邂逅:KEI is Key! ②
「あ! いたいた。はい、お冷やどうぞー」
愛はその女性の座るテーブル席にお冷やのグラスを置き、声をかける。
「う……うう……ひっく……」
その女性はテーブルに突っ伏し、嗚咽をもらすように泣いていた。テーブルには既に空になったグラスやジョッキが数個並んでいる。
カジュアルなジャケットとパンツルックにパンプス。恐らく仕事帰りなのだろう。
「おねーさん? 呑み過ぎですか? それとも何かイヤなことでもあったの?」
愛の優しい問いかけに、その女性は勢いよく顔を上げると涙ながらに答える。
「……振られた。…また振られたの……! ううぅ……!」
それだけ言うとまたテーブルに突っ伏して泣き出してしまう。
愛は呆れながらもテーブルの向かいの席に腰を掛ける。
「振られたって、どれくらい付き合ってたの?」
そんな愛の言葉に女性はまた涙でぐしゅぐしゅになった顔を上げて答える。
「…二カ月」
「あー…。おねーさんいくつなんです?」
「……二十三…」
「へー」
愛は自分と然程年齢が離れていないこの女性客の容姿を改めて観てみる。
さらとした栗色のロングヘアに、あどけなさをまだ残すその垂れた目尻。鼻筋が真っすぐ通っていて、厚い唇の脇にあるホクロがチャーミング。体型もスラッとしている割に女性らしい凹凸がしっかりと主張していて身長もありそうだ。世間的には美人と言われる部類の女性だと愛は受け取った。
「おねーさん、美人じゃないですか? 泣いてたら折角の美人が勿体ないよ?」
愛はテーブルにあった紙ナプキンで無造作に女性の涙やら鼻水やらを拭いてあげる。
「わっぷ! いた、痛た! 紙痛いよー」
女性はまた涙目になりながらも愛に抗議の視線を向ける。今度は愛がおしぼりを差し出すと、その女性は愛からおしぼりを受け取り、ようやく目の前に座っている愛のことをまじまじと見つめた。
「え? なんで、美少女が私の顔拭いてくれてるの? サービス?」
きょとんとした顔でそう呟く女性。
「はーい。美少女愛ちゃんの顔拭きサービスでーす。サービス料十万円になりまーす」
愛はおどけた様子で女性の問いに答える。そんな愛の答えに、女性は身を乗り出して応える。
「じゅじゅじゅ十万ッ!? そんなお金今ないッ!」
「ウソでーす」
「……噓……? はあ……よかった……」
女性は心底胸を撫で下ろし、安堵の溜息をつく。その女性の裏表のなさそうな表情に好感を持ち、愛は小さくクスリと笑う。
「わたしは愛。ここのママの娘だよ。おねーさん、人良さそうなのに、なんで振られたの?」
愛は歯に衣着せず単刀直入にその女性に質問をした。
「わ、私は圭。郡山圭……。振られたのは、浮気されてたから……」
少しあっけにとられた顔で女性は答える。
「あちゃー。それはおねーさん、傷付くねえ…。元気だそ? ……でもそれ、一概に誰が悪いって言えないこともあるよね…」
愛が苦笑混じりで慰めるようにそう言うと、圭と名乗ったその女性はまたテーブルに突っ伏し泣き出してしまう。
「……っく。うううぅぅぅ……!」
そんな女性を目の当たりにしても、愛は怒りもしなければ同情もしない。ただ黙ってその女性の前に座り、優しく観察する。
「おねーさんが生きてきた二十三年間からしたらさ、その内の二カ月なんてほんの一瞬のことだと思うよ? 確かに今は心苦しいかも知れないけど、いつまでも泣いてたらこれからのおねーさんの人生の残された時間が勿体なくない?」
「……っく。だって……。私、自分なりに彼のこと考えてたつもりなんだよぉ……! なのになんで……? なんで浮気なんか……」
圭のその言葉を聞いて愛は肩を竦めて呆れる。そしてまた紙ナプキンを圭に差し出すと涙を拭いてあげるのだった。
「そんなの、その人に訊いてみなくちゃ分からない。だけど、これだけは言えるよ?」
愛の含んだ言葉に圭が顔を上げ、その視線を愛に向ける。
「おねーさんはいつまでもこんな場末の酒場で管を巻いてていいような人じゃない。ちゃんと日の目の当たる場所に戻るべき。おねーさんにもあるでしょ? そういう場所がさ?」
