第11話:追え!
外階段を駆け下り、回廊式の通路を抜ける。
デモの様子をうかがう団体客たちが、出口の手前でもたついている。出口のすぐ先、宮殿前庭にはデモ隊の先頭がいた。
「「ドルーダ首相は辞任せよ!」」
「「そうだー!!」」
シュプレヒコールが止むことなく聞こえてくる。
「すみません、通してください」
騒々しさに負けないよう声を張り上げながら、ジェイルはでっぷりと太った中年女性の肩と肩をかきわけた。身体を斜めにして狭い空間を通り抜ける。すでに外に出ていたチセにようやく追いついた。
「いきなり、走り出すなよ」
肺から息を吐き出すのと同時に、大きくため息をつく。チセは特に悪びれることなく、ちょこんと頭を下げた。
「みつかったか?」
「まだ。確か、このへんにいたと思うんですけど……」
息を整えたジェイルは、改めてデモの全景を見渡した。宮殿の前庭を覆うように、左右に長い列が広がっている。警官が集まってきているものの、公有地という特性上、無闇にやめさせることもできず、出方をうかがっているようだ。邪魔が入らないのをいいことにデモ隊の勢いは増していた。
「汚職だらけの政党政治にはもうウンザリなんだよ!」
「ドルーダ、出てこいよ。ケツの穴が小せえ野郎め!」
下卑た野次が飛んだ。ゲラゲラと笑い声が響き、ジェイルは眉根を寄せる。行儀の悪い手合いもずいぶん混じっているようだ。だいたい今日は日曜だから、ドルーダは首相公邸にいるはずだ。それ以前に、議会や式典などの行事で今も宮殿が使われているとはいえ、政府の中枢は新しい官庁ビルに移されているのに――。
そこまで考えたとき、ジェイルは動きを止めた。何かが、妙だ。
この規模のデモが、自然発生的に起きるとは考えにくい。たとえば労働組合や政治団体など、普通は主導的存在ごとにある程度の特徴があるものだ。だが、参加者の顔ぶれを近くで見ると、不自然なほど印象がバラけている。いかつい中年男性もいれば、主婦っぽい女性もいる。今、野次を飛ばしたのは、デモ隊の端のほうに固まっている若者たちの集団だった。ジェイルの正直な感想としては、政治活動からはもっとも縁遠そうな、不良っぽい外見をしている。たとえば中央広場にたむろして、盗みを働くようなタイプの。
「あ!」
そのなかに、チセが指差した黒いポロシャツの男がいた。近くで見るとかなり若い。チセと同い年くらいだろうか。
「どうする?」
ジェイルは右隣を見た。が、そこにいたはずのチセがいない。チセはすでに、デモ隊のほうへすたすたと歩き始めていた。そのまま、迷うことなく隊列の中に入ると、仲間と喋っていた男の肩をとんとんと叩いた。
男が振り返る。彼の左手首を指差して、チセはにっこりと笑って言った。
「Would you return my blacelet?」
外国人の少女にいきなり英語で話しかけられ、男はきょとんとする。仲間が尋ねた。
「なんだ、この女。知り合いか?」
「いや、知らねえよ」
「可愛いじゃん。外国人がお前に何の用だよ」
「だから知らねえって」
男たちが、チセの頭から爪先までをじろじろと見回した。チセはにっこりとしたまま、はっきりと発音した。
「You stole my passport and blacelet,don’t you?」
パスポートという響きを聞いた途端、男が表情を曇らせる。
「I think this blacelet is mine…」
「ノー! ノー!」
チセが最後まで言い終わる前に、男は大袈裟にかぶりを振った。わかりやすい拒絶のジェスチャーで、チセを追い払おうとする。
ジェイルはその様子を少し離れた場所から見ていた。ただし、チセたちの話す声までは聞こえない。
「あいつ、何やってるんだよ……」
