表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
32/35

第32話:失われた瞳、記された影

 レイは、仄暗い回廊をゆっくりと歩いていた。


 宮廷の奥、普段は側女さえ立ち入らぬ一画。王の寝所と祈祷部屋の間にある、古い文庫――そこに、今朝届いた匿名の書状が誘うように記されていた。


 ――「〈灰色の瞳〉の真実は、文庫の裏に眠る」


 足音が軋む。埃の匂いと、古紙のかすれた芳香が、レイの記憶を揺らす。


 あの呪殺未遂から数日。王宮内では不穏な沈黙が続き、あの麗姫でさえ、部屋に籠もりがちになっていた。


 何かが、始まっている。


 レイはその「何か」を掴もうと、この場所に来たのだ。


 


「――あった」


 灯りをかざすと、文庫の最奥、壁面の装飾が僅かにずれているのが見えた。木製のパネルに手をかける。押し込むと、柔らかく空気が動き、隠し戸が軋む音を立てて開いた。


 奥は、書庫などではなかった。


 そこは――祈祷部屋と似た、異様な聖域。


 中央には石碑のような台座。そこに、一冊の帳面が鎮座している。


 そして、壁一面に張り巡らされた紙札と絵図。人の顔、人の名。そして赤い糸でつながれた、いくつもの「印」。


 まるでそれは、王宮の人間関係を俯瞰する、呪的な地図。


 


 レイは帳面を開いた。


 そこに記されていたのは――「灰色の瞳」の記録だった。


 それは、かつての王家の系譜とともに、一族にときおり現れる「灰の瞳」を持つ者たちの名だった。


 そして、その末尾にはこうあった。


 ――〈灰色の瞳〉は、王家にとって「鏡」である。忌むべき呪いではない。だが、王が腐れば、鏡も歪む。


 次にその名が出現したとき、王は試される。


 


 レイの胸に、どす黒いものが立ち上る。


 なぜこれが封じられていたのか。なぜ〈灰色の瞳〉の存在が隠され、王妃が呪詛の標的にされたのか。


 この記録が真実ならば――呪詛は、外からのものではない。王家自身が抱えてきた「内なる矛盾」が、血と力を媒介にして顕現したものだ。


 王は自らの「鏡」を壊そうとしている。


 


 背後に気配。


「……そこまで読んだか、レイ殿」


 振り返ると、そこには太宰卿が立っていた。顔に笑みを張りつけたまま、扇を口元に当てている。


「お前だったのか、これを……?」


「いいや。私は見守っていたに過ぎぬ。だが、そろそろ君も“この国の深部”に触れる時だと思ってな」


「これは、何だ。呪詛の地図か?」


「違う。これは――“記憶”だよ、医師殿。王たちは、己の愚を忘れるのが得意だからな。故に、こうして残す者が必要なのだ」


 


 レイは静かに問うた。


「……この帳面に、俺の名が加わることは?」


 太宰卿は笑みを消し、扇を閉じた。


「それは君次第だ、レイ。鏡になるか、影になるか――」


 言葉を残して、彼は文庫の闇に消えた。


 


 ――レイの心には、初めて“怒り”が芽生えていた。


 王宮の欺瞞と傲慢、そのすべてが患者たちを苦しめてきた。自分が診てきた病の根――それは、ここにあったのだ。


 ならば、自分の役目は一つ。


 この「鏡」を、壊すのではなく、磨き上げること。


 そうして見せるのだ。血の中にあっても、なお人が人として生きられる道を。


 


 帳面を懐に入れ、レイは文庫を後にした。


 すでに夜は明けていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