聖女の力が弱いからと婚約破棄されましたが、私の力は『あらゆるものを祝福する』超希少なものだったようです。隣国の冷徹皇帝に世界一甘く求婚されたので、今さら故郷に帰れと言われても困ります。
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「偽りの聖女、リリアーナ・クローバー! 貴様との婚約を破棄し、本日をもって国外追放を命じる!」
きらびやかなシャンデリアが輝く王城の大広間。私の婚約者であるアルフォンス殿下の声が、冷たく突き刺さりました。彼の隣には、燃えるような赤いドレスをまとったロゼッタ嬢が勝ち誇ったように微笑んでいます。
「そ、そんな……アルフォンス様、どうして……」
「まだ分からないのか! 貴様の聖なる力はあまりに微弱だ。雨乞いをさせれば霧雨程度、豊穣を祈れば雑草が少し伸びるだけ。それに比べ、我が真実の愛する人、ロゼッタの力は本物だ! 彼女こそが、このエルミート王国を導く真の聖女なのだ!」
アルフォンス殿下の言葉に、周囲の貴族たちも「そうだそうだ」「偽物め」と囁き合っています。
違うのです。私はただ、この国の人々が穏やかに暮らせることだけを祈ってきました。力の大半を、王国の土地そのものを蝕む微かな「淀み」を浄化するために、毎日使い続けてきたのです。そのことは誰にも言っていませんでしたが、まさかこんな形で裏切られるなんて。
涙が溢れ、視界が滲みます。両親のいない私が孤児院から見出され、聖女として王城に来てからずっと、殿下のために、この国のためにと必死に祈りを捧げてきた日々は、全て無駄だったのでしょうか。
追い立てられるように、よろめきながら人々の間を抜けて出口へ向かう、その時でした。
ぐらり、と体が傾き、倒れそうになった私を、硬い腕が支えてくれました。
「……大丈夫か」
低く、けれど不思議と心地よい声。見上げると、そこにいたのは、賓客として招かれていた隣国、アストレア帝国の皇帝陛下でした。
カイゼル・フォン・アストレア陛下。
「氷鉄の皇帝」と恐れられる、漆黒の髪と、凍てつくような金の瞳を持つ美しい人。けれど、その瞳には深い絶望の色が浮かんでいるように見えました。彼は長年、原因不明の呪いによってその生命力を蝕まれていると噂されています。
「あ、も、申し訳ありません、陛下っ!」
慌てて身を引こうとした私の手に、彼の手が触れました。その瞬間、私の体から温かい光が溢れ出し、カイゼル陛下の体を包み込んだのです。
「――これは」
カイゼル陛下が、驚きに見開いた金の瞳で私を見つめます。その瞳の奥にあったはずの淀みが、すうっと消えていくのが分かりました。彼を蝕んでいた呪いが、私の光によって浄化されていく……。
「な、なんだ今の光は……?」
アルフォンス殿下が訝しげな声を上げます。
光が収まった時、カイゼル陛下はゆっくりと立ち上がり、私をその背にかばうようにしてアルフォンス殿下と対峙しました。
「エルミートの王子。貴公は今、とんでもない過ちを犯した」
「な、何を言うか、アストレア皇帝! その女は偽物だぞ!」
「偽物? 目が曇っているのは貴公の方だ。この方こそ、万物に祝福を与える『至上の聖女』。我が帝国を長年蝕んできた呪いを、ただ触れただけで浄化してくださった。これほどの御方を見捨てるとは、愚かとしか言いようがない」
カイゼル陛下の言葉に、ホールは水を打ったように静まり返ります。彼は私に向き直ると、先ほどの氷のような表情とは打って変わって、慈愛に満ちた瞳で微笑みました。
「リリアーナ嬢。もしよろしければ、貴女のその類まれなる力を、私の国のために貸してはいただけないだろうか。もちろん、追放された者としてではない。我が帝国の至宝として、貴女を迎え入れたい」
「え……?」
「返事は急がない。だが、この国に貴女の居場所がないというのなら、私が貴女の新たな居場所となろう」
そう言って、カイゼル陛下は私の手を取り、その甲に恭しく口づけをしました。
呆然とするアルフォンス殿下とロゼッタ嬢を尻目に、私はこうして、追放されたその日に隣国の皇帝陛下にスカウトされるという、夢のような展開を迎えることになったのです。
◇ ◇ ◇
アストレア帝国での生活は、驚きの連続でした。
「あの、陛下。私はお城の隅にある、使われていない小さな離宮で、ハーブでも育てながら静かに暮らせれば十分です」
