジェイルは何も言えないまま、光景を見つめているしかできなかった。

 傍にやって来たロチャと目があう。ちゃんと顔を合わせるのは、民主化に最後まで反対していた彼が宮殿の執務室に直談判しにきたとき以来だ。

 建前上は王と臣下とはいえ、即位したばかりのジェイルと、長年陸軍のトップに君臨していたロチャの力関係は、親と子ほど離れていた。ジェイルの決定に対して、彼は怒鳴りさえしたのだ。父王が守ってきたものを覆すとんでもない馬鹿者だと、陰で散々罵られたことも知っている。それでもジェイルは必死に己の決断を貫き通した。

 あのときジェイルは17歳で、ロチャは67歳だった。少年と大物だった。今、ジェイルは大人になり、ロチャは老人になった。なのに、いまだにどこかでひるんでしまうのは何故なのだろう。

「これはこれは……」

 ロチャはそう言ったあと、得心したような表情になった。そしてすぐラーニアに向き直る。

「将軍がいらしたことですし、我々はいったん失礼しましょう。ラーニア様、のちほど」

 ユナルは有無を言わさず、ジェイルとチセを促す。反抗する気力もなかった。

「大丈夫ですか?」

 小声でつぶやいたチセの言葉も、耳をすり抜ける。

 3人はそのまま広間を出て、人気のない小部屋へと入った。

「……いったい、どういうことですか」

 ユナルはすぐには答えず、煙草に火をつけた。ジェイルは再度尋ねる。

「ラーニア様は、いったいどうなっているんです」

「いかにラーニア様といえど、80代にもなれば、心身にガタがくるのさ」

 ユナルは窓の外に広がる庭園を見ながら、煙草をくゆらせた。

「平たく言えば、痴呆だね。老人性認知症」

 ジェイルは言葉を失った。

「まだ日常生活に差し障りはないし、昔のことはきちんと憶えている。ただ、民主化以後のことをどんどん忘れてきている。君に会わせたらどうかと思ったが、やはり忘れていたね」

「それなのに、こんなパーティーに引っ張り出して、いいと思っているんですか」

 自分の声が震えるのを、ジェイルは感じた。怒りと失望とショックが混ざり合った、なんと形容していいのかわからない気持ちが滲んでいた。

「孤独にさせておくほうが、病状は悪化するよ。それに痴呆症とはいえ、基本的には元気なんだ。病院に閉じ込めるほうがいいとでも?」

「だからといって……」

「言っただろう、我々は流浪の民だと。王族だけじゃないよ、王党派や旧上流階級、軍部といった人たちすべてだ。祖国を失った我々にはシンボルが必要だ。ヴェイラ王国にとってのエルサレム神殿がね」

 備え付けの陶器の灰皿に短くなった煙草を押し付けて、ユナルは指先をこすりあわせた。

「まだ若く、海外留学という逃げ場のあった君はいいかもしれないけど、王制崩壊についていけない人たちもたくさんいるのさ。ある意味では、ラーニア様ですらね。君が顧みなかった15年間とは、そういうことだ」

 ユナルはそう言い残すと、燻った匂いを漂わせながら部屋から出ていった。


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