予兆:Vocal is... ③
その日の夜、愛は今までに何度も見返したREBECCAの動画を更に見返していた。
その動画から感じ取れることは、原作アニメに対する確かな愛情。いくつか寄せられている感想コメントに悉く返信がないことからも、歌い手が他者からの賞賛を求めていないことが感じられた。
「…やっぱり、この声じゃないと」
愛はそう呟くと、ダイレクトメールに自分のメールアドレスを貼りつけた。
“Dear REBECCA,
I’ve watched your videos many times,
and I feel there’s something truly special about your voice.
I have an important request for you,
and I hope you’ll consider it.”
(レベッカさんへ
あなたの動画を何度も拝見し、あなたの声には本当に特別な何かがあると感じています。
大切なお願いがありまして、ぜひご検討いただければと思います。)
文面はそれだけ。要件は何も書かなかった。それは相手が自分の素性を知る必要が無いという意思表示だったし、何よりも、まず反応してくれないことには始まらないと思ったからだった。
(さて、どうなることやら……)
この時、当事者の愛すら感じていなかった。
小さく、散らばっていた運命の歯車が、今まさに噛み合い、動き出そうとしていたことを。
その歯車は愛だけでなく、優、圭の二人も巻き込んでいき――
やがて世界は変わり始める。
そして、メールを送ってから数時間後の朝、愛のスマートフォンにはREBECCAからの返信はまだ無かった。
愛は寝起きのぼんやりした頭で思う。
(まあ、さすがにまだだよね。向こうがどこに住んでるか知らないけど、時差もあるだろうし…)
愛は寝巻き代わりのオーバーサイズのTシャツを脱ぎ捨てると、素肌の上から薄手のトレーナーを頭から被る。
「ふぁーあ…」
欠伸を一つすると、愛はスマートフォンを持って部屋から出た。その足で洗面台へ向かい歯を磨く。鏡に写った自分はひどく眠たそうな顔をしていて、思わず苦笑してしまった。
(そういや昨日もあまり寝てなかったんだっけ? 遅くまでアニメ観てたしなあ…)
昨夜のことを思い出すと少し気が重くなるが、それでも不思議と胸は軽かった。メールを送ってから愛の心は期待感に満ちていた。
そして今はただ、REBECCAからの返信が待ち遠しかった。
(まあ、その前にちゃんと学校に行かなきゃね)
そんな愛の期待を裏切り、この日REBECCAからの返信でスマートフォンが震えることはなかった――
最初にメールを送ってから丸一日が過ぎた。
愛は自室で一人、ベッドに横たわりながらスマートフォンの画面を見つめていた。その画面に表示されているのはメールアプリのダイレクトメール欄だった。
(……まだ、来ない)
愛の期待感は既に薄れ始めていた。もう丸一日返信が無いということは、このままREBECCAから返答が来ることはないのかもしれないという諦観が愛を包みつつあった。
「そろそろ、二通目を出してもいい頃かな…」
“Dear REBECCA,
I understand you may be busy,
and I truly don’t mean to pressure you.
I simply couldn’t help reaching out again—because your voice hasn’t left my mind since I first heard it.
No matter your decision, please know that your music has already touched someone’s heart—mine.
Warm regards,
Ai”
(REBECCAさんへ
お忙しいかもしれないと思い、無理にとは思っておりません。
でも、どうしてももう一度だけ想いを伝えたくなってしまいました。
あの歌声が、今でも心から離れないのです。
お返事の有無にかかわらず、あなたの音楽は、私という一人の人間の心に、確かに届きました。
心からの敬意とともに
愛より)
愛は最初のメールの時より少しだけ感情を滲ませた文を紡いで、メールを送り終えた。
そして、スマートフォンの画面を遠く見つめながら呟く。
「返事、来ないかなあ……」
それからというもの、毎日一度だけREBECCAへメールを送る日々が愛の中で続いていたが、やはり返信が来ることはなかった。




