第17話:つくられた密告と糸
目の前に広げられた布地を、私は黙って見つめていた。蒼い刺繍糸で花鳥風月が織り込まれた絹布。これは、先日まで縫房にいた銀燕の最後の作とされるものだ。
「細工が……細かすぎますわね」
呟いたのは、私の隣で腕を組む麗蘭嬢だった。医官としてでなく、宦官の推薦で調査係として、今は私と同じ立場でこの布の謎に挑んでいる。
「いや、細かすぎるというのは、むしろ違和感なの」
「え?」
私は絹布の左上隅を指さす。
「この縫い目だけ、極端に詰められてる。まるで、“わざと”強調しているかのように」
麗蘭が覗き込んで息を呑んだ。
「隠してるんじゃなく、逆に目立たせている……?」
「うん。銀燕は密告を恐れていた。けれどこの刺繍は、それと矛盾するほど大胆。もし彼女が誰かに何かを託したとしたら、これは“気づいて”ほしい暗号かもしれない」
私は布をひっくり返し、光に透かした。
「見て、裏側。糸の通し方が不自然でしょ。ここだけ、内側で糸が二重に交差してる」
「普通の刺繍じゃありえませんわね……」
「縫い目のズレ、そして裏の糸の交差。糸は“線”であり、“道筋”でもある。つまり——これは“誘導”だと思う」
私は指先で布の中央にある一輪の蓮の花をなぞった。
「蓮の花の中心に向かって、すべての糸がわずかに傾いている。意図的に」
「まるで“見る者の視線を誘導している”みたい」
「そう。誘導された先——つまり、この蓮の中心にこそ、何か“本当の伝言”が隠されてる気がする」
私は布を丁寧にほどきはじめた。古い文書の糊を解くときのように、慎重に。そして数層目、細い白絹の層の下から、一枚の薄紙が現れた。
そこには——くずした字で、こう書かれていた。
《この布が見つかるころ、私はもうこの世にはいないだろう。密告者は近くにいる。わたしの左隣。だが、わたしはあの人を恨まない。ただ——“あのひと”に伝えて。わたしは、真実を隠したのではなく、守りたかったのだと。》
私は無意識に息を止めていた。涙でにじみそうになるのをこらえる。
「左隣……誰か、彼女の隣にいた刺繍女官の名簿、今すぐ確認を」
麗蘭が走るように部屋を出ていく。
残された私は、ふと気づいた。
この密書は、銀燕が命の危険を承知で残した最後の言葉だ。しかし彼女は「誰かを恨まない」と言っている。それは……真実を暴こうとする私への牽制か、それとも赦しなのか。
そのとき、ふとよぎった疑問があった。
「……いや、おかしい」
私は紙を改めて見た。
この文体。崩し字の癖。文字の圧力。微妙に違う。
私は、銀燕が残した以前の私信と並べた。
「書き手が……違う?」
ならばこれは、“銀燕が書いたように見せかけた”——誰かによる捏造ではないのか?
ではなぜ捏造した? そして、わざと“発見されるよう”に仕組んだ理由は?
考えろ。銀燕が本当に隠したかった“真実”は、まだ別にある。これは“嘘の真実”だ。そう信じる理由が、私にはある。
仕組まれた密告と、誘導された糸。
物語の中心にいる“あのひと”——まだその正体は、霧の奥だ。
私は小さく、唇を噛んだ。
(まだ、たどり着いていない)




