邂逅:KEI is Key! ③
「ねえ、何処へ行くの? 私まだお代済ませてない…」
圭がそう問いかけると愛はくるりと振り向き、人懐こい笑顔で答えた。
「おねーさんが元気になれるところ」
そんな愛の笑顔を見て、圭は不安ながらも釣られて口角を緩めてしまう。
スナック『かきつばた』を出て二分ほど歩いた同じ商店街。とある楽器屋の前で愛はその足を止めた。
圭がその三階建の雑居ビルを恐る恐る見上げる。
ビルの入り口には二階にはスタジオ、三階には『株式会社BREEZE 音響制作事務所』という表札が掲げられていた。
「…音響、スタジオ…?」
「そう。知り合いのツテでね、偶に使わせてもらってるの。この時間ならまだいるかな?」
そう言いながら愛は圭とともにビルに備え付けられた狭いエレベーターで三階まで上がる。
三階のエレベーターを降りると目の前には外のビルの様相からは想像がつかないほど、綺麗で清潔そうなオフィスが広がっていた。
「あ! いた!」
オフィスの中には、白いブラウスに薄手のカーディガンを羽織って眼鏡を光らせる、絵に描いた事務員のような女性が一人、椅子から腰を上げたところだった。
セミロングの黒髪をまっすぐに下ろし、細身をスキニーに包んだその出で立ちは、早春の霜柱のような鋭さと和かい温度を感じさせた。
「誰よ、こんな時間に……? あ、愛ちゃん?」
その女性はそう呟きながらデスクから離れ、此方へと歩み寄ってくる。
「ども」
そんな女性に愛はぺこりと会釈する。
事務所の扉が開きその女性は少し困ったような顔をしながら愛に話しかけた。
「愛ちゃんこんばんは。もう七時よ? 私もそろそろ上がろうと思ってたんだけど?」
「あ、ごめんなさい。ちょっとお願いがあって」
そんな女性の言葉に愛は両手を合わせ拝むようにしてそう答えると、その女性は少し呆れながらも笑顔で言葉を返す。
「…仕方ないわね。で、なあに?」
「この人、圭さんって言うんだけど……」
そう言って愛が隣の圭を手で指し示す。
「え!? あ! すみません! お忙しい時間に!」
圭は突然紹介されたことに驚き、慌てて頭を下げた。
「いえ……私は構いませんが。この事務所の責任者をしております篠原律です。初めまして」
「あ、け……郡山圭です! 初めまして……」
圭が名前を告げると篠原律と言った女性も軽く会釈をして返す。
「りっちゃん、帰るところ悪いんだけど、ほんのちょっとだけスタジオ貸してくれない?」
愛は両手で拝むようにして再び律にそう声をかけた。
「え? 今予約はー……ないわね。別にいいけど、こんな時間から何かあるの?」
「うん、ちょっとね。いつもありがと、りっちゃん。この借りはデビューしたら万倍にして返すよ!」
愛はそう言うと手に持っていたギターケースを圭の前にかざして見せた。
「今から一曲だけ圭さんに聴かせようと思って」
「………」
律は愛の目を見ながら少し考えると、軽く溜息をついてスタジオの鍵を愛に渡す。
「私もここ閉めたらそっちに向かうから、あとで鍵を受け取るわ。先に始めてていいわよ」
「ありがとう」
そんな二人の遣り取りをキョトンとした顔で圭は見つめる。そんな圭に愛が声をかける。
「行こう?」
「あ、はい……」
二人は律にぺこりと頭を下げると、エレベーターで三階から二階のスタジオへと下がり、先程のオフィススペースとは別の防音扉を開けて中に入った。
「ここはりっちゃんの仕事で使ってるスタジオなの。普段はゲームの音楽とか作ってるんだってー。りっちゃんはそのゲーム会社の音響担当で、子供の頃からのわたしの友達」
愛はにこやかにそう言うと扉脇にあるカードリーダーに先程律から受け取ったカードキーをかざす。二重にされていた扉が開き、そのスタジオが目に飛び込んできた。
「わあぁ……広ーい! それに綺麗ー…」
圭はただならぬ雰囲気に圧され気味だった先程とは違い、その空間に少しはしゃいでしまう。
そんな圭を見て愛はクスリと笑いながらドアを閉めて中に入っていく。そしてそっとドア横のスイッチを押すと照明が一斉に点灯し、内部を明るく照らした。
そこにはギターからベース、キーボード、数々のアンプやエフェクターがズラリと並んでいて、尚且つその中央にどしりと構えたドラムセットが圭の視線を釘付けにした。
「あ……ツーバス…」
思わず感嘆の溜息が漏れる。
「ねえ? 一つ勝負しない?」
「え?」
愛はドラムセットの前のスツールを圭に勧め、座らせる。
「今からわたしがこのギターで弾くから、おねーさんはドラムでついてきて? わたしについてこられたら、お店のお代はナシにしてあげる」
そんな愛の提案に圭は少し戸惑いながら訊き返した。
「…もし、ついていけなかったら?」
「勝負の前に負けた時のことは考えない。でも、そうだなあ……。負けたら普通にお支払いしてもらう、かな」
愛の物言いは何かを企んでいるようでいて、何も考えていないかのような、そんな不思議と人を魅了してくるトーンだった。
「うん! わかった! 別に支払わないって言ってないけど、その申し出、好意として受け取るね」
そんな素直な反応を見て愛は満足そうにウィンクで返すと、ギターを取り出しチューニングを始めるのだった。
圭は上着のジャケットを脱ぎ、ドラムセットの前に座ると髪を後ろで一つにまとめる。ブラウスの襟元を緩め、スティックを手に取るといつものルーティーンでそこにあるドラムたち一つずつに挨拶をするかのように、ゆっくりとウォームアップを始めた。
その楽器を慈しむ圭の姿を見た愛は目を丸くしたが、すぐに微笑み返し圭に語りかける。
「わたしは準備オーケーだよ。そっちは?」
愛はそう言いながらギターをゆっくりと構えた。そのギターはさっきまでスナックで弾いていたアコースティックギターの『ギブソン』ではなく、エレキギターの『フェンダー・テレキャスター』だった。
「あ! 今度はエレキなの? それ、テレキャス!?」
「うん。わたしはギターなら何でも弾くから。どっちかと言うと、こっちがメイン」
愛はそう言うと圭に目配せして合図を送る。
「わかった。私も準備オッケー。いつでもどうぞ!」
圭もスティックを両手に持ち直し、愛に向き直りそう答えた。
「うん」
そんな圭の返事を確認し、愛はそっとピックを弦の上に滑らせる。そして小さく息を吐くと静かにギターを弾き始めた。




