第24話:硝子灯の下、嘘と真実のあわい
夜の診療院には、灯の光がひとつきり。硝子の覆いの下でゆらめく灯は、レイの影を静かに壁へと落としていた。
薬棚の引き出しをひとつひとつ開けながら、レイは指先で薬包の縁を撫でる。乾いた紙の感触は、かすかに古びた記憶を呼び起こすものだった。
「……やっぱり、抜かれてる」
声は誰に向けたものでもなく、ただ確信が形を取って零れた。
消毒用の焼酎に溶かして用いる〈青骨丹〉。その薬包が二つ、棚から消えていた。
おかしい。あれは火傷の応急処置薬で、今週は使う予定すらなかった。なのに、誰かがこっそり持ち出した。何のために?
——盗用か、それとも、故意の隠蔽か。
思案していたレイの耳に、遠く門のきしむ音が届く。夜更けの来訪者。こんな時間に、誰が。
扉が二度、軽く叩かれた。
「……レイ先生、起きておられますか?」
声の主は、宿場町の外れに住む織物師の娘・ミナだった。
彼女の顔は、来た理由が深刻であることを物語っていた。
「……兄が、倒れました。顔が真っ赤で、痙攣していて。熱もすごくて……っ」
レイはすぐさま薬箱を抱え、ミナと共に走った。
——いやな予感がした。
ミナの兄、カイは家の寝台に横たわり、全身から汗を噴き出していた。肌の赤みは異様で、体温は測るまでもなく異常だった。脈拍も浅く速い。
「これは……中毒症状ね」
レイは彼の口腔内を診て、唾液の粘度と舌の変色を確認する。
「……水銀か、それとも、鉛……?」
問いを投げるように呟いたとき、視線の端にあるものが映った。
編みかけの布。その布地には、光沢のある青い染料が染み込んでいる。刺繍糸は、薬包に使われる紙と、似た匂いがした。
「この布……どこで?」
ミナが口ごもる。
「銀燕様から……先月、試作品として。兄が縫製の手伝いをしていて……」
レイは目を細めた。
——銀燕。またあなた、何を隠してるの?
翌朝、レイは銀燕の屋敷を訪れた。薬棚の件と、染料による中毒の関連を問いただすために。
だが銀燕は、少しも動じず答えた。
「あなたの推測は正しいわ。試作品の染料には、微量の亜鉛華が混じっていたの。でもそれは故意じゃない。下請け業者が勝手に……」
「その下請けが、先週から連絡を絶っていますね。しかも、その業者の倉庫は、昨夜火事にあいました」
レイの言葉に、銀燕の微笑は崩れなかった。
「推理は鮮やかだけれど、それが証明になるとは限らない。裁判所でも、民会でも、証拠がなければ言葉は風よ」
レイはわずかに眉をひそめた。
「私は医者。法のことはわからない。けれど毒を使ったなら、その痕は身体に残る。あなたが何を消そうとしても、私は見つけるわ」
そう言い切る彼女の瞳は、硝子灯の炎よりも冷たく鋭かった。
その夜、レイは診療院の帳簿を読み返していた。銀燕の過去の寄贈記録の中に、妙な一致がある。ある日を境に、彼女が特定の薬品ばかり寄贈するようになった——それはすべて、摂取すると発熱や嘔吐を引き起こす可能性のある微量毒素を含むものばかりだった。
「これはもう、偶然じゃないわね……」
彼女の目的は何か。誰を狙っているのか。それとも、これは単なる副産物なのか。
レイは硝子灯の火を少し強めた。
——毒を使えば、嘘も化ける。でも、真実もまた、そこから浮かび上がる。
彼女の目の前には、まだほどけていない糸があった。
その糸は、きっと誰かの記憶に結ばれている。
そしてレイは、それを断ち切るのではなく、正しく編み直そうとしていた。
2話更新が終わったので、一度完結済みにしておきます。
明日以降執筆が終わり次第、再開します。




