予兆:Vocal is... ②
昼食を済ませ、コーヒーを持ってきた三人はようやく本題に入った。
「えーと、バンドを始める前に、もう一度コンセプトを確認するね?」
愛がコーヒーを一口飲んでから二人に問う。
「わたしはロック全般が好き。ハードロックでもメタルでも、ざわつく心を揺さぶるような、そんなロックが好き。聴いてくれた人も何かを感じてくれるような、そんなロックバンドがやりたい」
愛ははっきりとした口調で自分の想いを言葉にしていく。それは今のバンドメンバーにだけでなく、これから共に歩むことになる人へのメッセージでもあった。
そんな愛の想いを聞き、圭も優も静かに耳を傾けていた。
「圭ちゃんは?」
話を振ってきた愛に促される形で圭は自分の考えを話し始める。
「私も音楽はわりと何でも聴くけど、自分で演るならやっぱりロックかな? 耳当たりのいい歌謡ロックとか好きね。ストレス発散にはやっぱツーバスでメタル叩くのが一番かなあ。じゃあ、はい。優ちゃん」
圭が隣に座る優ににこやかに話を渡す。
「あ、はい……えと、あたしは……」
そんな優はどこか言いづらそうに言葉を詰まらせるが、愛も圭も優の次の言葉をじっくりと待つ。
「メタルが、好きです。シンフォニックで、ヘビーで、パワーなやつが。でも…」
そこで一呼吸置き、優は続ける。
「…愛さんが創る音楽なら、何でも聴いてみたいって思ってます。そこに自分が関われたなら、嬉しいなって」
「そっか!」
そんな二人のやり取りを黙って聞いていた愛だったが、それを聴いた瞬間嬉しそうに笑ったのだった。
「バンドのジャンルはロック! でもそこは曲調に囚われず各々演りたい曲をわたしたちの色に昇華させて演ろう! メタルでも歌謡ロックでも、必ずわたしたちの“音”を出せるはずだから!」
愛は力強く宣言した。
「うん!」「はい!」
そんな愛の言葉に圭と優が同時に返事をする。そして三人はそれぞれの顔を見合わせると、誰からともなく笑い出した。
それは、これからバンドを始めることの不安を払拭するための儀式のようでもあったし、ただ単におかしくて笑ったようにも見えたのだった――
「でさ、ボーカルなんだけど、二人は誰か心当たりとかある?」
愛が切り出すと、圭は横目で優を見て言う。
「私はいないなあ。優ちゃんは?」
「あたしも特には…」
二人は顔を見合わせ、同時に愛に向き直る。
「そっか。二人はニューチューブとか観る?」
「NewTubeってあの動画サイト?」
「うん。素人とかプロとか関係なく投稿してるとこ」
「たまに観るかなあ」
「あたしはあんまり……」
そんな二人の渋い反応に愛は逆に目を輝かせた。
「そっか! じゃあさ、ちょっと観て欲しいものがあるんだ。二人ともスマホとイヤホンいい?」
そう言って愛は二人にイヤホンを着けるよう促す。
「観て欲しいのはね、このチャンネル。“Me singing”、“REBECCA”で検索してみて?」
「“レベッカ”? 外国の人ですか?」
「うん。多分そう」
優の問いに対して愛はそう答えると、二人は言われた通りに検索を始めた。
「これ……」
そしてすぐにそのチャンネルを見つけた優が声を上げた。それはREBECCAという女性シンガーが自身の歌を披露する動画投稿チャンネルで、彼女は主に日本のアニメ主題歌のカバー曲を歌い上げているようだった。
「登録者数、120人……。これって、少ない、ですよね?」
「少ないね」
優の問いに屈託のない笑顔で即答する愛。
「まあ、とりあえずどの曲でもいいから聴いてみてよ! ほら、圭ちゃんも!」
「う、うん」
愛に急かされ、圭はイヤホンを着ける。
二人は緊張気味に自分のスマホの中の再生ボタンをタップした。
「!」
再生ボタンを押した瞬間、イヤホン越しに響いたのは――透明な空気を震わせる、奇跡のような歌声だった。
圭と優、お互い再生した動画は別のものだったが、二人は思わず息を呑み同じ気持ちを抱いていた。
(なんて……綺麗な声……!)
その動画は自身の姿は映さず、ローマ字で書いた歌詞に歌声をのせただけの簡素な動画だった。
だけど、歌い手の声はとても澄んでいて、どこまでも伸びるハイトーン。かと思えば、時に艶やかで、時に芯のあるハスキーな歌声。
日本語の歌なのに自然なイントネーション。
どこか切なくも美しいその旋律は、優と圭の心を一瞬で虜にしたのだった。
「ね? いいでしょ?」
愛の言葉に二人は小さく頷くしかなかった。そんな二人を見て愛はさらに話を続ける。
「このチャンネルには専属のマネージャーも動画制作者もついていない。自室かな? 自分で撮って上げているだけだから音質も悪い…」
愛はそこで一旦言葉を区切ると、優の顔を覗き込んだ。
「でも」
そして少し間を置いてから力強く続けたのだった。
「この人からは本当にその作品が好きだから、歌って、自分もその作品の一部になりたいっていう、そんな思いが伝わってくる。そう思わない?」
「!」
愛は優に向かって問いかける。
「……はい」
優がそう答えると、愛は小さく頷き圭の方を向いた。
「どう? 圭ちゃん?」
「うん……すごくいい……」
圭も最初の印象から脱したらしく、どこか夢見心地のような顔をしていた。そんな二人を見て愛は満足そうに微笑むと言ったのだった。
「でしょ? だからこの“レベッカ”を私たちのバンドにスカウトしたいの。どうかな?」
愛は何のためらいもなく、自分達のバンドにREBECCAを迎え入れたいと言う。
「でも、どうやって? その人、外国の投稿者だよ?」
そんな圭の質問に愛はふーっと深呼吸するとはっきり言った。
「まずはメールでコンタクトを取ってみるよ。大丈夫。このデジタルの世の中、物理的な距離は障害にならない」
「でも愛ちゃん。そんな簡単に……」
圭は愛の発言に少し戸惑った。だが、優にはこの愛の作戦が無謀なものとは思えなかった。
愛の音楽に対する熱量は知って間もないが、そこには信頼に値する確かなものが感じられたし、何よりこの声の持ち主が自分と同じように音楽が好きなことが優にもわかっていたから。
優は正面の愛の瞳をまっすぐ見据え、はっきりとした声で言った。
「……あたしも、この人誘いたいです。声の綺麗さや歌の上手さだけじゃない……この人は、“自分の音”を持っている」
「優ちゃんまで……」
そうはっきりと告げる優に圭はまたどこか不安げな表情を向ける。
そんな二人の反応を愛は微笑ましく見つめていたが、やがて力強く宣言したのだった。
「まあ、少し待っててよ。わたしが絶対勧誘してみせるからさ」
「うーん…。でも、いきなりメールでバンドに誘うって、どうなの?」
そんな愛に圭が遠慮がちに言う。だが愛はその言葉を聞くと苦笑しながら答える。
「圭ちゃんは、反対?」
「反対なわけ! ないけど…。ネットってデリケートな領域じゃない? そういうの、心配しちゃうよ」
圭はそう不安を口にしながらも、言葉とは裏腹にどこか期待に満ちた表情をしていた。
「圭ちゃんは優しいね」
そんな圭に愛が優しく微笑みかける。
「だからわたしはいつもそんな圭ちゃんを頼りにしてるし、大好きだよ」
そして最後に悪戯っぽい笑顔でウィンクした。その仕草に思わず頬を赤らめる圭だったが、すぐに思い直したようにぷいっと顔を背けるのだった。
「も、もう! すぐそうやって可愛いこと言うんだから愛ちゃんは!」
「えへへ」
そんな圭の反応を、愛はどこか満足そうに見つめるのだった。
(……本当は不安もある。でも、今、わたしが動かなければ、この音は始まらない)
愛は心の奥に潜む不安をひとり飲み込み、決意を新たにする。
(お肌の大敵だってのに、寝る間を惜しんで探し続けた。偶然の出会いだったけど、この声は、一度出会ったら絶対に忘れられない――)
そして愛は、静かに、しかし確かな笑みを浮かべた。
「わたしは、レベッカを絶対に離さない……!」