そう申し出たはずなのに、与えられたのは陽光が燦々と降り注ぐ、庭園付きの豪華な宮殿でした。
「君の望みは全て叶えよう。だが、君のような素晴らしい女性に、質素な暮らしを強いることは私にはできない」
カイゼル陛下はそう言って、毎日私の元へ顔を見せては、甘い言葉を囁いていきます。呪いが解けた彼は、「氷鉄の皇帝」という異名が嘘のように、私にだけはとても情熱的で、表情豊かな方でした。
「わ、私なんて、そんな大した人間では……」
「またそれだ。君のその自己評価の低さは、いつか私が必ず塗り替えてみせる。君は世界で一番尊い女性だ」
私が「普通のハーブティーです」と言って淹れたお茶は、飲んだ騎士団長の長年の古傷を癒し、「おやつに」と焼いたクッキーは、食べた宮廷魔術師の魔力を数倍に引き上げてしまったそうです。
もちろん、私自身はそんなことになっているとはつゆ知らず、「皆さんに喜んでもらえてよかった」と、のんきに考えているだけでした。
私の作るものが全て規格外の祝福アイテムになってしまうことは帝国ではトップシークレットとされ、カイゼル陛下は「リリアーナの負担にならぬよう」と厳命を下しつつも、嬉しそうに私の焼いたクッキーを毎日頬張っていました。
高価なドレスや、見たこともないような美しい宝石が毎日のように贈られてきます。
「カイゼル陛下、こんな高価なもの、私にはもったいないです!」
「君の美しさに比べれば、どんな宝石も色褪せる。だが、君を飾るにふさわしいものを選んだつもりだ。受け取ってほしい」
公の場では、彼は私の手を決して離さず、少しでも私に無礼な視線を向ける者がいれば、金の瞳で射抜くように睨みつけます。その過保護っぷりと溺愛ぶりは、城中の人々の間で「微笑ましい陛下のご様子」として、もはや名物となっていました。
そんな穏やかな日々が続く一方、私が去ったエルミート王国は、日に日に衰退の一途を辿っていました。
私が無意識のうちに浄化していた土地の「淀み」が再び国を覆い始め、作物は枯れ、川は濁り、原因不明の病が流行り出したのです。ロゼッタ嬢の力では、派手な奇跡を見せることはできても、国全体を支える地道な浄化は不可能でした。
ある日、焦り切ったアルフォンス殿下が、アストレア帝国まで私を連れ戻しにやってきました。
「リリアーナ! すまなかった! 私が間違っていた! だから、国に帰ってきてくれ!」
応接室で土下座するアルフォンス殿下に、私はどうしていいか分からず戸惑ってしまいます。しかし、私の前にカイゼル陛下がすっと立つと、絶対零度の声で言い放ちました。
「今さらどの口がそれを言う。彼女を『偽物』と罵り、無一文で追放したのはどこの誰だったかな?」
「ぐっ……そ、それはロゼッタに騙されて……」
「言い訳は聞きたくない。リリアーナはもはや我が帝国の至宝。貴様のような愚か者に渡すものか。二度と彼女の前に現れるな。次に彼女の瞳から一滴でも涙を見せたら、貴様の国が地図から消えると思え」
氷のように冷たい宣告に、アルフォンス殿下は顔面蒼白になって逃げ帰っていきました。その背中を見ながら、私はカイゼル陛下の大きな背中に、ただただ守られている温かさを感じていました。
◇ ◇ ◇
平穏な日々は、突然終わりを告げました。
エルミート王国から、緊急の知らせが届いたのです。
「ロゼッタ嬢が、王国の守りの要である『始祖の宝珠』の力を奪い、逃亡! 彼女は、我が国と敵対する魔導皇国の手先だったようです!」
ロゼッタの真の目的は、宝珠の力を使って古代の災厄である「瘴気の魔獣」を復活させ、エルミート王国と、隣接するアストレア帝国の両方を滅ぼすことでした。彼女の力は、他者の生命力を奪い、それを負のエネルギーに変換する呪われたものだったのです。
間もなく、両国の国境地帯に、空を覆うほどの巨大な魔獣が出現しました。その体からは、カイゼル陛下を苦しめていた呪いと同じ、邪悪な瘴気がとめどなく溢れ出しています。
「私が行く」
カイゼル陛下は鎧を身にまとい、自ら剣を取って出陣しようとします。
「ダメです、カイゼル陛下! あの瘴気は、陛下の体に毒です!」
「だが、私が行かねば誰が民を守るというのだ!」
陛下の悲痛な声に、私の胸は張り裂けそうでした。
怖い。あんな恐ろしい魔獣、見たこともない。でも……。
