壱 得たいの知れない気持ち悪さの正体とは
まだ生成AIがなんなのかも周知されていなかった、初めの頃はかなりネタに去れていたと思う。絵に関して言うなら「素手でラーメンを食べる美少女」のような現実ではあり得ない行動をするものが出力され、大喜利みたいに流行っていたのを覚えている。
だが、それが次第に精度が上がっていき、素手でラーメンを食べるような「間違い」も少しずつ無くなっていく。それを「AIが学んで賢くなったんだ!」と無邪気に思える人は残念ながらとても多い。しかし、多くの技術は「人には理解しがたい未知の存在」ではない事は歴史が明らかにしている。或いは「未知の素晴らしい技術」だと思いこまされていたが、蓋を開けて見ればとんでもない詐欺或いは有害な物だったなどという話も。特にAIなどというのはSFの中で語り継がれもはやある種の「神話」となってしまっていて、筆者の先輩等は「将来は頭にAIチップを埋め込んで生活するようになる」を半ば本気で信じてしまっている人もいるくらいだ(それが本当にならないとは別に断言もしないが、あまりに荒唐無稽)
生成AIが絵を描く為には「元」となる画が必要であるという話をした時、脊髄反射的に「それは人も同じ!」と言い出す人がおりますが、機械による「学習」と人の学習の差はどこにあるだろうか。
端的に言えば生成AIが為す「学習」とは、何千何万何億という画像の取り込みと、それらを切り貼りして違和感なく「生成」したものである。
例えば(本当にただの例え)A氏が描いたキャラクターをB氏が描いた別のキャラクターのポーズで、C氏が描いたキャラの表情で、D氏とE氏が描いた背景を使って生成するといった具合の事をもっと何千、何万、何億単位のパターンでしているという話だ。当たり前だが、使われた画像元の絵師に何か許諾を取るとかは無いし、生成された「画像」で金銭が発生した場合、それが支払われることもない。
そして、これが文章等、そう我らが「小説」にも同じ事が起きているわけだ。
「何のデータも無く」有名アニメ作品の絵をほぼそのまま出力したり、或いは某有名な魔法使いの物語を8割方出力する筈があるだろうか。
しかし、ここまでの話を聞いても「それは人間であっても同じことをするではないか」という意見はしつこく残る。人間は確かに他の偉大な先方が作り上げたを元に、「学んで」創作をする。だが、機械と徹底的に違うのは、そこに「意図」が発生しないことだ。
創作する人間は誰しもが「こういう風に描きたいから」と「構図」を考える。完成した作品のその「意図」がどれだけ見る者に伝わるかがその創作における「価値」の一つとなる。
我々が生成されたAIの何かしらの創作、絵なり文章なりに違和感だとか、得たいの知れない不気味さを感じるのはそれはそうである。それは例えるなら表情の無い幽霊或いは能面(能面はあれはあれで意図があるので、決して能に対する批判ではない)のようなものだろうか。




