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第2話:毒の香と白い鏡

 鉛白による中毒──


 それが梅香妃の容態悪化の原因と仮定した場合、次に調べるべきは“誰がそれを知っていたか”である。


 しかし、問題はそこではなかった。


 翌朝、レイは洗濯場に向かう途中で立ち止まった。ふと、空気が違った。


(……あの香、昨日とは違う)


 ほのかに漂ってきた香の匂いが、以前より重く、甘い。だが、違和感がある。これは……花ではない。


 ――麝香じゃない。甘すぎる。これは人工香。


 科学的に言えば、ニトロベンゼン系の甘ったるい芳香成分。昔、辺境で鉱山夫が掘り出した地下の鉱毒処理場で嗅いだ香りに似ていた。


 視線を巡らせると、すぐ近くの女官たちが談笑していた。よく見ると、昨日までより顔が白い。いや、“不自然に白い”。


(化粧が変わってる……? まさか)


 その瞬間、頭の中でピンと何かが繋がった。


 鉛白の供給元が変わった。あるいは、“わざと”毒性の強い白粉がばらまかれている。


(もしそうなら……)


 あの妃は、たまたま最初に“新しい白粉”を使わされた犠牲者にすぎない。ならば、次に倒れるのは──


 


 予感は的中した。


 午後、また一人、女官が倒れた。症状は似ている。吐き気、痙攣、頭痛。


 しかし、今回はすぐに意識を取り戻し、侍医は「寝不足による疲労」と診断を下した。


(嘘。脈が異様に細く、唇が紫がかっていた。これは典型的な……)


「中枢神経系への影響。鉛が脊髄液に達してる……」


 ぽつりとレイがつぶやくと、傍らにいた宦官が目を細めた。


「また君か。観察好きの下女」


「それ、名じゃないですよね?」


「だが、君の役割は観察だ。的確に言い得て妙ではある」


 冷ややかに笑った男は、名をソウといった。若くして皇帝直属の密偵を任されている変わり者らしい。


「毒の供給元が変わった。そう考えていいんですか?」


「可能性としては高いな。実は、昨日からある香料屋が出入りを始めたという話もある」


「香料屋?」


「“玉蓮香房”。もとは皇太后付きだったが、ここ数日、梅香妃の侍女とつながりがあるらしい」


 レイは考え込んだ。


(白粉と香。両方とも揮発性の毒を仕込むにはうってつけ……)


 体内への吸収ルートは三つ。口から(経口)、皮膚から(経皮)、そして鼻から(吸入)。


 もしそれを一度に攻められたなら、鉛の致死量に近づくのは簡単だ。


 だが、それをやるには“誰か”の協力が必要。


(化粧品を妃に塗るのは──侍女だけ)


「ソウさん。侍女に何か裏がありますか?」


「一人、妙に取り乱していた女がいた。“この香はおかしい”と口走っていたらしい。……消されたよ」


「“消された”? どこへ?」


「表向きは“実家に帰された”が、本当は宮外の香炉に……」


 レイは小さく息を呑んだ。


 後宮では、真実を知る者は静かに“処理”される。それは、外から来た娘にとって恐ろしい現実だった。


 


 その夜、レイはこっそりと洗濯物の間に紛れ、侍女用の化粧棚を調べていた。


 白粉の壺をひとつ、そっと開ける。


(色が……違う。真っ白じゃない。少し黄色味がかってる。あと……におい)


 鼻先に寄せると、鼻粘膜がぴりりと痛んだ。


(やっぱり……)


 舌先にほんの一滴乗せてみる。苦味と渋み、そして強烈な金属臭。


 レイは手早く壺に蓋を戻した。


「これは、白粉じゃない。“毒粉”だ」


 そこへ、後ろから足音が近づいた。


 ぱたりと扉が開く。


「誰だ!」


 レイは反射的に壺を隠した。


 現れたのは、先日倒れた妃の付き女官──ではなかった。


 見慣れない、中等身分の妃だった。年のころは二十歳前後。整った顔立ち、だがどこか冷たい目。


「……下女が、夜に侍女部屋に?」


「すみません、片付けの残りが……」


「ふふ、それにしては妙に手つきが慣れている。まるで、“毒見”でもしているような」


(……見られてた?)


 妃は一歩近づいた。


「名は?」


「……レイ、と申します」


「覚えたわ。私、“紅玉”。覚えておきなさい。“私を敵に回さないこと”を」


 その笑みは甘く、そして──ひどく冷たかった。


 


 夜の帳が下りた後、レイは帳の隙間から、外の風を見つめていた。


 妃が倒れ、女官が消され、香と白粉が入れ替えられ、警告が飛んだ。


(これだけ動いてるってことは、単なる事故じゃない。目的がある)


 それはただの毒殺ではない。


 もっと別の、“後宮を揺るがす意図”がある。


 


 そして、真夜中。梅香妃の部屋に、再び火が灯った。


 苦しむ声。吐く音。悲鳴。


 ──また一人。


 “毒”に沈んでいった。


 


(私は、これを止められるのか)


 


 その疑問の答えを、彼女はまだ知らなかった。

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