表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/35

第29話:密書と爪痕

夜が深まると、宮殿の廊下は水を打ったように静まり返る。


レイは蝋燭の明かりだけを頼りに、書庫へと足を運んでいた。琳妃が生前、香の調合と記録を行っていたという東棟の文庫。その奥に、誰にも読まれていないはずの“もうひとつの密書”が眠っているという噂がある。


「この時期に、噂が浮上するのは……偶然じゃない」


慎重に扉を開けると、香木のかすかな匂いが鼻先をくすぐった。


静まり返った書庫の奥、古い調香道具と帳面の並ぶ棚のさらに裏。レイは、指の感覚だけを頼りに板の継ぎ目を探り、手のひらほどの空洞を見つけた。


その中に、一通の巻紙。


《琳妃 私記》


——それは琳妃が、王子が生まれた直後に書き遺したものだった。


蝋燭の灯を細く絞り、レイは文を静かに読みはじめた。


「この子は、きっと狙われる。

香を使って身を守るすべを、いつか教えねばならない。

だがそれは、私ではできない。私の命はすでに、“香”によって刻まれているから」


レイは息を呑む。


琳妃は自ら、毒の香に触れたと記していた。宮廷の陰で香を操る者たちに、自ら“囮”となって接近していたのだ。


そして巻紙の末尾。


「私が仕掛けた香の中に、“鍵”を忍ばせた。

それは“爪痕”の名を持つ香。もしそれが王子の傍に漂う日が来たなら——

その香りの主こそ、私を殺した影の継承者」


レイは巻紙を閉じ、顔を上げた。


爪痕——それは琳妃がかつて一度だけ使ったという、鋭くも儚い香。記憶の底に焼き付くように残り、漂わせた者の心に微かな痛みを残す香り。


「琳妃は……自分の死の真相を、香で遺したのか」


その瞬間、扉の外に気配。


「……誰かいるのか?」


レイは巻紙を懐にしまい、素早く帳面の陰に身を潜めた。廊下の影から、誰かの影がゆっくりと近づいてくる。


扉が、軋みを立てて開いた。


入ってきたのは——


「……芹?」


文官装束を身にまとった青年が、驚いた顔でレイを見た。


「君こそ、どうしてこんな時間に……」


「そっちが先に答えなさいよ」


レイは眉をひそめつつも、手の中の巻紙には自然と力がこもった。


芹は言った。


「琳妃の記録を調べていた。あの“香”が、宮中の誰かに使われていると聞いたから。爪痕、という名の香——」


レイは黙って巻紙を差し出す。


芹はそれに目を通すと、目の奥に重い影を落とした。


「……やっぱり。琳妃は、香で敵を暴こうとしていた」


「でも、肝心の“誰が継承者か”までは、書かれてない」


レイは言った。


「琳妃が狙われた理由は何か。なぜ、王子の誕生と共に命を絶たねばならなかったのか——」


その疑問は、やがて王子自身の出生や正統性にまでつながるはずだった。


芹は低く呟いた。


「“爪痕”の香りは、一昨日、王子の間に漂っていた。誰かが、そこに仕掛けた」


レイの背に、ぞくりと冷たいものが走る。


「つまり……“継承者”が、すでに動いているってことね」


温室、芍薬、皇后の沈黙。ミカの氷のような微笑み。そして、琳妃の死に際の香。


全てが、静かに、けれど確実に一つに繋がり始めていた。


**


その夜。王子の間に、再び淡い香が漂っていた。


それは、懐かしくも切ない香り。けれどその奥には、鋭く刺すような痛みがあった。


誰かがその香を、故意に焚いたのだ。


そして、その人物の影は、まるで夜に溶け込むように、王子の間からすっと消えていった。


爪痕の香りだけを残して——。

一度完結済みにしておきます。

明日以降執筆が終わり次第、再開します。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