冬 4-2
クリスの前に、履歴書が差し出された。
細い指先が小さく震える。
一枚の紙。
それだけのはずなのに、どうしてこんなにも重く感じるのか。
紙の端を掴み、ゆっくりとめくる。
ざらついた感触が、指先に絡みつくようだった。
——まったくの別人だった。
「……は?」
視線がすべる。けれど、どれだけ目を凝らしても、それはセンセではない。
顔立ちが違う。
骨格も違う。
書かれている経歴すら、違う。
海外勤務の記録? そんなもの、どこにもない。
むしろ、日本国内の別の学校で教鞭を執っていたことになっている。
じゃあ、今までのセンセは——誰?
喉が、ごくりと鳴る。
目の前の活字が、じわりと滲んで見えた。
世界がぐらりと傾ぐ。
足元がすべるような感覚。
何か、決定的におかしい。
「ちょっと、間違えてるわよ。公務員なのにいい加減ねぇ」
苛立ちを隠せず、書類を突き返した。
校長は受け取った指先を小さく震わせる。
「ま、間違ってなんていません!」
声が上擦っている。
クリスは眉をひそめた。
「いや、だから私はセンセの書類を——」
「それが、魔法少女たちを担当している“センセ”の書類です。」
校長の顔には怯えが滲んでいた。
額の汗を拭うように、ぎこちなく手を動かしながら、絞り出すように言葉を続ける。
「一体、なにを言っているんだ……」
クリスの手が、冷たくなる。
喉が乾いて、言葉がうまく出てこない。
ありえない。
そんなはずがない。
ゆっくりと、もう一度、突き返した書類を手に取る。
指先がひやりと汗ばむ。
目を凝らす。
ページをめくる。
けれど、やはりそこにいるのは、知らない誰かだった。
「……どういうこと……?」
小さく呟いた瞬間——気づいた。
静かすぎる。
さっきまで、電話の呼び出し音が鳴り、キーボードの打鍵音が響いていた。
それなのに——今は、何も聞こえない。
違和感が、ゆっくりと首をもたげる。
濃密な沈黙が、まるで靄のように立ちこめる。
——おかしい。
視線を上げると、教師たちが立ち上がっていた。
けれど、それは**「立ち上がる」というより、「引き上げられる」** という表現が正しかった。
ひとつ、ふたつ、みっつ……
教師たちは、無言のままゆっくりと立ち上がり、同じ方向へと歩き出す。
彼らの顔には、何もなかった。
表情がない。
感情がない。
目に光がない。
ただ、空っぽの瞳が、虚空を見つめていた。
「……ちょっと。アンタたち、どうしたのよ?」
誰も答えない。
代わりに、コツ、コツ、と靴音だけが規則的に響く。
まるで見えない糸で操られているみたいに、全員が同じ動作を繰り返す。
全員が、同じ方向へと進んでいく。
——これは、怪人の能力?
喉が冷える。
背筋を、冷たい刃物でなぞられたような感覚。
同時に頭の中に漫画喫茶の帰りに出会ったサンダルを履いた青年の言葉を思い出していた。
『“イワミタケト”に気を付けろ』
息が詰まりそうだ。
心臓の鼓動が、妙にうるさい。
早く、ミツキとトーマスを連れてここを出ないと。
そう考えた瞬間——
ガシャァァン!!!!
校舎のどこかで、ガラスが砕け散る音が響いた。
それは一箇所ではない。
いくつもの窓ガラスが、一斉に割れたのだ。
……まるで、何かが校舎を包囲する合図のように。




