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胎動:AI is Rock!

挿絵(By みてみん)

「ちょっと! あんた私のカレシ、(たぶら)かしたでしょ!?」

 狂気じみた金切り声が上がり、軽音部の部室は、一瞬にして異様な熱気が充満した。


「……ん? わたし!? カレシって?」

「とぼけないでよッ!」

 詰め寄られた女の子のとぼけた顔を見て、その女はますます怒りを露わにする。

「うーん? 身に覚えがない…」

 部室内の視線が、唯一立っていた女の子に集まり、彼女は決まり悪そうにパイプ椅子に腰を下ろした。


「あ。もしかしてヒロ君のこと? それとも…タカシ君かな?」

 記憶の片隅からなんとか絞り出したと言わんばかりに、女の子の口から幾つかの名が零れる。

「誰よそれ! ケンのことよ!」

 激昂する女が、自分の彼氏とこの女の子の関係を疑っているのが他の部員にもビリビリと伝わり始める。

「あー、ケン君…。あれー? 今カノジョいないって言ってたけどなあ?」

「嘘言わないでよッ! あんたが寝取ったんでしょ!」

「えぇえー?」


 緩やかな淡いウェーブをポニーテールに束ねたその女の子は少し俯くと、何やら考え込み、そして自分の前で怒りを露わにする女の顔を見て、表情を申し訳なさそうに崩した。


「結果的に、私が寝取った、形になっちゃうのかな。ゴメン」

 苦笑いを浮かべながらその女の子は頭を深々と下げる。この子にとって、恋は音楽と同じくらい刹那的なものなのだろう。


 周りの部員たちからも、やるせない溜息が漏れだした。

「また国木田(くにきだ)絡みか…」

「いくらギターが上手くても、ねえ?」

「可愛いけど、人の彼氏まで寝取るとか、さすがに引くわ…」


 女の子は目を閉じたまま眉一つ動かさず、その部員たちの声を一身に受けている。

「ちょっと! 何とか言いなさいよ!」

 女が詰め寄ると、女の子は片目だけ開け、女を見つめ答えた。

「さっき言ったよ? ゴメンって。それとも、しっかり弁明した方がいい? 事の詳細を話せば満足かな?」

 女の子はあっけらかんと、それでいて言葉尻は鋭く問いかける。

「なッ! 何なのよあんた! もういいわよ! 出てって! この軽音部から出てってよッ!」

 女は怒り心頭といった様相で、涙目で捨て台詞を吐きながら部室を出て行ってしまった。


「はぁぁ……」

 女の子が一つ大きな溜息をつくと、その場にいた部員たちが近づくでも声をかけるでもなく、遠巻きにチラチラと様子を伺っている。

 女の子は、椅子に座ったまま両手をあげると、大きく伸びをする。そして、ほんの僅かな沈黙の後、つぶやいた。


「それじゃ、今までありがと! みんなもお疲れ! 音楽は楽しんでねー」

 少し皮肉めいた声を残し、ギターケースを背負うと笑顔で軽音部の部室を後にした。



 夕方のアスファルトに響く、スニーカーが地面をこする音に耳を傾けながらゆっくりと歩くその女の子は、先ほどまでのちょっと抜けた雰囲気とはうって変わり、表情が冷え切っていた。


「ちぇっ」

 鋭い舌打ちとともにその足が止まる。

(彼女いるなら言ってよ。こちとら人のもの奪ってまで気持ちいい思いしようと思ってないし。あー、なんだかスッキリしないー)

 その女の子は、長い栗色の波打つ髪を夕陽に煌めかせ、その端正な顔を歪ませる。

 夕陽をその大きな瞳に一杯に(たた)え、太陽を睨み返した。眩しさに目を細めると垂れた目尻がさらに下がる。


 若草色のキレイめのロングスカート、ホワイトベージュのサマーニットに薄手の上着を羽織った彼女は、軽く頭を振ると先ほどまでの可愛らしい表情を取り戻し、歩みを再開した。

