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第10話:デモ隊

 ミンの家族を含むツアーは、観光コースの出口近くでみつかった。

「お祖父ちゃんたちのグループにいたんじゃないの!? ここまでどうやって来たの!?」

 目を丸くしながら、ミンの母親は幼い息子を抱き上げる。

「ひげのおじさんと、おねえちゃん」

 ミンが今しがたふたりに送り出されたほうを指差した。だが柱の裏に隠れているジェイルとチセの姿が見えなかったらしく、母親は不思議そうな顔をする。その様子を、チセが陰からこっそりのぞく。

「行っちゃいますよ」

「俺はいいって」

「すっかり懐いてたじゃないですか」

 ジェイルがしぶしぶ顔を出すと、母親の腕に抱かれたミンがふたりに気づいて笑顔になり、小さい手を懸命に振った。その姿も人ごみにまぎれ、だんだんと見えなくなる。

「任務完了、ですね」

 建物の出口を出ると、2階ほどの高さの広いテラスになっている。高い位置から街を見渡すことができるので、観光客が写真を撮ったり、双眼鏡で眺めるには絶好のスポットだ。

「人助けすると、気分がいいですねえ」

 チセが背中を手すりに預けて、猫のように伸びをする。ジェイルは手すりの上で頬杖をつき、ぼやいた。

「みつかったからよかったものの……、あんまり余計なことに首を突っ込むなよ」

「それ、よく言われます」

 チセはくるりと身体の向きを変え、眼下の景色を眺めた。

「『帯沢千星は素っ頓狂なことばかりする』って、21年間ずーっと言われてますねえ。特に学校の先生からすると問題児だったみたいで、裏では“小型爆弾”って呼ばれてたらしいです。おかげでお父さんもしょっちゅう呼び出されてたし」

 ジェイルの眉間にしわが寄る。

「ドラッグとかやってたのか?」

「まさか!」

 チセは噴き出した。

「これでもミッション系のお嬢様校でしたし、法に触れるようなことは全然。臨海学校の自由時間で無人島探索したりとか、選挙管理委員として生徒会長選挙をイベント化したりとか、そういうのです」

「イベント?」

「堅苦しい選挙じゃつまんないなと思って、ダンス部や調理部に協力してもらって、パーティーみたいにしたんです。楽しかったあ。反対されるのがわかってたので、基本的に先生へは事後報告でしたけどね。でも、悪いことしてるつもりはありません。生徒の評判も上々で、次の年から定例化されたんですよ。あ、中学生のとき、露出狂に遭ったのをとっ捕まえて警察に突き出したときは、『頼むから危ないことはしないでくれ』って、お父さんに泣かれちゃいましたけど」

 けらけらと笑うチセの話を聞きながら、ジェイルは空を見上げてため息をついた。右往左往している大人たちの姿が容易に目に浮かぶ。電話越しでしか知らないチセの父親に同情したくなった。

 だが次に聞こえたのは、予想外の言葉だった。

「私、いつも、明日死ぬんじゃないかって思って生きてるんですよ」

 思わずジェイルは動きを止めた。

「形あるものはいつかなくなるし、時間は流れて、現在はあっという間に過去になっていく。当たり前のことなんてない。だから、私は目の前のことを見過ごしたくないんです」

 チセの大きな瞳には、空と街の境目が映っていた。手すりにちょこんと寄りかかって夢みるように微笑む姿は、無防備な少女にしか見えない。しかし、その唇から紡がれるのは淡々とした言葉だった。

「今日会った人と、もう二度と会えないかもしれない。明日、死ぬのは私かもしれない」

 それは、自分の母親のことを指しているのだろうか。

“あの子が6歳のとき、病気で亡くなりました”

