夏 2-19
夜の街に沈むように、ひっそりと佇むゲームセンターがあった。
自動ドアは開け放たれたまま動かず、入り口のガラスには色褪せたポスターがいくつも貼られている。
店内に足を踏み入れると、まず鼻を突くのは埃っぽい空気と、かすかに混じる油の匂い。蛍光灯はちらちらと明滅を繰り返し、場所によっては完全に消えているものもある。天井には古びた扇風機が取り付けられているが、音ばかりがうるさく、風はほとんど感じられない。
並ぶゲーム筐体はどれも旧式で、スクリーンにはうっすらと焼き付きが見える。ボタンは使い込まれてツヤがあり、一部はひび割れている。スティックもすり減り、動きが鈍いものが多い。端の方にはメンテナンス中なのか、画面が真っ暗なままの筐体もあった。
カウンターには店員らしき男がひとり、丸椅子に座ったまま居眠りをしている。小さなテレビが隅に置かれているが、砂嵐のような画面が映ったまま放置されていた。
「本当にこんなところに、その『雪ちゃん』って子がいるのかしら……?」
クリスが呟く。蛍光灯のちらつくゲームセンターの奥に視線を向けながら、どこか呆れたような口調だった。蝶よ花よと育てられた女子高生が、こんな埃っぽくて人気のない場所にいるとはとても思えない。
オレは黙ったままあたりを見回す。古びた筐体の間を、電飾のちらつく光が断続的に照らしている。カウンターでは店員が居眠りをしているらしく、まるでこの空間全体が時間から取り残されたようだった。
そして、店の奥――他の筐体よりもひときわ大きな存在感を放つものが目に入る。
一時期流行したVR筐体だ。曲線的なフォルムの機体は、今となっては時代遅れの産物だが、ここではまだ現役らしい。だが、外装には擦れた跡が多く、色褪せていた。
周囲のゲームが電子音を垂れ流すなか、その筐体だけは沈黙している。まるで深い眠りについているように、不気味なほど静かだった。
これがコウリが言っていたVRゲームか。
VR筐体は完全に個室となるように設計されており、外からは人が中にいるかどうかはわからない。ただ、唯一の手がかりのように、『使用中』のネオンが淡く点滅していた。
……中にいるのか?藤原雪が。名前しか知らない生徒が。日本で、いや世界でトップクラスの魔法少女がこの中に。
オレはVR筐体の前に立ち、『使用中』のネオンをじっと見つめた。赤い光が不規則に明滅する。そのたびに、暗い店内の影がゆらりと揺れる。
ゴォォォ……
耳の奥で低いうねりが響いた。
まるで遠くの嵐の音。
違う、これは……オレの、心臓の音か?
喉が乾いていく。背中の皮膚が、じわりと粟立つ。
(……何かがおかしい)
ここにあるのは、ただのゲーム機のはずだ。だが、オレの内側の何かが──言い知れぬ不安と警戒心が、じりじりと胸を焼く。
早く開けろと、何かが囁く。
開けてはいけないと、別の何かが囁く。
オレは……
(……なんだ?)
次の瞬間、無意識のまま手が動いた。
「ッ!」
勢いよく扉を開け放つ。
「わっ!!なんだ!!」
「きゃーっ!!」
──ただの、カップルだった。
男が驚いた顔でこちらを見上げ、女が悲鳴を上げる。
オレは言葉を失う。背後でクリスが肩をすくめた。
「あらやだ。お邪魔したわね」
呆然とするオレを無視してクリスは、扉を閉じる。
(……オレは、いま、なにをしようとした?)
カップルがいると知った瞬間、安堵したのはなぜだ?このVR筐体の向こう側に、オレは何を見たと思った?
わからない。だが、胸の奥に沈殿するこの感覚は──まるで、さっきまでのオレは。
(……馬鹿か)
オレは名前しか知らない生徒が深夜のゲームセンターに出入りしているのか確かめに来ただけだ。それなのに、なんでオレはこんなにも……。喉の奥がじわりと苦い。胸がざわめく。
オレは……
(……オレは、いま、なにをしようとした?)
自分の思考が、ぐるぐると同じ問いを繰り返す。けれど、その答えだけが、どうしても掴めなかった。
オレは急いで店員の管理室へと足を向けた。
店内の静けさがまるで一層不気味だ。廊下を急ぎ足で歩くと、居眠りしている店員の脇を通り過ぎた。店員がようやく異変に気がついたのか、慌てた様子でこちらに手を伸ばして静止しようとするが──オレはそれすらも振り払った。
何をしようとしているのか、それすら今のオレには分からなかったが、この瞬間だけは、その店員の言葉が耳に入らなかった。
管理室に入ると、薄暗い部屋に並んだ古びた監視カメラのモニターが目に入った。あの筐体の異常──いや、オレが見てしまったものを確認するために、ここで時間を戻す必要があった。
背後から、店員の声が聞こえる。クリスもその後に続いているようだが、オレはまるで耳を貸さない。モニターに目を固定して、映像が流れるのを待つ。
だが、モニターの映像が動き出すことはなかった。
オレはさらにモニターに顔を近づけ、視線を強く込める。記録がきっと残っているはずだ──そう思ったが、画面に映るのは静止した映像、そしてそこに映るものは──。
記録デバイスが──木っ端微塵に破壊されていた。
一瞬、頭が真っ白になった。
まるで誰かが自分の姿を見られることを恐れるかのよう破壊し尽くされている──いや、これは──
店員の気配が背後から近づいてくる。だが、オレの視界はそのままモニターに釘付けだ。
「な、なんだよ、これ……!」
オレの背後から店員が呻くような声を漏らしたが、それも無視して、オレはモニターを睨みつけ続ける。
──誰がやった?藤原雪、か?
その問いが、脳内でぐるぐると回り続けていた。




