第53話 感謝の深淵に潜む心
――現在
意識は今に返り、私は城内庭園に立ち、あの時の静かな光景を少しだけ羨ましく感じていた。
(ルミナの民もあれほど静かであればなぁ……)
その心を読んだのか定かではないが、イロハがツッコミじみた声をかけてくる。
「なにか、妙なこと考えてません?」
「い、いや、全然」
慌てて顔をそらすと、女王ミカガミが勇者ミナヅキを伴ってこちらへ歩いてくるのが見えた。
「アルト様、本当に今日お立ちになるのですか?」
「女王陛下を救っていただいた感謝、どれほど尽くしても尽くしきれません。もう十日ほど滞在し、盛大な宴を――」
「いやいや、毎日の食事は豪華で嬉しいが、国を長くは留守にできない。女王ミカガミ、盛大な見送りも不要。急ぎ戻り、臣下や民を安心させてやりたい」
「ふふ、本当にお優しい王ですこと。では、お見送りはここで。あ、ですが、一つだけアドバイスを」
「何でしょうか?」
女王ミカガミは柔らかな胸元をそっと撫でた。
「私は政治の舞台から一時も降りることを許されず――いえ、私自身が許せなくて、ずっと政務一辺倒でした。しかし、そのために世継ぎを得る機会を失ってしまった……」
城を見上げ、言葉に悲しさを溶け込ませる。
「正当な後継者はなく、他の王族は誰が次代の王になるのかと世継ぎ争い。その不満を逸らすために、ミナヅキに大きな負担をかけて、この顛末です……」
この言葉にミナヅキが声を上げようとしたが、彼女は無言でそっと手のひらを見せて制した。
「ですから、この過ちを二度と犯さないために、次こそは子を得ようと思っています」
「そうですか」
「ふふ、アルト様。あなたも早く、お相手を選ぶべきですよ」
「え?」
彼女は両手を合わせて胸に置く。
「民を安んじるは王族の務め。ですが、それは政務のみの話でありません。未来における保証も必要。王族である限り、子を作り、国家を未来に繋げる役目があります。これは王族としての――義務です!」
言葉の最後に力強い意思を置き、次には柔らかな笑みを見せて、後ろに控える、イロハ、アマネ、メールを紫玉の瞳に宿す。
「お相手がどのような方になるかまでは、わかりませんが。クスッ」
「ミカガミ殿、お戯れを」
「言葉は戯れでも義務は必然ですよ。では早速、私はその義務を果たすために参ろうと思います。行きますよ、ミナヅキ」
「……うん? え? 何がですか?」
女王はミナヅキの襟首を握りしめると、引きずるように城内へ向けて歩き出した。
「さぁさぁ、若いと言えど時間は有限。有効に使わなければ」
「ちょ、ちょ、ちょ、お待ちください、陛下!」
「あら、私では不満ですか?」
「いえ、不満というか……私は確かにあなたを尊敬していますが、そういった対象で見ているわけでは」
「フフ……グダグダ抜かさず――来なさい!」
「へ、陛下! ひぃぃぃいぃ! 誰か、誰か、陛下をお止めに――乱心でございます!!」
ずるずると城の影へ消えていく二人。私は小さな息を一つ吐き……。
「帰るか」
あえて触れずに背を向けた。皆も無言で深く頷く。
私は空を見上げ、北に座する山脈を見つめる。
「同盟とは別に、女王ミカガミとの約定がある。帰国の途の最中に、それを果たさせてもらうとするか」
――――ミカガミ×ミナヅキ
されるがままに、引きずられていくミナヅキ。
しかし、アルトたちから十分に距離を取った場所で、女王ミカガミはミナヅキを解放した。
「もう、そんなに嫌なのですか?」
「い、いえ、そういうわけというか、恐れ多いというか……」
「フフ、まあ、無理強いをしても仕方がありません。時にミナヅキ、あなたはどこまで『以前の世界』を覚えていますか?」
「え?」
女王ミカガミは顔を歪め、自身の心臓を握り締めるような仕草を見せた。
「新しい世界では、私の両親は幼い頃に亡くなったことになっています」
「はい、私もそれには驚きました」
彼女は悲し気な瞳を浮かべて、力なく笑う。
「両親と過ごした思い出。共に笑い、時に叱られ、そして抱きしめられた時間は、もう、私の記憶の中にしか存在しないのです」
「あ……」
「これを誰かに話しても、私の虚しい空想としか受け取ってくれないでしょう」
彼女は空中庭園を睨みつけ、そこにいるアルトの姿を思い描き、鳥肌を立てた。
「両親が成した行いは全て、別の誰かが行ったと修正されている。父と母が築き上げたすべてが! ここでは失われている! このような力――認めるわけにはいかない!! ですが――」
振り返って、ミナヅキの姿を見つめ、恐怖が溶け込む紫の瞳を揺らす。
「あなたは今回の同盟内容について、ルミナに甘すぎると仰っていましたね?」
「はい。確かに感謝の思いはありますが、あれは少々行きすぎかと……」
「……いいですか、ミナヅキ」
女王ミカガミは再び空中庭園へ顔を向けて、明確な敵意が宿る瞳でアルトを睨みつけた。
「あの力に正面から立ち向かうのはあまりにも危険。だから、ルミナには与える。あらゆるものを与える。そうして、ぬるま湯の中に沈め、野心を封じるのです」
「な!? ――そのために!?」
「ええ、ルミナに危機を与えれば、あの力を行使する可能性が出てきますから」
瞳はアルトの姿を越えて、遠く北を望む。
「もしかしたら、皇帝リヴァートンもまた、近しい思いで和平条約を結んでいたのかもしれませんね……」




