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第12話:静かなる舌、囀らぬ鳥

 その朝、後宮に異変があった。


 「鳥が鳴かなくなった」と。


 それは侍女のささやきから始まり、やがて花苑を管理する女官たちの間で不穏な噂となる。常日頃、鳴き声を響かせていた小禽たち――九官鳥、瑠璃雀、銀舌鳥――そのどれもが、今朝に限って沈黙していたのだ。


 「鳥かごの中で、喉を腫らしてじっとしているそうです」


 そう報せてきたのは、衣装部の珠莉しゅりだった。最近になってりょうのもとを訪れる頻度が増えている。


 「喉を腫らす? それ、ただの風邪?」


 「ですが、同じ籠にいた鼠たちはぴんぴんしてますし、飼育女官の方もご無事だそうで……」


 妙な話だ。気道に作用する毒であれば、小動物にまず症状が出るはず。


 「鳥だけが沈黙してるってことは、“声”そのものに関係する毒かもね」


 そう呟くと、珠莉が目を丸くする。


 「声……に効く毒、なんてあるんですか?」


 「あるわよ。神経系か、声帯に直接作用するもの。たとえば……有毒なサフロール系精油や、南方の《カラ黙草》」


 カラ黙草――その名のとおり、摂取した者の発声を一時的に奪う植物毒だ。南方の祭祀で「沈黙の儀式」に用いられる。


 「……まさか、香に混ざってた?」


 鳥籠の周囲に焚かれていた香炉の残灰を珠莉に預け、成分分析を依頼する。


 だがその夜。


 香房の使用人が、ひとり倒れているのが発見された。


 口を開けても、声が出ない。喉を押さえて、もがく男。医官たちが駆けつけたが、彼の喉には焼けつくような炎症が残っていたという。


 「やっぱり……声を奪う毒」


 後日、香灰から検出されたのはごく微量のサフロール系成分とトロパンアルカロイド。いずれも神経遮断作用を持ち、特に発声に関わる迷走神経を麻痺させる可能性がある。


 凌は舌打ちした。


 「つまりこれは、“しゃべらせないため”の毒ね」



 翌朝、凌はあえて紅霞の部屋を再訪した。彼女の失踪は、今なお公式には“療養中”とされている。


 部屋の隅に置かれた香油の瓶。香の記録帳。小さな鳥の羽。


 ――鳥。


 思い返せば、紅霞は鳥を好んでいた。香の調合時も、さえずりを頼りに香気の強さを判断するほどだった。


 もしその鳥たちが、一斉に鳴き止んだとすれば?


 「……彼女の“調合”に何か細工があった?」


 机の裏から、もう一冊の帳面が見つかる。中に記されていたのは、香の基本レシピとは違う、異様な配合。


 “サフロール2滴、乾燥キョウ花粉1掬い、琥珀末3粒”


 そして、そのレシピの欄に朱で書かれた文字が目に飛び込んだ。


《この香は、言葉を消す。》


 凌の背に寒気が走った。



 その夜、凌は再びあの“耳のない猫”に出会う。


 中庭の月明かりの下。猫は一枚の紙を咥えていた。そこには、またしても震える筆致でこう記されていた。


《次は、花香妃の口を塞ぐ》


 花香妃――皇帝に最も寵愛されている妃の一人。風のように軽やかな声音と、歌舞の才で知られている。


 「彼女の“声”を奪うことが、次の狙い?」


 だがなぜ? 凌はそこでようやく気づく。


 花香妃の寝所には、皇后の香炉と同じ職人が作った香台が据えられている。


 「……香炉を通じて、毒をばらまいてる。香の霧が、言葉を奪う。鳥も、妃も、そして証人たちも」


 声を封じる。それは、真実を封じるということ。


 「紅霞は、“鳴けなくなった鳥”の一人だった……」


 沈黙する香。話せなくなる妃。声を失った小鳥たち。


 そして、ひそやかに燃え続ける香炉の灰。



 月明かりの中、凌は一人つぶやいた。


 「鳥籠を覆っていたのは、香煙だけじゃない。“真実を語る声”を、この宮はことごとく殺してる」


 そう言ったとき。


 背後から小さな足音がした。振り返ると、あの男――学士・明季めいきが、またも静かに立っていた。


 「花香妃の部屋の香炉に、手を入れるおつもりですか?」


 「……どうして、あなたがそれを?」


 明季は微笑んだ。そして言った。


 「女医殿。ご自分の声が、奪われぬようにご注意を」

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