 今朝方の、チセの父親の言葉が脳裏をよぎる。ジェイルの微妙な表情の変化に気づいたのか、チセはジェイルを見上げた。

「お父さんに聞きました? 母のこと」

「いや……」

 なんと答えていいかわからないジェイルに、チセは目配せする。

「気にしないでください。ふふ、あの人すぐその話するんですよ。周りから『あの子が変なのは、母親がいないからだ』ってよく言われたから、責任を感じてるみたいなんです」

 でも、とつぶやく。

「確かに、因果関係はあるでしょうね。だけど母がいないのは私の人生でもう当然のことだし、それで同情されたり変な目で見られたりするのは、腑に落ちなくて」

 チセは静かに口角をあげた。

「生まれてくる環境は、誰にも選べないじゃないですか」

 そんなことは知っている。それを繰り返し考え続けたのは、ほかならぬ自分だ。なのに、チセの言葉に予想以上に驚いている自分に、ジェイルは驚いていた。

 サングラスの奥で瞳が乾く。まばたきすると、チセと目が合った。出会った夜にも感じたが、見る者をすっと引きこむような眼差しは、まるで動物のようだ。

 そう思ったとき、チセがくしゃりと表情を崩した。

「だから自分で選べるものは、後悔しないようにしたいです」

 そして、無邪気な笑顔を浮かべた。

 ああ、この少女はきっと、ジェイル以外の誰にでも、同じように接するのだろう。相手の年齢も性別も出自も関係なく、高慢になることも、へつらうこともなく、ごく自然に、身軽に、まっすぐ目を見て。

 ジェイルは我知らず口に出していた。

「……変わってる」

「それも、よく言われます」

 抜けるような青空の下、チセの明るい色の髪が、陽光に透けていた。

 数日前まで見ず知らずだった外国人の少女と、15年ぶりにかつての我が家にいる。信じられないようでいて、同時に当たり前のような、不思議な心地がジェイルを満たした。


 シュプレヒコールが聞こえてきたのは、そのときだった。

「「ドルーダ首相は辞任せよ!」」

「「ヴェイラの誇りを取り戻せ!」」

 観光地におよそふさわしくない騒ぎに、テラスにいる観光客たちが顔を見合わせた。シュプレヒコールはだんだんと大きくなってくる。ジェイルは手すりから身を乗り出して下を覗いた。

 プラカードや横断幕を持った人々が列をなして、宮殿前の広場を練り歩いてきていた。

「デモですね」

「見りゃわかる」

 ジェイルは素早く目を動かす。ざっと見たところで数百人はいるだろうか。30~50代くらいの男性が多いが、女性もいる。広場まではチケットなしで誰でも入れるので、デモ隊は宮殿のギリギリのところまで近づいてきていた。出入りする観光客が遠巻きにしてあけた道を、デモ隊が練り歩く姿は異様だ。

 彼らが掲げるプラカードには「無能なドルーダ首相は退陣せよ」「ヴェイラを守れ」といった言葉が踊っている。

「「人望なき政権は去れ!」」

「「そうだー!」」

 広場から宮殿に向かって、デモ隊は拳を振り上げて叫ぶ。

 宮殿の上階には、行政府が据えられている。それに向かって彼らは叫んでいるのだろうが、まるでテラスに立つ自分に向けられているような錯覚に陥って、ジェイルは手すりを握りしめた。

 この光景を俺は知っている。

 あの頃、ここで、何度も経験した――。

 身動きが取れないジェイルの目に、上下するプラカードのひとつが飛び込んできた。

≪王政を復古せよ≫

 膝の裏を蹴られたような気分だった。

「ああっ!?」

 チセが素っ頓狂な声をあげた。それを合図に、ジェイルの強張りがほどける。

「なんだ、いきなり?」

「あの人! ほら、あの黒いポロシャツの人です!」

 シュプレヒコールと一緒に腕を突き上げている、若い男をチセは指差した。

「私のパスポート盗んだ人です」

「まさか……。似ているだけだろう」

 チセはぶんぶんと首を横に振った。

「私、目がいいんです。間違いありません。あの人が左手にしてる水晶のブレスレット、私のです。というか、正確には母のです」

「どういうことだ?」

「パスポートと一緒にポーチに入れてたんです。いつも持ち歩いているお守り代わりというか、母の形見だったので」

 ジェイルは目を見開いた。

「そんな大事なこと、なんではやく言わないんだよ!?」

「盗られたのは私の責任だし、あのとき追いかけても捕まらなかったから、そういう運命なのかなと思って……」

 チセは息を吸った。

「でも、ここで出会ったってことは、取り戻せってことですね」

 斜めかけバッグを肩から外すと、有無を言わさずジェイルの腕に押し付けた。

「しばらく預かってもらえますか? 行ってきます」

「待て、おい!」

 ジェイルが静止するよりはやく、チセは駆けだしていた。周りの観光客が、大声を出したジェイルを何事かと見てくる。

「クソッ」

 風体に似合わぬ水玉柄のバッグを掴んで、ジェイルも走り出した。


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