 小柄ながらもその均整のとれたプロポーションはすれ違う人々が振り向くほどで、自ずと人目を惹く。

 彼女自身もその自覚はあり、背筋を伸ばしあえて闊歩するように自信に満ちた足取りで暮れなずむ商店街を抜けた。



 大きく見えるギターケースを背負ったこの美少女の名は国木田(あい)

 美少女と言っても、この春二年に進学した大学生で、れっきとした成人女性だ。


「…もう男の子はしばらくいい……。それより、明日からどこで()こう」


 そして、この春、軽音部を痴情のもつれで退部させられた、ただの音楽好きの女の子だ。






「ただいま〜」

 重い硝子戸を押して愛は自宅の玄関に滑り込む。

 愛の自宅は、商店街の片隅にある『かきつばた』という少し古ぼけた作りのスナックだった。


「お帰り、愛。お店の入り口から入ってきちゃダメでしょう?」

 和装の美しく着飾った中年の女性が穏やかに彼女をたしなめる。

「だってー。まだお店始まってないでしょ?」

 愛が少し口を尖らせると、その女性――愛の母親、美子(よしこ)は眉根をよせて娘にダメ出しをする。

「他所様が見て、あなたみたいな子供がうちの店に出入りしてるって思われるの、お店にとってもあなたにとってもマイナスでしかないの。分かるわね?」

「はいはい。以後気をつけまーす」

「もう。愛、あなたって子は……」

「あ、そうだ。ママ、わたし大学の軽音部クビになった。だからまたしばらくここで()らせてよ?」

 愛は母の言葉を遮り、思い出したかのように軽い口調でそう告げた。

「ええ!? 愛、あなた今度は何やらかしたのよ? あなたのことだから、人一倍熱い情熱が相手に伝わらなかったとか、そんな感じなんでしょうけど…。いいわよ、ここで演るのは…。人様に迷惑だけは掛けないでね?」

 母は少し苦悩の表情を見せるが、それも一瞬のこと、すぐに穏やかな笑顔に戻り娘の申し出を了承した。

「そんな感じかな。もう片は付いたことだから。ありがとママ」

 母の表情を見て愛も少し苦笑して見せるが、すぐにそれを打ち消して二階の自室へと駆け上がる。



 愛の部屋は畳敷きの六畳間で、部屋の北側に机が置かれている以外は、ベッドと衣装ケースが置かれており、その狭い空間のほとんどをギターや楽譜、アンプなどの音楽関連のもので占めていた。

「さて、と。わたしの音楽を再始動させないとね……」

 そうつぶやくとベッドに大の字になり愛はそのままゆっくりと瞳を閉じた。






 愛が小学三年生の時、父は妻と一人娘を残して失踪した。

 一応失踪宣告を受け死亡扱いにはなっているが、愛は父が今もどこかで生きていると信じていた。


『人生は一度しかない。失敗しても構わない。大切なのは今をどう生きるかだ』


 父はよくそういった言葉を口にし、そしてそれを体現しているようだった。

 そんな父親の元で育った愛は、その影響を多大に受けていた――


 だからこそ愛は想う。父にはあの時やらねばならないことがあって、今でもそれを貫き通し生きているのだろう。父に再会した時に成長してない自分は見せたくない。だから、少しだって立ち止まっていられない!