嫌な予感がして、おそるおそるデモ隊のほうに近づいた。そのとき、ちらりと振り返ったチセと目があった。
チセが口の端でにやりと笑った。
次の刹那、チセは男を指差しながら、大声で叫んだ。
「パスポート! マイパスポート!!!!」
男たちがぎょっとする。近くにいたデモ参加者も、シュプレヒコールをやめてチセたちを見た。
「パスポート!!!!」
さらにチセは叫ぶ。ざわめきが、チセと男たちの周りを円のように取り囲む。
「やめろ! ノー!」
男が慌てて止めようとするが、チセは癇癪をおこした子どものように叫ぶのをやめない。騒ぎに乗じて、ジェイルはデモ隊の中に入り込む。人垣から顔をのぞかせたとき、後方からバタバタと走る足音が聞こえた。
「何の騒ぎだ!」
警備に当たっていた警官が、騒ぎを聞いて駆けつけてきたのだ。その姿を認めたチセは、ひときわ大きな声で、男を指差し叫んだ。
「ヒー・ストール・マイ・パスポート!」
「このガキ、やめろって!」
男の仲間のひとりがチセを押した。ぐらりと態勢を崩したチセは、「キャッ」という悲鳴をあげて、派手に地面へと転がった。
その場にいたすべての人間が固唾を飲む。静寂を打ち破るように、警官が怒鳴った。
「暴力行為だ!」
警官はチセを倒した男に駆け寄って、腕を取り押さえた。
「ほかの者も動くな! デモをやめろ!」
デモに介入するタイミングを伺っていたほかの警官たちも、その言葉をきっかけに一斉に動き始めた。
「やべっ」
盗んだ張本人の男が、弾かれたように走り出した。
「お、おい!」
ジェイルは男の背中に向かって叫ぶ。男はチラリと一瞥すると、さらに走るスピードをあげた。
「逃げんな! おい!」
反射的にジェイルも走り出した。男はジェイルをまくように、ざわついている参加者のあいだをくぐり抜けていく。スリに慣れているだけあってか、逃げ足が速い。
「待て!」
人の波をかきわけながら、ジェイルは後を追った。広場はすでに、デモ隊と警察が入り乱れて、秩序を失っていた。その混乱のなか、男を追う目と、脚の動きだけに神経を集中して走る。
突如、ぐいと腕を後ろに引っ張られた。持っていたチセのバッグについているチャームが、すれ違った女性のリュックに引っかかっている。そのあいだにも男は先へ先へと逃げていく。
「ちょっと動かないでください」
「ひっ!?」
サングラスのヒゲ男に背中をいじられ、女性は硬直していた。チャームと荷物のフックが引っかかっている。こんなところで時間を食っている場合ではないというのに。
ガチャガチャと乱暴に取り外した。ダッシュしながら、バッグを脇に抱え直す。
だが今度は、プラカードを掲げた参加者が、走ってくるジェイルに気づかず道をふさいでいた。
「すみません、通して!」
ほかの道を目で探すが、迂回する余裕はない。ぶつかりそうになった瞬間、腰を落とし、頭を引っ込めた。プラカードを後ろ髪がかすめる。
デモの一群を抜けた。男は広場の奥のほうへと逃げていく。ジェイルも後を追った。
人の群れから離れて大気に晒されると、途端に身体が軽くなったような気がした。背中は汗でぐっちょりと濡れているが、不思議と疲れは感じない。強い力で芝生を蹴り続けた。神経の動きがどんどんクリアになり、世界と自分が切り離されたような感覚に陥る。
周囲にはもう誰もいない。男の背中が迫って来た。
ふたりは、緑深い敷地のはずれにまで辿りついていた。この先は行き止まりのはずだ。
ジェイルは拳に力を入れ、速度を高める。すると男は、敷地を区切る柵に足をかけた。柵を乗り越えて逃げるつもりのようだ。
「おい、待て!」
向こう側の車道に出られたら、獲り逃してしまう。だが、男はぐいぐいと柵を昇っていく。ジェイルの額に汗が流れた。