冬 4-17
場面が静まり返ると、雪に遅れてヘリから吊るされたワイヤーで次々と人々が降りてきた。降下のたびに、細かい雪片が空に舞い上がる。無線のやり取り、装備が擦れ合う微かな音。全員が重武装していた。
イワミタケト——いや、書類上はそう名乗っていた怪人が絶命すると、屋上にいた教員たちは次々と意識を取り戻した。まるで深い霧の中から浮上するように、自分がなぜここにいるのかを理解できずに呆然とする者。屋上の高さに怯え、膝をつく者。そして、目の前に広がる血の海に悲鳴を上げる者。
その悲鳴を背にして、藤原雪は日本刀についた血を無造作に拭い去り、鞘に収めた。しんとした空気の中、ただひとつ、金属の擦れる音だけが際立つ。足元に転がった怪人の腕。指がわずかに痙攣するのを、彼女はじっと見つめた。
(まだ生きている? いや——)
その疑念を振り払うように、雪はわずかに息を吐く。
「おまえ……本当にあの高さから飛び降りたのか……いつにも増してヤベェな」
唐突な声に、雪は視線を上げた。
「……ケイ」
黒髪の青年が、いつもの飄々とした態度でそこにいた。ヘリのライトに照らされた黒いコートが、わずかに揺れる。
雪は彼を冷ややかな視線で一瞥した。
「怪我は? 骨は折れてない?」
「ないわ」
青年は雪の手を取って、入念に確認した。指先をなぞるように、掌の肉を確かめるように。雪は無言でそれを振り払う。
青年は、まるで大事なおもちゃを取り上げられた子供のような顔をした。
「ああ、せっかく合法的に女子高生を触っていられたのに。でも、さすが最強は伊達じゃないな」
雪は何の関心も示さず、ただ立ち去ろうとする。
「オイオイ。偉い人が来るまでいなくていいのかよ?」
「私のすることは終わったもの」
「それ以外どうでも良いのかよ」
雪は開け放たれた屋上扉へと向かう。途中、倒れ伏した金髪の男を一瞥した。だが、その姿にも興味を示すことなく、淡々と階段を降りていく。
「結局、あの怪人は何だったのか、とか気になんのかよ」
「気にならない」
「とか言って、どうせもう知ってるんだろう? 手伝ってやったんだから、教えろよ」
無言のまま、雪は階段を降り続ける。
青年は、それでも話し続けた。
「オレが調べたことを話すぞ。答え合わせをしてくれ。イワミタケトって男は、戦争が始まった頃に義勇兵として従軍していたみたいだな。政府は否定してるけど……」
雪は沈黙する。
「でも不思議なんだ。イワミタケトは一度、戦死報告がされている。軍が作成した書類もある。でも……あいつは生きていた」
「噂がある。戦場で死ぬと怪人がやってきて、死んだ兵士を乗っ取る——なんて、馬鹿げた話がな」
「さらにもう一つの噂がある。どこかの国が怪人を“兵器”として扱い始めたって話だ」
「ここから先は想像だが、イワミタケトは死んだか、あるいは生きている状態で怪人に“乗っ取られた”。それが戦場での偶発的な出来事なのか、あるいは意図的なのかは分からんけどな」
「ここ最近の東欧から中央アジアまで、魔法少女の能力消失や記憶の改竄が相次いでる。もしイワミタケトが関与していたとすれば、説明がつく。アイツの能力は——名前と顔を知った相手を自分の世界に取り込み、支配する……だっけ」
「こんなところで合ってるかー?」
投げやりな問いかけ。
雪は振り向かない。
だが、階段を降りかけた足が、ふと止まる。
次の瞬間——屋上に繋がる扉の向こうから、耳をつんざくような少女の悲鳴が響いた。
それは名を叫んでいるはずなのに、もはや名前ですらなかった。
「……」
「あーあ。お前が早くアイツを殺していれば、あの子もあの金髪も、あんな目に遭わなくて済んだのに……」
相手にされない仕返しに、意地悪な言葉を青年は投げる。それが度を超えたものだと知りながら、抑えることができなかった。
そこで初めて、雪はようやく青年の方へ振り向いた。
艶やかな黒髪が静かに揺れる。
夜の闇に染まったセーラー服。
まだ高校生だというのに、彼女は中学生の頃の制服を着続けている。まるで時間の流れを拒絶するかのように。
雪には、怪人を殺すこと以外に関心がなかった。それが青年の目には、痛々しく映った。
「その顔は怒っているの? 悲しんでいるの?」
ケイの問いかけに、藤原雪は答えなかった。
ただ、ゆっくりと顔を上げる。
「——私は、ただ、全部殺すだけよ」
それは、呆れるほど単純で、狂気じみたほどの純粋さだった。
そう言い残し、雪は階段を降りていく。
ただ、雪の小さな足跡だけが、床に血を滲ませていた。




