はじめに
昨今、創作界隈に限らず、世の中をざわつかせている生成AIという存在。最近はテレビCM、番組で生成AIを賛美し(生成じゃないAIも混ざっているのが意地が悪いというか印象操作が酷い)、「この人がもしも今生きていたら」という悪魔みたいな発想で有名人そのもののゾンビを作り出し、「この人ならこう描くだろう」と架空の作品を作り出す。一方アニメでは腕とテニスラケットが合体した少女が誕生していたりした。
少し前までは動画投稿者らがこぞってchatGPTに聞いてみたとか、遊んでみたとかその反応を楽しんでいたのが、今ではテレビにも出る有名人までもが嬉々として使用していることを公言する。だが、ここまで読んでこう思った人もいるんだろう、悲しい事に。
「なんでそれがいけないのか?」と。
そういった方々は恐らく、この先何を言っても理解できないのではないか。以前、なろう小説を過剰に敵視する(の割に所謂『なろう小説』の流行りでしか書いていない方だが)「この程度のレベルならAIが書いた方がいい!」と主張される方がいて、よくSNSで話しかけられた。それを信じてやまない人がいる場合、真向から否定しても受け入れがたいものだと知っていたので、それとなく「それは果たして創作と言えるだろうか?」といった趣旨の返しをしていたが、結局その方の考えは変わることはなかった。
「AIの漫画で賞が獲れるのであれば、自分でも使いたい」と主張されていたのを最後に目にして、見限ったので、その後どうなったかは知る由もないが、「創作」をしている人の中には一定数こういった層はいる。彼らはこぞって「効率の良さ」であったり「自分ではできない部分をやってもらう」であったり「アイデア出し」の為だと語る。
その根にあるのは「楽をして創作がしたい」というところであり、「それの何がいけないのか?」に繋がってしまっている。これから語る事はそもそも「創作とは何か」という点、生成AIが創作をすることで一体どんな問題が生まれていくか、その未来図について考察していく。権利関係に関しても多少話すが、本筋ではないことは予めご了承頂きたい。