この国に来て、私はたくさんの優しさをもらいました。いつも私を一番に考えてくれるカイゼル陛下。親切にしてくれる侍女の皆さん。私の作るお菓子を「最高です!」と笑顔で食べてくれる騎士の方々。
ここはもう、私にとって、ただの避難場所ではありません。大切な、私の居場所なのです。
「……私も行きます」
震える声でそう告げると、カイゼル陛下が驚いて私を見ました。
「リリアーナ? 何を言って……」
「今まで、私は自分の力を信じることができませんでした。でも、今は違います。私だけの力じゃない。カイゼル陛下が、この国の人々がくれた優しさが、温かい心が、今の私の力になっています」
私はまっすぐにカイゼル陛下の瞳を見つめました。
「だから、行かせてください。私の大切な人たちと、この新しい居場所を、今度は私が守りたいんです」
私の瞳に宿った決意を見て、カイゼル陛下は一瞬息を呑み、そして深く頷きました。
「……分かった。だが、決して無茶はするな。私も、必ず君のそばにいる」
◇ ◇ ◇
戦場は、絶望に満ちていました。
瘴気の魔獣が咆哮するたびに、大地は枯れ、兵士たちは次々と倒れていきます。
その混沌の最前線に、私は歩み出ました。
カイゼル陛下が、剣を構えてすぐ隣に立ってくれています。それだけで、不思議と恐怖は感じませんでした。
私はそっと目を閉じ、両手を胸の前で組みました。
思い浮かべるのは、カイゼル陛下の優しい笑顔。城の人々の温かい声援。この国で過ごした、幸せな日々。
(どうか、皆を守る力を――)
祈りと共に、私の体から黄金色の柔らかな光が溢れ出しました。それは今までとは比べ物にならないほど強く、温かい光。私の聖なる力――『祝福』の力が、完全に解放された瞬間でした。
光は天にまで届く柱となり、戦場を覆っていた邪悪な瘴気を春の雪のように溶かしていきます。
『GYAAAAAAAA――ッ!』
魔獣が苦しみの声を上げ、浄化の光に包まれてだんだんとその姿を小さくしていきます。その元凶であったロゼッタは、力を失い、その場に崩れ落ちていました。
やがて、魔獣は完全に消滅し、戦場には温かい光と、清浄な空気が満ちていました。
全てが終わったのを見届けると、私は緊張の糸が切れたように、その場に倒れ込みそうになりました。
「リリアーナ!」
力強い腕が、私をしっかりと抱きとめてくれます。見上げると、心配そうなカイゼル陛下の顔がありました。
「……カイゼル、陛下……よかった……」
「ああ。君が、全てを救ってくれた」
彼は私を抱きしめたまま、集まってきた兵士たち、そして遠巻きに見ていた民衆の前で、おもむろに片膝をつきました。
「私の光、私の女神。君こそが、このアストレア帝国、いや、世界にとっての至宝だ。どうか、私の妃として、生涯を共に生きてはくれないだろうか」
真摯な金の瞳に見つめられ、差し出された大きな手を見て、私の目からは涙が止めどなく溢れました。それはもう、悲しみや悔しさの涙ではありません。
「……はい、喜んで」
私の返事を聞いたカイゼル陛下は、花が咲くように微笑むと、私を強く抱きしめ、喝采を上げる人々の前で、優しい口づけをくれました。
こうして私は、偽聖女の汚名を着せられ追放された先で、世界一素敵な旦那様と、かけがえのない幸せを手に入れたのです。
◇ ◇ ◇
後日、私たちの結婚式の後。
二人で宮殿の庭を散歩していると、植え込みの陰から、小さな何かがぴょこんと顔を出しました。
「わっ……!」
それは、手のひらに乗るくらいの、ふわふわした毛玉のような生き物でした。つぶらな瞳で私をじっと見つめ、やがて、すりすりと私の足に体を寄せてきます。
「この子……どこかで……あ!」
私は思い出しました。あの瘴気の魔獣。浄化されて、こんなに可愛らしい姿になってしまったのでしょうか。
「か、カイゼル陛下、どうしましょう、この子、なんだか私に懐いてしまったみたいです……」
困り果てる私を見て、カイゼル陛下は呆れたように、でも心から愛おしそうに微笑みました。
「やれやれ。君は本当に、色々なものを拾ってくるな。……だが、そんな君だからこそ、私は愛しているんだ」
そう言って私の髪を優しく撫でるカイゼル陛下。腕の中には謎の生き物。
私たちの新しい日常は、どうやらまだまだ波乱に満ちているようです。けれど、彼の隣にいられるなら、どんな未来もきっと幸せなものになるに違いありません。




