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邂逅:KEI is Key! ①

挿絵(By みてみん)

 多くの学生が行き交う大学のメインストリートとも言える本校舎前の広場に、春の到来を知らせるような気持ちのいい乾いた風が吹き抜ける。


「うー、寒っ」

 その風に煽られ、少し長めな栗色の髪をなびかせながら一人の女の子が身震いした。

 彼女は国木田愛(くにきだあい)。この春から大学二年生になった女の子だ。

 身長は一五二センチと低めで、スリムだが出ているところは出ていて、引っ込むところは引っ込んでいる。いわゆるモデル体型で、学生の中では誰もが振り向くほどの美貌の持ち主だ。


「今朝はちょっと冷えるなあ」

 そんな独り言を呟きながら愛はまだ学生の登校もまばらな広場の真中にギターケースを広げると、一枚の張り紙をその空になったケースに張り付けた。


『バンド立ち上げます。音で共鳴できる人だけ、来て』


 と、書かれていた。

 愛は携帯用のミニアンプを設置し、ギターを肩から掛けると調律をしながらビートを刻み始める。

 まだ早い春の朝、その広場は愛が刻むビートで朝靄が晴れていくかのように、次第に音で満たされていった。





「ただいまー…。ふう」

「こら愛? お店の入り口から入らない! おかえりなさい」

 いつものように開店前のスナックの入り口から入り、母親の美子(よしこ)に叱られる愛。

「ごめんなさーい」

 いつもの事なので叱られたことを大して気にする風でもなく、愛は素直に謝る。

「まったくもう……」

 美子は眉を下げて困ったような笑顔を愛に向けると、そのままカウンターに入る。

 そして用意していた一枚のビラを貼りつけた。それは……


『バンド立ち上げます。音で共鳴できる人だけ、来て』


 そんな文言が書かれたチラシだった。愛はそれをぼんやり眺めながら母親の顔を見返す。

「え? お店に貼ってくれるの?」

「何よ水臭い。このくらい協力させてよ」

「うん。ありがと」

 愛の薄いリアクションに少し違和感を覚えた美子は、何気なく娘の様子を改めて観る。

「……愛? 何かあった?」

「え? うーん……。正確に言うと、()()()()()()んだよねえ…」

 愛が苦笑しながら美子に今日一日のことを話し始めた。



「今日、朝から一日、講義のない時間とか昼休みに、大学の人通りの多いところで弾いてたんだけどさ、割りとちゃんと聴いてくれる人いなくてねー。えへへ…」

「そう……。でも、それは愛がまだまだってことなんじゃないの?」

 美子は、愛の演奏の技量に関しては問題はないと知っている。しかし、その演奏を聴いている人がいなかったというなら話は別だ。

「うん……まあね」

「で、一日目で弾くの怖くなっちゃった? それとも未熟な自分に嫌気が差したのかしら?」


 美子は娘には人としての精神的な部分も鍛えてやらないといけないと常々感じている。それなので敢えてこのような質問を愛に投げかけた。

 愛は少しも臆すること無くその問いかけに答える。

「まさかあ! ママの言う通り一日目でどうにかなるなんて思ってない。わたしの音が届く人が必ずどこかにいるはず。そんな人が現れるまでわたしは弾き続けるよ!」

 この母にしてこの娘あり。美子は娘の言葉に驚くと同時に、自らの中にある安堵感に気付いていた。

「そう……。その言葉が聴けてママも安心したわ」

 少し俯きながら答える美子の表情は穏やかな笑顔で、心から娘を想う優しい母のそれだった。

「うん! ありがと、ママ!」

 そんな母の表情を見て愛の顔にも笑顔の花が咲く。



 と、その時裏口からカランコロンというベルの音と共に元気な女性の声が飛び込んで来る。

「おはよーございます」

 紺色のカーディガンに無地のスカートと、眼鏡に一つに結った三つ編み。一見すると地味目の事務員のようなその女性が開店前のスナックに入ってきた。彼女を見た愛が真っ先に声をかける。


「なるちゃんおはよー。今日出勤なんだね? 金曜かー」

「おっすー愛ちゃん。今日もよろしくー」

 二人は年齢が近いのもあってか、接し方がとても気安い。


「ママ、今日ラストまで行けますんで、よろしく。着替えてメイクしたら仕込み手伝います」

「なるちゃん、いつも言ってるけど、仕事してきてからのここだから、無理だけはしないでね?」

「大丈夫。お酒強いし、自分でセーブしながら適当に飲んでるんで」

 ()()と呼ばれたその女性は、慣れた手つきで眼鏡を外しながら美子の言葉に応える。

「まあ、それはそうなんだけどね」


 『なる』は店で働くホステスだが、今の地味な見た目からはとてもそうは見えない。ほぼ化粧っ気がない整った顔にナチュラルメイクを施したような薄付きのファンデーションが彼女の素材の良さを際立たせている。


