弐 粗製乱造が世に飽和するという歴史
生成AIが数えきれない程多くのクリエイターから無秩序に無許可にデータを取りそれをさも自分が考えたかのように出力する流れは、歴史的に見て前代未聞だと思う方々もいるかもしれない。確かに生成AIという存在自体は悪い意味で、今を揺るがす技術となっている。
が、実のところアイデアを奪い取り、さも自分が出しましたかのように我が物顔で売り出す。贋作が粗製乱造され、世の中に溢れかえるという事自体は歴史の中でいくつも事例が存在する。歴史の中でなんて大層な言い方をするまでもなく、「有名になったあの作品」のパクりだとか、爆発的に流行ったスイーツの店を所かまわず作ってしまうだとか(タピオカおめーのことだよ)、似たような現象は色々とある。
今では当たり前のように飲まれているコーラの元祖はコカ・コーラだったが、瓶詰にするスタイルが爆発的に流行ったことにより、コカコーラの模造品が後を絶たず、飽和状態になってしまったという歴史がある。
創作関連の話で言うならば、あたかも自分が描いたかのように、著名な芸術家が描いた絵を模写する――そう、贋作は大昔から存在する。そのも目的は金銭であったり、名誉欲であったりとなんだか昨今の生成AIの出力した画像の問題と似たような理由が挙げられる。中には本物の方の作者の名誉を貶める為の愉快犯と言った理由もあるらしいが、それもまたなんだか最近聞いた事のあるような話ではある。
小説で言うと、「ドン・キホーテ」(なんでも売っている愉快なお店のことではない)の続編を作者でもなんでもない人物が勝手に「続編」を出した例がある。作者のセルバンテスはこの「続編」が全くの無関係であることを主張し、「本物」の方の続編である「ドン・キホーテ後編」の中で「ドン・キホーテを騙る人物が存在し、贋作はこの2人の道中記」であるというなんともメタな話を入れている。(余談だが、ドン・キホーテは割とメタフィクションが多い。作中でドン・キホーテの作品に批評を入れたりしている)
ただこういう話をすると必ず「二次創作もダメではないか?」と言う話が出てくる。だが、基本的に二次創作とは「原作者が許してくれる範囲」という制約の元で行われている。古くからある作品等は『同人誌』として出す場合の制約を定めていたりする。後はファンアートの類であり、「そうだと分かる範囲で、原作を侵蝕しなければ」許されているに過ぎない。
これが許されなかった事例は「ドラえもん最終話事件」だったりニコニコ動画で一時期大流行した「海外の言語でアニメを聞くシリーズ」であり、前者はしっかり二次創作という意識自体はあったものの、本物そっくりのタッチの絵でファンに誤解を生んでしまったが故に、後者はそもそもアニメを殆ど丸々無断転載という論外な理由で許されなかったりする。
ドラえもん最終話事件に関しては、作者自身の努力によって原作に近い絵に似せて描かれ、その構想も自身で考えて出したものではある。だが、著作権侵害で訴えた小学館は
・あまりに絵柄が似すぎており、クオリティーが高かったこと。
・同人誌の装丁が、オリジナルの単行本と酷似していたこと。
・同人誌の内容が「最終回のストーリー」であり、本当の最終回であると勘違いする人がいたこと。
・あまりに売れすぎて、同人誌の範疇を超えてしまったこと。
第三者によって無断転載されてWEB上で公開されており、コントロール不可能な状態のまま、不特定多数に見られる状態であったこと。
(※wikipediaによる抜粋)
このような理由を根拠として挙げている。あまりに売れ過ぎた事、広まりすぎた事が一番の原因ではあるが、その「売れた」理由があまりに原作に酷似しすぎていた点であることは疑いようがないだろう。たとえ人力であっても「度を越した」再現度で、広く世の中に浸透してしまってはいけないという一線はあるわけだ。
原作者が造った物、同人作家が造った物つまり二次創作との区別がちゃんとつくように重々注意はしないといけない。それは原作者が作り上げた世界を壊す事に繋がってしまうからだということは自戒の念を込めて肝に銘じておかなければならないと思う(ちなみに件のの同人作家はしっかりと謝罪もして、和解している)
大分回りくどい言い方になってしまったが、ある何かしらのアイデアなり創造を、第三者が勝手に使おうとする事例は世界各地に存在するし、それらに対して多くの人間が苦労してきた歴史があるということである。それらを踏まえて現代の生成AIが様々な画像、文章を“粗製乱造”している事実をどう受け止めるか、またはこの先、どんなことになるかを考えていきたい。




