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第1話:最後の国王(1)

 少年はひとりで立っていた。最高評議会が行われている大議場の中央で、並んだ多くの臣下に、さらにはテレビカメラの向こうにいる何百万もの国民の瞳にみつめられながら、ひとりで立っていた。

 宮殿内にある大議場には、赤い絨毯が敷き詰められている。ヴェイラ王国の国鳥であるクジャクの金のレリーフがあちこちに施され、爛々と光を反射していた。贅を尽くした内装は、かつてヴェイラ王国が、東南アジアでも一、二を争う黄金採掘国だった頃の名残を感じさせる。欧米列強によるインドシナ侵略や第二次世界大戦の戦火を免れてきた宮殿は、長くヴェイラ王国の、そして国王一族のシンボルとして存在していた。ここで最高評議会を開く権利をもっているのは、この国でただひとり、国王その人だけだ。

「神と王家と国民の名において――」

 少年が声を張り上げた。演説慣れしていない線の細い17歳の少年は、わずか3か月前に即位したばかりだった。山ほど肩章や星章などの飾りのついた白の礼服に、着られてしまっている。右腕を天に向かって伸ばそうとすると、袖の重さに一瞬よろけた。それでも必死に前を向いたまま、震える喉から慇懃に言葉を絞り出した。

「私、レックス2世は王位を辞し、王家の持つすべての権利を廃し、国民の皆さんに譲り渡すことを宣誓します」

 怒号のような歓声が響き渡った。大議場の中だけでなく、宮殿の外に集まった大勢の国民たちが喜びの声を上げている。さらには、祝砲が鳴り響く音が、雲ひとつない青空に弾けていく。数秒前まで国王の臣下だった者たちが、立ち上がり、抱き合って歓喜している。

 その渦の中で、少年はひとりで立っていた。


 ここで、ナレーションが覆いかぶさる。「以上、15年前の民主化決定の最高評議会の映像でした。こうして我が国は王制という古い慣習を捨て去り、新たな民主化時代へと――」

 ジェイルはテレビのスイッチを切った。プチッと音を立てて画面が黒くなる。

 シャワーを浴びる前にテレビをつけっぱなしにしていたせいで、見たくないものを見てしまった。濡れた髪の先から、ぽたぽたと水滴がこぼれ落ちる。ジェイルは首にかけていた白いタオルを手に取ると、丁寧に頭を拭いた。

 毎年、この時期は建国祭イベントが行われるのだ。ヴェイラが民主主義共和国として生まれ変わった8月末の建国記念日まで、国全体が祝祭ムードに包まれるのと同時に、王制時代のアーカイブが引っ張り出される。それらは、「民を長年圧迫した王政」「富と権力を欲しいままにした国王一族」などといった言葉と一緒に報じられる。夏の風物詩、一大イベントと言ってもいい。

 うっかりしていた。5年前にイギリスの大学院を卒業し、ヴェイラの首都に移り住んでから、なるべく王制時代のものは目に入れないようにしていたのに。特に、レックス2世の映像は。

 テレビは消したはずなのに、残像が目の前で息をしているようだった。たった3か月しか在位しなかった、17歳の少年王。気張って演説に臨んだつもりでも、緊張で声が裏返りかけていた。君主だというのに、雛鳥のように怯えているのが画面越しでもわかる。礼服を着ただけの子ども。なんて哀れで、なんてブザマな王様。

 今日は朝からツイていない。ジェイルは薄い唇を結んだ不機嫌な顔で、テーブルの上の食パンの袋に手を伸ばした。トースターにセットし、その間に紅茶を淹れる。鍋の中ではゆで卵ができあがっている。沸騰してからきっかり10分、シャワーから出ると同時に火を消せば、好みの固ゆでになる。

 Tシャツの上に麻のシャツを羽織ってテーブルに着いた。男の独り暮らしだから、家にいるときは、極端にいえば下着1枚でもゆるされる。が、ジェイルがそれを是としないのは、起きてすぐのジョギングと夜の外食以外、ほとんど家から出ない暮らしを送っているからこそだ。生活の境目を曖昧にしてしまいたくない。

 軽く焦げ目のついたトーストが、いい匂いを漂わせている。紅茶からは湯気が立っている。殻を剥いたゆで卵の真ん中に、銀のナイフを差し込んだ。そのまますっと横に引くと、白と黄色の綺麗な断面図が現れた。いい感じだ。

 右手に握られたナイフに、一瞬ジェイルの顔が映る。黒く艶のある髪は、ゆるやかに波打って、首の半分ほどまで伸びている。前髪も伸びきっていて、ほとんど後ろの髪と同化していた。口の周りには、やはりだらしなく伸びた不精髭。男は短髪が基本の熱帯気候のヴェイラでそんな風貌をしているのは、浮浪者か、ロックスター志望の若者か、もしくはチンピラくらいだ。

 ジェイルはナイフを置いた手をトーストに伸ばした。新聞をめくりながら、無言で咀嚼していく。ナイフが陽の光を反射した。東の空に昇った太陽は、強い日差しを降り注いでいる。アパートの外の表通りでは、通勤、通学の自転車や、朝市の商人たちの活気ある音が響いている。ヴェイラの夏の朝だった。


 食器類を片付け、テーブルから朝食の痕跡がなくなると、仕事の時間が始まる。外国企業や海外のメディアを相手に、ヴェイラ語の書類やニュースを外国語に翻訳すること。もしくは、その逆。それが、ジェイルの唯一の仕事だった。といっても英語だけでなく、簡単なものであればドイツ語、日本語でも請け負うので、全体的に言えば、それなりに仕事はあった。二間しかないアパートとはいえ、首都の中心部に家を借りていられるのはこのおかげだ。

 辞書をテーブルの左上に広げ、細かくチェックしながら、言葉を置き換えていく。奮発して購入したソニーのノートパソコンのキーボードが、軽快な音を立てる。集中すると時間はあっという間に経つ。集中力を切らしたくないので、昼食は摂らないことが多い。もしくは、冷蔵庫の果物やヨーグルトで済ませてしまう。

 気づくと、すでに太陽は西の空まで移動している。17時を目途に仕事を切り上げると自由時間だ。立ち上がって軽くストレッチをし、部屋で一番いい場所に置いてあるリクライニングチェアへ移動する。シックな焦げ茶の革張りが自慢の一品だ。背もたれの角度を調節でき、平らにすれば簡易ベッドにもなる。中古家具屋の店頭で偶然みかけたものだが、美品だったうえにジェイルの体格にぴったりとフィットしていて、かなり気に入っていた。

 映画のDVDをレンタルしている日は、このチェアに座って映画鑑賞。そうでなければ、翻訳仕事とは関係ない海外文学を読む。ジェイルにとって、1日のうちでもっとも至福のときだ。彼はゆっくりと、チェアに身を沈めた。


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