愛はそう言うと、圭に新しいおしぼりを差し出し、脇に置いてあったギターを取り出し肩にかけた。
「わたし、ギター好きなの。おねーさんの聴きたい曲、弾いてあげる」
圭は目の前の美少女が急にギターを手に取るその姿を呆気にとられながら目で追う。
愛はそんな圭の視線を感じ取りつつも、持っているギター『ギブソン』の弦を一音一音確かめるようにゆっくりと爪弾いて調律する。
「…なんの曲でも?」
「わたしが聴いたことがある曲なら」
「…レパートリーは?」
「聴いてきた数だけ」
「……絶対音感?」
「うん。親譲りかな?」
「………じゃあ」
愛の穏やかな口調と物腰に次第に落ち着きを取り戻した圭はいくつか愛にリクエストをする。
それを愛は今の圭を癒すかのように、原曲よりややマイルドに爪弾いていった。
「……………♪」
周りの喧騒など何処かへ掻き消えてしまったかのように、愛の奏でる音色は圭だけを包みこんでいた。
いつしか圭の両の指はテーブルにトントンと優しくリズムを刻み始めていた。
そんな圭を横目で薄っすらと見やり、愛の口角は緩く弧を描く。
「パーカッション、やってるの?」
愛の突然の問いかけ。
「えっ?」
圭は愛のその不意な言葉に驚きの声を上げる。
「おねーさんの指、なんかそういう感じだった」
愛がそう言うと圭は指を止めて少し恥ずかしそうに俯く。
「うん。…バンドはもうやれてないけど、たまに街のウィンドで、ね」
圭はそう呟くと、ようやく柔らかい笑顔を見せた。そんな圭に愛は優しい笑顔を向ける。
「指、止めないで続けて? 好きなビートは?」
「エイトビート。BPM170くらいの」
「オーケー。好きなジャンルは?」
「ロックかな。自分で叩く時はメタルとかも好きだけど…中々ツーバス叩けるところもなくて…」
「…オーケー……」
曲が終わり、愛がギターを肩から降ろすと、愛は立ち上がり圭に手を差し伸べる。
「え?」
「ギター、聴いてくれたお礼。ありがとう」
愛はそう言うと圭を見つめながら人懐こい笑顔をしてみせた。
圭はおずおずとその手を取り握り返した。
「あ……ありがとう。私も、話聴いてくれて。なんだか、スッキリしたかも……」
愛は毒気の抜けたような圭のあどけない笑顔を見ると、安堵の溜息をつき圭に声をかける。
「良かった」
愛がそう言うと、圭は何度もうんうんと頷きながら愛の手を握って離さない。そんな圭の様子を見て愛は少し可笑しくなった。
笑うと目が線になる人の良さそうな圭の笑顔を愛は純粋に素敵だと思った。
「おねーさん、それはそうと、何でこんなスナックで呑んでたの? 自分で言うのも何だけど、ここ、女の人が一人で来るようなお店じゃないよ?」
「え!? そうなの? お酒飲めるならどこでもいい気分だったから、気にしてなかった!」
圭はそう言うと、愛に握られた手をもう片方の手で優しく叩いて離し、背筋を伸ばす。
「ぶはっ!」
圭のそんな正直な物言いが可笑しくて愛は噴き出してしまう。
「あ! 笑ったわね? 別にいつもこうじゃないんだからー」
「わたしは別にいいんだけどー。はいコレ」
愛はまだクスクスと笑いながら圭に領収書を渡す。少し膨れ面の圭がそっと受け取ってその紙面に目を落とすと――
「えッ!? 一万八千円ッ!?」
「うん。こういうお店は場所代高いよ。おねーさんはホステスさん侍らせてなかっただけまだ安いほうだよ?」
愛は圭のその反応にまた吹き出してしまう。圭は両手で掴んだ領収書を凝視しながらわなわなと震えていた。
「……払える…ギリ……でも……痛いなあ…」
圭のその反応を見た愛は、今日一活き活きとした顔つきになり、圭に声をかける。
「おねーさん、ちょっと、わたしに付いてきて?」
愛はそう言うと圭の返事を待たず足早に出入口へと向かう。圭は慌ててその後を追う。
「……え? あ! ちょっと待って! お勘定ッ!」
愛はそんな圭を気にすることもなく、先程とは違うギターケースを手に取り店を出るとそのまま通りを歩いて行った。