「なるちゃん、塩対応なのに、これで結構お客人気あるからなー。なんか分かる気するけどー」

「何よ愛ちゃん、私になんか文句でもあるの?」

 愛の軽口になるが睨みを利かせる。

「ううん。文句はないよ。そんななるちゃん、好きだなーって話」

「あっそ。ありがと」

 なるはそう言うと、愛の方を見ずに口角だけを上げて更衣室に入って行った。





 愛が自室で楽器の手入れを終え、金曜日で賑わう階下のフロアへアコースティックギターを片手に降りていく。

「ママ、今夜も少しだけいい?」

 愛が壁にギターを立て掛け、カウンターへと入って行く。

「そうね…。愛、今のこの賑わってる客層を見て、あなたならどんな曲を弾くの?」

 美子は唐突に愛にそう問いかける。


「え? うーん……。そうだなあ、このくらいの客層なら、ちょっとしっとりした曲とかかなあ……」

「そう。それでお客様が満足できたとして、あなたは満足できるの?」

「え?」

 意外な母親の言葉に愛は面食らう。

「あなたは何のために音楽をやってるかって話。度胸だけならもうかなりのものだと私は見てる。ギターも上手くなったわよね。だったらあとは、あなたが何のために音楽をやりたいのか、心にしっかり芯を見つけておかないとね」

「芯……」


 美子は愛にそう助言すると、今度は少し表情を崩して愛をからかう。

「まあ、あの人の影響も十分にあるだろうし、ね。あなたはこの先バンドの仲間を集めて何をしたいの?」

 母親の自分を見つめる慈愛に満ちた瞳に吸い込まれそうになりながらも、愛はゆっくりと口を開く。


「わたしは、音楽が好き…」

「そうね」

 ぽつりと呟いた娘の言葉に美子は優しく頷く。

「音楽を演ってたお父さんが好き。お父さんが教えてくれたギターが好き。繋がってると思える音楽が、好き…」

 愛の声は少し熱を帯び、その目は輝きに満ちていた。


「ママ、わたしは音楽に囲まれていることが好き。だから、もっと多くの人をわたしの音で包みたい。その音を豊かにする為にはドラムスもベーシストも、ボーカルだって欲しい!」

 愛は少し感情が先走ってしまった自分の言葉に気付き、一つ息をつく。

「だから…バンドメンバーを探してるの」


 愛の熱弁に、美子はただ優しい笑顔で頷く。

「そう……。しっかりした芯があるじゃない? それで、バンドメンバーが揃ったあとは?」

 美子のその言葉に愛は迷い一つない顔で爽やかに言い放った。

「決まってるでしょ? プロデビュー! 日本制覇! 世界進出! 宇宙一位ッ!」

 愛の言葉に美子は少し照れたように苦笑する。

「相変わらずスケールの大きい娘だこと……。いいわ。ママもあなたの本気の音、聴きたくなってきた」

「えへへ……」



 そんな親子のやり取りが一段落ついた頃を見計らって、カウンターの中に入ってきたホステスが口を挟んでくる。

「あ。愛ちゃん、今空いてる? 一人呑みすぎて泣き出しちゃったお客いるのよね? メンドーだけど、ちょっと相手してくれない?」


 愛が振り返ると、最初に見た地味な姿からは想像もつかない華やかさに変身した“なる”がそこにいた。

 三つ編みをほどいてできた長いウェーブの髪を綺羅びやかになびかせ、目尻を上げたアイライナーと鮮やかなルージュでパーツを彩り、胸元を開いた大胆な出で立ちだった。

 

「あ、いいよ、なるちゃん。どこの席かな?」

 愛が“なる”にそう答える。

「ありがとう。一番奥のテーブル席、若い女性よ」

 そう言うと、なるは足早にその場を後にしたのだった。


 そんなやり取りを聞いていた美子が愛に声をかける。

「じゃあ愛? 今夜はそのお客様の介抱と人生、聴かせて頂いて、勉強させて頂きなさい」

「うん。ママ、ありがと!」

 愛はそう言うと、その泣いているという女性客の待つテーブル席へと向かった。

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