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第18話:風の便りと女官の影

雨が上がった日の午後、わたしは庭の石畳に敷かれた濡れた布を踏みながら、後宮医館の裏手へと向かっていた。


濯ぎ場では、若い女官たちが布包みを解きながら洗い物に励んでいる。今しがた処置された患い人が使っていた寝具や、膿が染みた包帯など――医館にある品々は、すべてここで女官たちの手によって清められる。


「お疲れさまです。繍花女官のヨン嬢に、これを」


わたしは胸元から小さな布包みを取り出す。中には銀絲ぎんしで繍われた、花鳥の図案入りの針山。


「これ……ヨン嬢の?」


「ええ。診察のついでに針を見たら、芯が曲がっていましたから」


「まあ……お優しいのね、薬師さまって」


にこやかに受け取った女官の笑みの奥に、一瞬だけ複雑なものが覗く。噂話を呑み込みかけたような、あるいは、わたしが知っていることを探るような――。


(……やっぱり、何かある)


風は東から吹いている。この季節にしては湿り気がありすぎるのが気になるところだ。


医館に戻ると、ハク先生が一人、帳面と睨めっこしていた。


「一昨日の皇子殿下の薬、まだ煎じておられるのですか?」


「いや。あれはもう別件だ」


ハク先生は帳面の隅を軽く叩いて、わたしを見た。


「おまえ、女官のヨンについて何か調べているな?」


「いえ、わたしはただ……」


「ただ?」


言葉を濁すと、先生は苦笑した。


「ま、いい。おまえが妙なところで首を突っ込むのは今に始まったことではない」


「ご心配には及びません。ヨン嬢の件は、医療行為の範囲内で収めておりますから」


そう言いながらも、わたしの脳裏には、あのときの布包みが浮かんでいた。


女官が持っていた針山。中には一本だけ、鋼ではなく銅で出来た針が混じっていた。しかも、それだけ先端がやや丸く加工されていたのだ。


(あんな針、何に使う? 刺繍用ではない。傷も縫えない。となれば――)


その夜。


わたしは女官寮の外れにある裏庭で、ひとつの《手紙》を拾った。


風に乗って飛んできたと思しきその紙片には、明らかに他人に見せるものではない文字が並んでいた。


《──"夜香草"を三枝。煎じて盃に、香を添えて。酔いが深ければ、声は漏れず、記憶も飛ぶ。》


……これは、医術の知識を悪用した内容だ。


(まさか、これを使って誰かを──)


紙片には、送り主の名などない。ただ、末尾に小さな刺繍のような印がついていた。菱形を四つ並べて糸を絡めた印。


それは確かに、ヨン嬢が使っていた針山の裏布と、同じ模様だった。


翌朝。


わたしは、ハク先生の帳面にある仕入れ帳を借り、"夜香草"の在庫を確認した。


すると、数日前に《誰かが勝手に持ち出した痕跡》があることに気づく。


「……帳面には、私の名前で印が押されている。でも……これ、わたしは受け取っていない」


誰かが、わたしの名を使って薬材を持ち出したということ。


そして、夜香草を――"酩酊と忘却"のために使おうとした者がいるということ。


ヨン嬢は、繍花女官だ。刺繍針を扱い、染料と薬草に精通している。だが、直接手を下すには、少し"腕が良すぎる"。裏方として、誰かを補助する役割ではないか。


では、その「手を下す者」は、誰だ――?


わたしはふと思い出す。ヨン嬢が話していた「前任の繍花女官」のこと。


──「三月前に、前任の女官が辞めたんです。具合を崩したとかで」


しかし、その時期。宮中ではある内密の事件が起きていた。小さな宮で、下級の女官が一人、池に身を投げたという噂。


あれは――自殺ではなかったのでは?


風の便りは、誰が運んだのか。


今はまだ断片にすぎないが、見えない《意図》がひとつ、糸を引いているような気がしてならなかった。


私は、糸口を探し始める。もうすぐ、繍花女官ヨンの"秘密"が露わになるはずだ。

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