第23話:灯のゆらぎと、縫い込まれた祈り
燭台の灯がゆらりと揺れた。
風はなかった。けれど、レイには確かに、その揺らぎが何かの「意志」であるかのように思えた。今宵、診療院の奥まった一室には、幾つもの沈黙が降りていた。
——銀燕の、最後の縫製品。
薄鼠色の小袋。外見は何の変哲もない、手のひら大の布製袋。だが、縫い目には異常があった。目が細かすぎる。意図的に「読ませない」ようにしたかのような縫製。
「布の内側に、もう一層ある」
そう言って、レイは糸切りを手にした。震える指で、一本ずつ、縫い目を解いてゆく。無造作に縫われた表層の裏に、まるで『重ね書き』されたように見える縫い目の陰。そこに——
「……あった」
薄い布が一枚、折りたたまれて仕込まれていた。そこには、文字とも図形ともつかぬ文様が刺繍されていた。糸の色は、落ち着いた紅。奇妙な円環模様。その中心には、一輪の花の形。
「雪見草……」
つぶやいたレイの声が震えた。
この紋様。これは、かつて銀燕が「弟子の死」を偽装しようとした際、死者の体に巻き付けた刺繍布と同じ構図だ。あの事件は「事故」として処理されたが、今振り返れば、多くの痕跡が「意図的に」消されていた。
では、なぜ彼女は再び同じ図案を——
そのとき、背後で音がした。
「……ああ、やっぱり、貴女が見つけるのね」
声がしたのは、レイの背後、暖炉のそば。
誰の気配もなかったはずなのに、そこに立っていたのは、蒼い外套を羽織った老女——後見役として辺境領に滞在していた、文官上がりのユラ女史。
「銀燕の遺品に触れるなら、それは貴女しかいないと思っていたわ」
「なぜ、あなたがここに?」
「わたくしが手配したの。あの袋を、診療院の荷に紛れさせたのも」
レイの背筋が凍る。
「貴女に見つけて欲しかった。あの女が“誰のために”祈りを縫っていたのかを」
ユラの目が、まるで過去を見ているようだった。
「銀燕はね、娘を一人、失ったの。診療院に預けたまま、戻らぬ旅に出たと聞いているでしょう? あれは、事実の半分に過ぎないのよ」
「……娘、ですって?」
「ええ。——そして、その娘の名は“リネ”。」
言われた名前に、心が鈍く揺れる。
それは、レイの、過去の“名”。
この国の記録にはない。けれど、レイがまだ辺境の孤児院にいた頃、確かに彼女はそう呼ばれていた記憶がある。
「まさか、私が……銀燕の……?」
口にした言葉は、答えを求めるにはあまりに荒唐無稽で、けれどレイの心の奥に沈んでいた空白に、ぴたりと嵌まる。
だからこそ、銀燕は彼女に縫い物を教えた。薬草の見分けも、紐結びの呪も、全ては「娘のため」の知識だった。
そして、最後の布袋に残された“重ね縫い”の意味。
それは——“本当の名前を、思い出せ”という、銀燕からの最期の手紙だったのだ。
「これが……わたしへの、祈り……」
震える指で、レイは刺繍の糸をなぞった。雪見草の花が、灯の揺らぎの中で、まるで微笑んでいるかのように咲いていた。
過去は、まだすべて明かされたわけではない。だが、確かに一歩、踏み出せた。
自分が何者であり、なぜこの地に「医術」と「縫製」をもって留まっていたのか。その理由が、ほんの少しだけ見えた気がした。
そう、夜の沈黙の中、灯がゆらぐように。
静かに、しかし確かに——。




