第33話:沈黙の廊下
玉座の間に向かう廊下は、昼間であるにもかかわらず薄暗かった。
外の光が入らぬよう、意図的に重い緋の帳が下ろされているのだ。あたかも、陽の光すら拒むかのような陰鬱さ。レイは無言のまま、その空間に足を踏み入れた。
「——来るのが遅かったな、レイ」
先に立っていたのは、第四皇子・セイランだった。
相変わらずの白装束。だがその胸元には、かつてレイが見せた毒の調合図が刺繍として施されていた。
それを見た瞬間、レイは確信した。これは警告であり、宣戦布告でもある。
「どうやら、お前の言う“真実”とやらが、王宮に届いたようだな」
「——陛下はどうなされた?」
レイの問いに、セイランは小さく笑った。
「お前は聡い。だが一つだけ間違っている。“真実”は、この宮では価値を持たぬ。必要なのは“信じられる虚構”だ。陛下はその見極めの最中だよ。どちらを信じるか——お前か、俺か」
張り詰めた空気が、廊下を這う。
「ところで、レイ。お前は、あの薬師——翠花の死について、まだ誤解しているようだ」
「彼女は自死ではない。あなたが仕組んだ」
「そうか? ではなぜ、彼女の部屋から“記憶花”が見つかった?」
レイの脳裏に、先日見せられた押収品の中の、小さな灰色の花弁が浮かぶ。それは強い幻覚作用を持ち、摂取した者の“真実”を歪めることで知られていた。
「彼女がそれを使う理由がない」
「あるとも。お前が真実を暴けば暴くほど、人々は“虚構”に逃げるのさ。真実が人を幸せにするとは限らない。むしろ……壊す」
レイは目を細め、言葉を選んだ。
「ならば、私は壊してでも救う方を選ぶ。あなたは?」
「私は壊さず、従わせる方を選ぶ。それが“王”の資質だろう?」
その瞬間、扉が開かれた。
玉座の間。静寂の中に佇む帝の姿。老いたその表情には、深い疲労と迷いの色が滲んでいた。
「——入れ」
静かに命じられ、二人は並んで玉座の前へ進む。
「レイ。セイラン。お前たちのどちらが、妾に“真実”を見せてくれるのか——見極めさせてもらう」
帝の声はかすれていたが、その瞳だけは冴えていた。
「翠花の死について、語るがよい。虚構ではなく、事実のみをな」
レイは深く息を吸った。
「彼女は、“王命”によって、薬を作らされていたのです。しかもそれは、皇子同士の毒殺を未然に防ぐための“偽毒”——しかしその開発過程で、彼女は本物の毒に手を出し……」
セイランが笑う。
「それは証明できるのか? “本物の毒”を?」
「できます」
レイは懐から、一枚の和紙を差し出した。それは翠花が死の直前に書いた走り書きだった。
“水が清きほど、毒は溶けやすい。ゆえに、人の信もまた……”
帝が静かに目を通す。そしてその視線を、セイランに移した。
「……お前は、この意味が分かるか?」
「毒に詳しい者なら、皆そう書くでしょう。“清き水”にこそ、毒は混じる。それが“信”を利用する者の常套手段ですから」
「つまり、お前が“信”を操っていたということか?」
セイランの眉が動いた。
レイは、皇帝の沈黙を見逃さなかった。
そして、再び口を開く。
「陛下。毒を調べるには、解毒をもって証といたします。私が調合した薬を、臣下の前で試させてください。翠花が何に苦しみ、何を試み、何を遺したのか。すべて、薬が語ります」
重い空気の中、帝が頷いた。
「よかろう。三日後、朝儀の場にて、その薬を試せ」
セイランの目が細くなった。
——これは、決闘だ。
毒を通じた、王宮内の静かな決闘。
勝てば、真実が“価値”を持つ。負ければ、虚構が“正義”となる。
レイは、静かに頭を垂れた。
——勝つ。それが、あの薬師の冥福となる。
そしてこの国の、唯一の光となる。