 その矜持こそが愛の行動力とバイタリティの源、活きる原動力となっていた。


 ミュージシャンだった父が遺していったギター。

 愛はその音に寄り添うように、生きてきた。

 今や音楽は、彼女の生活の軸であり――存在理由だった。



「まずは、ちゃんと演れる場を作らないとね」

 愛は傍らのアコースティックギターを掴むと、開店して程よく場が温まった階下のスナックへと降りて行った。






 喧騒に紛れ、店内の片隅からムーディーなギターの音色が静かに流れる。愛は今までもこうして母親が経営するスナックでギターを弾いてきた。

 客たちからすれば、店内のBGMの一つ、別段気にするほどのものではないのかも知れない。

 愛がこうしてもてなすのは、みんなが楽しむ店の中のちょっとしたアクセントだから、というわけではなく、自分の経験値を上げるためだった。

 そして何より、音楽に浸っている時だけは唯一父親と繋がっていられるような気がするからだ。



 『かきつばた』は駅前通りの商店街の出口にある、こぢんまりとしたスナックで、父親が失踪した後から、美子が数人のホステスを雇い、切り盛りしている。

 夕方を過ぎると、日々に疲れたサラリーマンの客が来店し、それぞれの夜を楽しんでいるのだ。


 しかし、その愛の演奏はそんな喧騒をものともせず店中の客の耳目を集めた。

「お? またあの()か?」

「ええ。よくここでギター弾いてるんですよ。あの子」

「へえ。上手いじゃないか。まだ子供なのに大したもんだねえ」

「でも、ちょっと変わってますよね? あどけない感じなのにどこか大人びてるっていうか……。私なんかよりよっぽど色気がありますよ?」

 そんな声があちこちから聞こえ始めると、美子も少し困ったような顔で娘の演奏に耳を傾ける。


「ちょっと、愛? ほどほどにしておきなさい? お客様はあなたの演奏を聴きに来てるわけじゃないのよ」

 娘は演奏に没入しているのか、呼びかけの声には応えない。美子が再度愛に声を掛けようとすると、目の前のカウンターで呑んでいた客から声が掛かった。



「いいじゃないかママ。愛ちゃんもここの雰囲気を壊さないような曲を弾いているし、俺は耳障りには感じない。他の奴らも見てみなよ? 中には嬢との話より聴き入ってる奴もいる」

「でもねえ…」

 美子がなおも食い下がる。客の言う通り、そこかしこで愛の演奏の感想を語り合っているようだ。

「またあの曲を弾いてもらいたいねえ、ほら、アレだ!」

「俺は昔のフォークなんかも聴きたいな」

「愛ちゃーん! あたしに檸檬坂(れもんざか)弾いてー!」

 愛の演奏に店内のあちこちで声が上がる。そこでようやく愛は自分に歓声が向けられていたことに気付き瞳を開け店内を見渡した。


「ほらな? みんな愛ちゃんの演奏が好きなんだよ。ママだってそうだろ? だからこうして弾かせてるんじゃないのかい?」

 美子は、客にそう諭されると、観念したように愛の演奏を聴き始めた。

「うん……。そうね。みなさんありがとう」

 美子が店内の客たちに頭を下げると、その謝辞に呼応するように演奏が終わり拍手がどっと沸き起こった。

 演奏を終えた愛は笑顔で軽く頭を下げ、ギターと共に店の奥の自室へと引っ込んでいく。



 ギターをラックに立て掛け、再び愛はベッドで大の字になる。天井の一点を真っ直ぐな瞳で捉え、そしていつもの言葉を口にする。


「まだ、わたしは大丈夫。続けられる…!」


 愛は自分に言い聞かせるようにつぶやくと瞳を閉じた。


(今日、軽音部を辞めた。未練は?

 無い。あそこで演るのは楽しかったけど、創作する場所としては、そこまでではなかった…。

 何が足りなかった? 場所?

 違う。音楽は場所を選ばない。

 じゃあ人?

 ……そう。おそらくは人だ。普段同じ方向を向いていなくても、演るときは真剣に音に向き合える人。そんな人と一緒に演りたい。

 だったらどうする?

 自分で探す。一緒に好きな音楽に向き合えるような、わたしと一緒に音を奏でたいと思ってくれるような、そんな人を…!)


 愛は未来を見据えるように、そっと目を開いた。

「よし」

 愛の瞳はいつもより更に輝きを増し、その呟きは窓から吹き込む一迅の夜風に乗って部屋の中を静かに彷徨うと、誰の耳に届くこともなく虚空へと消えて行った。

 あとには主人の新たな決意を静かに見守る楽器たちだけが、その部屋に残されていた。

司郎でも爽風でもなく、突然に現れた国木田愛という女性。

彼女が今後本編にどのように関わってくるのかは、次のエピソード5、6掲載時には明らかにされることでしょう。

遅筆になることと存じますが、それまでお付き合い頂けたら幸いです。



今回登場した国木田愛のテーマ曲になります。

宜しければご視聴ください。

https://youtu.be/AvbVJU9NhlA?si=JlufcJQcCdbRBquy

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