表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/35

第19話:火薬の香り、紅花の匂い

 紅霞宮から戻った翌朝、私は書院の隅で、持ち帰った布地を広げていた。

 銀燕が遺した最後の縫製品。件の羽織の裏地には、かすかに縫い目のズレがあった。だが、それは見た目に不自然ではなく、よく見なければわからぬほどのもの。


 ――わざと縫い合わせを乱すことで、「何か」を伝えたかったのでは?


 昨日から、その何かを見抜こうと糸口を探っていたが、糸を解く手は進まず、私は何度もため息をついた。


「また布とにらめっこか?」

 入り口に立っていたのは、例の皇子だった。文綺ぶんき皇子。私の顔を見てふっと笑う。


「おまえ、見れば見るほど変わっているな。綾衣りょういの匂いを嗅ぎ分ける娘など、宮に一人もおらんぞ」

「匂いだけで物事が解ければ、楽なのですが」

「だが、おまえはやっているだろう」


 文綺皇子の目は、どこか獣めいていて、ずっとこちらを見透かしているようだった。

 私は何も答えず、黙って羽織の裏地を差し出した。


「縫い目が不揃いだろう? 銀燕ぎんえんは、これで何かを残したと思うのです」

「ほう。して、何を伝えたのだ?」

「それが、まだわからないのです。が、これを縫ったのは彼女ではないと思われます」

「なに?」


 私は糸を指でたぐる。


「銀燕は縫製の腕が一流でした。なのに、ここだけ縫い目が不揃い。これは、縫い物に慣れない者が“真似をして縫った”手付きです」

「銀燕のふりをして、誰かがこの布を仕立てた?」

「はい。そしてそれは、おそらく銀燕が亡くなる直前の話……」


 そのとき、香が流れた。どこからか、風に乗って――違う。これは風ではない。爆ぜるような鋭い香気、そして鼻の奥に刺さる灰の匂い。


「火薬……?」

 私は思わず立ち上がる。

「薬庫のほうから、煙……!」


 皇子もすぐに動いた。彼が口笛を吹くと、廊下の向こうから衛兵たちが現れた。

 火薬の匂いをたどって私たちが駆けつけたとき、薬庫の裏手が燃えていた。


 赤い火が小さくぱちぱちと燃え、香の保存棚が倒れている。幸い、すぐに火は鎮火されたが――。


「誰がこんな……!」

 私の手が、かすかに震えていた。薬草の保存庫に火を放つなど、単なる放火ではない。これは明らかに、証拠を隠すためのもの。

 銀燕が縫った布と、そして――何か、私が近づきつつある“核心”を、誰かが恐れている。


「セイカ」

 声をかけられて振り返ると、文綺皇子が小さな包みを持っていた。

 それは、焼け落ちた棚の隅にあったらしい。包みの中には、白い紙と、赤い綿のようなもの。


紅花こうかか……?」

「いえ、違います。これは……“紅玉根”です」


 私は薬袋に鼻を寄せる。紅玉根は、乾かすと紅花に似た色と香りを持つが、毒性がある――服毒すれば、血の巡りを異常に活性化させる。銀燕の死に、これが使われた可能性は?


「やっぱり、火を放ったのは誰かに命じられた者……いえ、命じた張本人は」


 私の脳裏に、ひとりの人物の顔が浮かんだ。

 あの夜、銀燕が最後に書き遺そうとした文字。その一文字の“つくり”に似た縫い目のズレ――「衣」偏。

 それが示していたのは――


「……紅霞宮の、“紅”では?」


 文綺皇子の目が細くなる。

「紅玉根。紅霞宮。そして、銀燕の“最後の衣”。すべてが“紅”でつながる。おまえの読みは、正しいのかもしれん」


 私はぐっと唇を噛む。あまりにも唐突で、しかも大胆すぎる仮説。だが、すべてが一本の線でつながってゆく感覚があった。

 もし本当に、“あの方”が――


「行くぞ、セイカ」

「え……」

「おまえは、紅霞宮に足を踏み入れることになる。命を賭けてもよいか?」


 私は一瞬だけ、目を閉じた。


 ……逃げない。銀燕の死の真相が、そこにあるなら。


「はい」


そう返事をしたのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