秋 3-10
夜の繁華街は、昼とはまるで違う顔を見せる。
路地の奥から響く嬌声、ネオンに照らされて滲む影、湿ったアスファルトに反射する赤や紫の光。
酒と香水の入り混じった甘い匂いが、熱気を孕んだ空気に溶けて漂っていた。
道端には酔い潰れた男がうずくまり、ホステスらしき女がハイヒールを鳴らしながら通り過ぎる。
低く笑う声、耳元で囁くような甘ったるい誘い、擦れた煙草の香り——この街は、欲望と快楽の坩堝だった。
その中を、クリスは静かに歩いていた。
コツ、コツ——
長身が刻む足音は、雑踏の喧騒に紛れながらも、不思議と一定のリズムを保っている。
「お兄さん、いいとこどう?」
「ねぇ、ちょっとお茶してかない?」
店の前に立つホストが営業スマイルを浮かべ、艶やかなドレスをまとった女が軽く腕を絡めるように近づいてくる。
「綺麗な顔してるねぇ。どこかのお店の人?」
赤いネオンの光が、女の唇に濡れたような艶を与えていた。
絡みつく視線、指先に感じる微かな体温。
ここにいる人間は皆、誰かを誘い、何かを求めている。
クリスはゆるりと微笑んだ。
それは、誘いに乗る気のない、どこか余裕のある微笑み。
「……アタシ、今夜はそういう気分じゃないのよ」
肩をすくめながら、ゆっくりと腕をほどく。
柔らかな動作に、女は少しだけ唇を尖らせた。
クリスは自分の容姿が人の視線を惹きつけることを知っている。そして、それを利用することもある。
場を和ませるため。
情報を引き出すため。
あるいは、ただ目的のため——。
だが、今はそのどれでもない。
軽くあしらわれたホストと女は、つまらなそうに去っていく。
クリスはポケットに手を入れた。
指先に触れる、USBの硬質な感触。
ほんの小さなそれが、不意に意識の表面へと浮かび上がる。
喧騒に紛れていても、その重みだけは確かに感じられた。
「さて……」
雑踏の波を抜ける。
欲望の熱に浮かされたような街の空気が、背後へ遠ざかっていく。
一本裏通りへ入ると、濁った光が途端に薄れていく。
アスファルトに響いていたざわめきは、いつの間にか遠のいていた。
やがて、目的の漫画喫茶が見えてくる。
場末のようなオレンジ色の光が、ビルの入り口をぼんやりと照らしていた。
自動ドアが開く。
ひんやりとした空気が、頬を撫でた。
クリスは、静かに店内へ足を踏み入れた。




