第46話 理を凌駕する者
超越者たちの戦い……と称すればよいだろうか。
時空間と次元を操る、人知を超えた闘争は、イロハに軍配が上がる形で終焉を迎えた。
カイリの魔導士たちは、無言と恐怖を抱きしめて離そうとしない。
イロハは血に塗れたミナヅキに瞳を向け、小さく上下する彼の胸部を確認すると、微かに安堵の色を見せた。
私たちもまたミナヅキの安否を気にしていたが、その中でギドラだけは、イロハの小さな拳を食い入るように見つめていた。その暗緑色の瞳には、武の頂へ立つ者への畏怖が宿っている。
「……凄まじい技だ。俺の理解を遥かに超えている」
これにイロハは、少し照れくさそうな表情を浮かべた。
「ふふ、お褒めに預かり恐縮です。ですが、私の使用した武技は、オリジナルの劣化版。そのような評価は面映ゆいですね」
「な、劣化版だと!?」
「はい。私の技は神を穿つのがせいぜい。ですが、オリジナルである『龍』風巌・振揺盪滌は――神をも殺す拳です」
「神を、殺す。そのような技が……しかしこれは、君のような特殊な存在でなければ使えぬ代物なのだろうな」
ギドラは理解が及ばぬ技を前に、イロハという存在そのものも理解を超えた存在と認め始めていた。
しかし彼女は――
「いえ、この技の開祖である方は、皆さんよりも脆弱な種族。魔力はなく、気という力も希薄な世界でありながら、ただひたすらに技を磨き上げることで、神の心臓を握り潰すほどまでに昇華したのですよ」
「なんと……そのような御仁が? 一体、その方は?」
「名は、蒼冽。ずっとずっと、昔の方です。私たちケンタウルス族では……いえ、私たちを管理していた方々がその技を研究し、完全ではありませんが再現できるまでに至ったのです」
ここで私が、小さく呟く。
「管理?」
するとイロハは、不意に固く閉じた。何か失言をした際に見せる、彼女特有の仕草だ。
イロハは無言のまま、困ったように薄く笑った。
(やはり、口が甘くなっていますね。私たちのルーツを語るなんて……)
ギドラやアマネ、メールたちもその奇妙な単語に疑問を抱いているようだが、イロハの様子を見て問い詰めることはなかった。
ギドラは話題を逸らすように、言葉を継ぐ。
「俺は多くの強者を見てきた。だが、君のほどの存在を見たことがない」
この言葉に、イロハが小さな笑い声を漏らした。
「くすくすっ、何をおっしゃっているのですか? あなたのそばには、敬愛されている陛下がいらっしゃるじゃないですか」
「なに?」
「私は長生きですので、何度かお会いしたことがあります。正確な実力は測り知れませんが……あの方ならば、メールさんが打ち破った八卦魔方陣を1秒足らずで破壊するでしょう。私の技もまた、見事に防ぎきるでしょうね」
「リヴァートン陛下はそれほどまでの高みに……ふ、ふふ、はははは、それは当然だろうな。なにせ、帝国の頂点に立つお方だ。あははは、ハハハハハ!」
自分の主を誉められたことで、景気の良い笑い声を響かせるギドラ。完全にルミナの護衛役を演じていることを忘れている。
幸い、ミナヅキは気を失い、八人の魔導士も呆けているから良かったものの。
彼の背後から、アマネがはっきりわかるようにわざとらしく呆れた声を漏らす。
「調子よく笑っちゃって、自分の王様の実力も知らないなんて、駄目な配下だと思わないの?」
「黙れ、小娘。ふん、だがやはり、この世界で最強であられるのはリヴァートン陛下のようだな」
満足げに頷くギドラ。だが、イロハがまたもや異を唱えた。
「それはどうでしょうね? 私は勇者様方の実力を詳しく知りませんが、セッスイ様が『最強』であれば、ミナヅキ様を超えるわけですし、その実力は計り知れないかと」
すると、お次は、アマネが景気の良い笑い声を上げ始めた。
「ふふふ、あはははは。どうやら、パパには勝てないようね。ま、最強の勇者ですもの。仕方ないでしょうけどね」
「父の実力もまともに知らぬ娘が何を言っている?」
「黙れ、親牛!」
二人が互いに歯を剥き出しにして睨み合いを始めてしまった。
私は小さく息を漏らす。
「はぁ、仲がいいのか悪いのか……さて、増援が来られても面倒だ。さっさと城から脱出するとしよう」
――待て……
――待て……
――待て……
何重にも重なり合う、喉奥から絞り出したような、小さくも、重く圧し掛かる声。
声の主は――――ミナヅキ!!
彼は赤く染まった両手で己を支え、立ち上がろうとしていた。
その姿に、イロハが声を震わせた。
「そ、そんな、動けるはずがありません。分子レベルで時間断裂が起きているんですよ。安定するまで動けるはずが――」
「ここで」「ここで」「ここで」
「私が諦めてしまえば」「私が諦めてしまえば」「私が諦めてしまえば」
「カイリが」「カイリが」「カイリが」
――滅ぶ、滅ぶ、滅ぶ…………
木霊のように言葉を重ね、膝を立て、立ち上がり、足を摺り、時間のズレにより何重にも揺れる体を引きずりながら、彼は私たちに向かってくる。
イロハはその姿を前に、一歩、足を後ろに引いた。
「ありえ、ない。理を超えている。どうして、あなたは動けるのですか……?」
「彼の『心』が、理を凌駕したのだろうな」
「アルト様……」
「私には細かい理屈はさっぱりだ。だが、君が驚くほどに、彼の心が君の言う『理』とやらを打ち破ったのだろう」
「そんなこと起こりえないのですよ、アルト様! だって、ミナヅキ様の肉体は時空間が断裂しているんですよ!? 活動電位も神経伝達物質だって、まともに機能するはずが――」
「それが、心というものなのだろう」
「っ! 私は……心を学び、それを一つ一つ重ねてきました。ですが、アルト様。この事象は……理解……不能です……」
私たちは皆、ミナヅキの執念……いや、カイリを想う純粋な心を前に、動けずにいた。
真っ赤に染まった姿で、伸ばした指先から血を落とし、揺らぐ肉体を引きずり、ひたすらにカイリの未来を憂う。
――守らねば、守らねば、守らねば……
もう、よせ。よすんだ、ミナヅキ。そう言葉に出したい。だが、彼の姿を目にするとその言葉が胸奥に留まり、出てこない。
この場には……彼を止められる者は、誰もいない……。
――もう、よいのです。ミナヅキ。
不意に、穏やかな声が響いた。
私たちは一斉に声の主へと顔を向けた。
そこに立っていたのは、二人の女中に支えられた老女。
気が付けば、十字路を塞いでいた障壁は消失しており、彼女はその傍らに静かに立っていたのだった。




