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第12話:たったひとつの名前

 このままでは、間に合わない――。

 ジェイルはハッと閃いた。チセのバッグを乱暴に開けると、“それ”をブーメランのように、思いきり男に向かって投げた。

「ぐぇ!?」

 カコーン!と気持ちのいい音を立てて、男の後頭部に命中した。男ははずみで手を離し、そのまま地上に落下した。

「まさか、飛び道具としての使い道があるとはな」

 肩で息をしながら、ジェイルは男のそばに落ちた木彫りの面を拾う。チセが出店で買った例のおみやげは、重量、質感ともに、投げるのに最適だった。

 額の汗を雑に拭うと、座りこんでいる男の前に仁王立ちした。

「手間、かけさせやがって……」

「す、すんません! マジで! 勘弁してください!」

 怒りの表情の面を手にしたジェイルを見上げて、男が涙目でわめく。

「デモは言われて参加しただけなんで! 政治とかどうでもいいっす。組織からカネが出るって話だったんで、軽いバイトのつもりで」

 ジェイルのことを警察関係者と勘違いしているのだろうか。黙って男の左腕を取ると、男は「ヒエッ」と情けない声を出した。

「昨日、あの女の子からパスポートを盗んだな?」

「後ろ姿しか見てないんで、憶えてなかったんですマジで。すぐ業者に流したんで、パスポートはもう手元にないっす」

「これは?」

 ブレスレットを引っ張ると、男はさらに涙目になった。

「パスポートと一緒に入ってたんすよ。今こういうデザイン流行ってるじゃないすか。高そうな石使ってるし、気に入ったんで」

「返してもらう」

 ブレスレットは男の手首を離れて宙を舞うと、ジェイルの手の中に収まった。

「行け」

「は、はいっ」

 慌ただしく立ち上がって、男は小走りに去って行った。それを見届けると、ジェイルはどさっと地面にしゃがみこんだ。

「……疲れた」

 柵に背をもたれかけたつもりだったが、上半身がずるりと横向きにすべり落ちた。手足の力が抜けた。

「本気で疲れた……」

 地面に寝転がって、力なくつぶやく。走っている間は気にならなかった疲れが、どっと押し寄せていた。

 服が土で汚れるなと思ったが、すでに汗だくなのだからどうでもいいかと、ジェイルは考えを改める。デモの騒ぎがぼんやり遠くで聞こえる。自分の呼吸の音が、それを上書きする。一歩も動きたくなかった。

 緩慢な動作でサングラスを外した。代わりに木彫りの面を顔にかぶせて、瞼を閉じる。このあたりまで誰か来るとは考えづらいが、もし来たとしても、この姿で寝転がっていれば避けるだろう。

 働きすぎた肺が胸を大きく上下させる。ジェイルはじっと、先ほどの男の言葉を反芻していた。

“言われて参加した”“組織からカネが出る”とは、どういう意味だったのか。

 そのとき、こちらに向かってくる軽快な足音が聞こえてきた。

「あー、やっとみつけた。こんな奥まで行ってたんですね」

 能天気な声が頭上に降ってくる。

「ふふ、お面似合ってますよ。気に入りました?」

 見下ろされて、顔に影が差す。ジェイルはあえて目を閉じたまま、ぶっきらぼうに言った。

「何やらかしてるんだよ。お前のせいで、デモが大騒ぎになっただろ」

 チセはジェイルの左横に体育座りしながら答えた。

「一応、最初は正攻法で返却をお願いしようと思ったんですよ。でもダメだったので、人の手を借りるしかないなと思って、あえて大袈裟に騒いでみました。ただ、転んだのはやりすぎだったかもしれませんね」

 上半身を起こして、ジェイルはチセを見る。

「信じられん。わざと転んだのか」

「外国人ともめ事を起こせば、警察も黙ってないかなって。パスポートを盗んだこと自体は現行犯じゃないから、別のきっかけで介入してもらう必要があるでしょう。ちなみに、わざと手を出させるっていうのは、日本の公安がデモの取り締まりでよくやる手です」

 ニコニコしながら物騒なことを話すチセを見ていると、文句を言う気力も失われていく。

「事前に打ち合わせくらいしろよ」

「すみません。考えるより先に行動してた、というのが正しいところです」

 チセは肩をすくめた。

「でも、転んだせいで人垣ができちゃって、あの場で男を捕まえられなかったのは誤算でした。結局逃がしてしまって、作戦失敗ですね。ごめんなさい」

「失敗じゃねえよ」

 ジェイルはズボンの右ポケットからブレスレットを取り出した。

「ほら。パスポートはなかったけど」

 投げたブレスレットを、チセがキャッチする。

「……さすがに、無理かと思ってました」

「伊達に5年間毎日走っているわけじゃない。まあ、最終的にはこの面を投げて捕まえたんだが。魔除けの効力っていうのも、案外ホントかもな」

 疲れているのを見せつけるのも恩着せがましい気がして、あえて大したことないような言い方をしてしまう。

「やさしいんですね」

「別に」

 照れ隠しに、そっぽを向いたまま面を顔に当てた。しかし左側から伸びたチセの手に、面がはがされる。

「なにす――」

「やさしいです、すごく」

 細めた目に光を反射させながら、チセはジェイルの視線を捉えた。頬がほんのりと色づき、やわらかく口角をあげた笑みは、出会ってからはじめて見せる表情だった。

「嬉しいです。本当にありがとうございました」

 そう言ってチセは深々と頭を下げた。

 打ち切るようにジェイルは立ち上がり、服についた土を払った。

「……面倒に巻き込まれる前に、はやく行くぞ。まっすぐ進めば宮殿の裏門に出るはずだ」

「はあい」

 ポケットに手を突っ込んで、ジェイルはずんずんと歩き始める。チセが軽やかな足取りでついていく。夕陽がふたりを照らし始めていた。


「これは驚いたね」

 ヴェイラ随一の高級ホテルのスイートルーム。ユナル・ジャネイラは革張りのソファにゆったりと腰掛けながら、部下からあげられた調査レポートをめくっていた。

 傍に控えた部下が慇懃に説明する。

「デモが中断した大元の原因は、参加者と日本人の少女とのトラブルでした。外国人ですし、偶発的なトラブルだと思ったのですが、たまたま私が近くにおりましたので、念のため追跡しました」

「すると、彼と合流したということだね」

 調査レポートには、ジェイルとチセを隠し撮りした写真がプリントされていた。

「まず、マフィア関係を疑いました。ですが近くで声を聞いて、驚きました。日本語とヴェイラ語を流暢に使い分けていましたし、なにより、声がその……“陛下”そのものでしたので」

「君は宮殿に仕えていたからね。15年ぶりでも、雇い主の声はすぐに聞き分けられるだろう」

 カルティエのライターを鳴らして、ユナルは煙草に火をつける。ゆっくりためを効かせてから鼻から吐き出すと、紫煙が立ちあがった。

「住居は旧市街の中心部にあるアパートです。すぐに大家にカネを掴ませて確認したところ、名前はジェイル・ジャネイラだと」

「母方の名前を使っているのか。そりゃ、本名を名乗れば大騒ぎになるだろうからね。ジェイル・レックス・ハッサ・チュンクリットという名前は、世界中を探してもひとりしかいない」

 ユナルは立ち上がって、窓から夜景を眺める。西の丘に、ライトアップされた宮殿が見えた。

「デモも中断したとはいえ、写真は充分撮れたようだし、朝刊は問題なく作れそうだと、さっき記者から電話があったよ。さらに彼の所在をみつけられたとなると、予想以上の収穫だね」

 口元をにやりとさせながら、己の立派な髭を指先でなぞった。

「計画に、一気に弾みがつくかもしれないな」


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